2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

共通言語としての損得勘定

誰かと共同作業をするときには、最初の入り口として「私は損得勘定という言語で会話が可能な人間です」という挨拶が欠かせない。 損得勘定は、その価値こそ低いかもしれないけれど、それを理解できる人は最も多い。誰かと協力して行く中で、「良さ」とか「正…

負けるのは大事

学校で学ぶべき、学校でしか学べない大切なものというのは、「負けかた」なのだと思う。 負けるというのは誰かの価値を受け入れることで、学びそのものでもある。負けかたを知らない人が社会に出ても、負けられないから、致命的な立場に追い詰められるそのと…

悪い奴らは来なかった

病棟で3年過ごした昔、上司の書いた処方箋を見て、「こうすればもっといいのに」なんて批評家気取りができるようになった頃、島に飛ばされた。邪魔な上司の指示が入らない、「こうすれば」を自分の責任で行える機会がいよいよ巡ってきて、それをやろうとして…

体質改善は怪我に効かない

「根本的な体質改善」はたしかに大事かもしれないけれど、たとえば怪我をしてまだ血が出ている状況においては、「絆創膏」のほうが役に立つ。 問題の解決には、状況に応じて選択されるべきやりかたは異なっていて、「根本的」な解決というものは、もっと元気…

平凡なのにはわけがある

扱う問題が大きな時こそ、従来のやりかたを踏襲した、平凡な提案が選択されることが望ましい。いくつもの問題を一気に解決できるような「画期的な」提案は、それが必要に思えたときこそ、見落としている問題点が本当に無いのかどうか、慎重に検討されるべき…

悪役の深度について

与謝野大臣が記者会見の席で、「原発を推進してきた立場として今回の事故に謝罪をするつもりはないか」という記者の質問に対し、「ないです」と述べた 。 この人は以前にも、積極的に増税を、と主張していた。恐らくは与謝野大臣は、あえて悪役を買って出る…

多勢を使いこなせる人

専門家と呼ばれる人は、「効率よく弱いものいじめができる人」でなくてはいけないのだと思う。 対峙した問題に対して、投じる物量は少ないに超したことはないけれど、少ない物量で問題に当たることは、もしかしたら専門家でなくてもできる。 物量が不足して…

健全な保身について

危機管理というものは、「健全な保身を全面に出せる環境作り」のことなのだと思う。 これに失敗したチームは、不健全な倫理に空気を支配されて、そこにいる誰もが道徳を唱えつつ、リーダーはモラルの欠如を嘆くようになる。こうなってしまうともう、かけ声ば…

責任者はいなかった

東京電力の記者会見が、ニコニコ動画で公開されていた。 見どころというか、不気味な光景は30分を過ぎて以降の後半部分で、「放水の決定を下したのは、結局誰なのですか?」という記者の質問に対して、東京電力の人たちは「申し訳ありませんが、調査をしてか…

災厄に関するメモ

データは見解を覆せない。生データの公開は、メディアの「ねつ造」報道に対するカウンターとしては弱すぎる。それを出すことはもちろん正しいし、心理的な牽制の効果を期待することはできるにせよ 生データはたいてい大きすぎる。発信する側は、データを提供…