共通言語としての損得勘定

誰かと共同作業をするときには、最初の入り口として「私は損得勘定という言語で会話が可能な人間です」という挨拶が欠かせない。

損得勘定は、その価値こそ低いかもしれないけれど、それを理解できる人は最も多い。誰かと協力して行く中で、「良さ」とか「正義」とか、もっと価値の高い絆で共同作業をしようと思ったならば、まずはお互いに理解が容易な言葉で会話できることが大切になってくる。

持ち込みの昔

本を出したかったのだけれど、どうしていいのか分からなかったから、出版社に原稿を持ち込んだ。

持ち込みというものを行って、最初にびっくりしたことはといえば、「その原稿が売れる根拠を、まずは作者が示してみせないといけない」という部分だった。それが商業出版である以上当たり前のことではあったのだけれど、お花畑だった昔は、「いいものを書けば分かってくれる」なんて勝手に思い込んでいた。

「皮算用でかまいませんから」と、出版社で応対してくれた方々は、決まり文句みたいに助け船を出してくれた。何も根拠のある数字を出して、利益の見込みを示してみせる必要はなくて、この原稿はこんな読者を想定していて、そういう人は世の中にこれぐらいいるはずだから、この原稿はこれぐらいの購買が見込める、そんな皮算用を示してくれればいいのだと。

実際に出版させていただいて、こうした皮算用というものは、「あなたは損得勘定を前提にした話ができますか?」という、会社組織の挨拶のようなものだったのだと考えている。

「良さ」は難しい

良さという価値軸は人それぞれで、自分が「いい」と思うものは、必ずしも他の人にとってそうだとは限らない。

編集者は、作者の「良さ」を、多くの人に届くよう、変形/加工するプロだけれど、そうした加工が、「良さ」をよりどころにした作家には、もしかしたら良さの欠損として認識されてしまう。

作家と編集者と、立場の違う人たちが共同していく上では話し合いが欠かせないけれど、話すためには共通言語が、共通した判断の基準がないと、まとまる話もまとまらない。

お金の話というものは、「良さ」や「正義」に比べれば浅いけれど、通じる範囲は広い。「お金の話ができる人」とは、少なくともお金という価値を土台にした会話ができて、初対面の人間同士が分かり合うために、これは大切な入り口になる。

ただより高いものはない

犬の牧場が破綻して、100頭あまりの犬が餓死寸前で放置されるという事例が昔あって、愛犬保護団体が保護に乗り出して、全国からボランティアが集まった。

当初こそ、成功事例としてテレビに取り上げられたけれど、寄付金がたくさん集まって、そのうちボランティアとして参加した人たちから団体のありかたに対する疑問の声が出て、最終的に訴訟になった。

個人に使えるメディアがなかった昔、ボランティアというものは、「無料で使える便利な労働力」である時期がたしかにあったのだと思う。善意ベースや正義ベースのガバナンスは、誰もがそれに賛同できればすばらしい力になるし、主催者と参加者と、お互いの正義にずれがあっても、自分のメディアを持てない昔なら、少々の瑕疵は問題として浮上しなかった。

Web時代になって、状況は変化した。今は誰もが自分のメディアを持てるから、主催者は主催者の見解を、参加者は参加者の見解を、それぞれ広く発信できる。主催者と参加者との共同作業が、同じ価値軸で行われないと、発信される情報は、全く異なったものになる。そうした差異が目立つほどに、声は強力な力を持って、個人の声は、しばしば世論やマスメディアをも左右する。

ネット時代には、「自分達はいいことをやっている」という主催者の信念だけでは、ボランティアを引っ張るのは難しいのだと思う。理念を共有できない参加者は、主催者の意図した行動をしてくれないから、主催者の考える正しさで、全ての参加者を説得できないのなら、そのプロジェクトは失敗する可能性が高い。

ボランティアはたしかに「無償」であるかもしれないけれど、違う言葉でしゃべる人を説得するためのコストは、もしかしたら有償で誰かを雇うコストを上回る。

損得勘定という共通言語

全員無償という前提は、共通の言葉である「損得」をその場から追い出して、コミュニケーションはそれ以降、善意という価値軸に基づいて行われることになる。

善意はすばらしい価値だけれど、人によって受け取りかたが多様すぎて、善意という価値軸で初対面の誰かと語り合うのは難しい。「ありがとう」という一言にしたところで、その言葉にどれぐらいの善意価値を見いだすのか、あるいはどの程度のサービスを受けてこの言葉を発するのか、人によってばらばらで、その多様さは、価値のすばらしさとは対照的に、トラブルを増やしてしまう。

まおゆう 魔王勇者 の冒頭、魔王の語る「損得勘定は我らの共通の言葉。 それはこの天と地の間で二番目に 強い絆だ」という言葉には、やはり真実が含まれている。

もっと強い絆を作るための第一歩として、まずは「お互いに損得を語る」ことが大切なのだと思う。