丈夫なシステムについて

大学病院に入局した昔、田舎の電源事情は妙に悪くて、停電は日常だった。雷が落ちると病棟の電気が消えて、エレベーターに看護師さんが閉じ込められたり、大学のインフラは案外貧弱だったのだけれど、業務はあまり止まらなかった。非常用発電機の音を聞きながら、暗い病棟に殴り書きの伝票を持った研修医が走り回って、走らされるほうも、受け取るほうも、いい加減なシステムを回すのはきっと大変だったのだろうけれど。

きっちりやると脆くなる

震災直後の停電で、近隣の基幹病院は、病院の機能全てがダウンした。

電子カルテや画像診断装置が動かなくなるのはもちろん、薬剤を処方しようにもオーダーは出せないし、記録を残そうにもPCが動かない。救急外来の機能は止まって、救急車を受けることはもちろんできなくなって、調理室が上の階にあったから、入院患者さんに食事を配膳するのも大変だったのだと。

新しい施設は電子化が行き届いていて、動線は短く、働いていて効率がいい。昔ながらの紙伝票、増改築を繰り返した古い施設は、普段走り回っていて不便なことこの上ないけれど、紙の伝票は停電しても使えたし、改築を重ねた結果としてフロアをつなぐ階段がやたらと多い当院では、エレベーターが動かなって以降、人が動く階段と、病棟への食事配膳に使う階段と、それぞれ専用の流れを割り当てることができた。

原始を電子で制御する

大学が電子化されて久しいけれど、集中治療室の業務については、紙を使った伝票システムになっていた。

電子オーダーはどうしても入力が面倒になる。末端部分である種の複雑さを引き受けることで、全体として情報の流れがスムーズになるのが電子化の利点だけれど、1日のうちにオーダーがどんどん変わる集中治療室で複雑さを引き受けてしまうと、業務が止まる。電子の苦手な上の先生がたが文句を言い続けた成果なのだろうけれど、集中治療室では部屋の中だけ紙で回して、結局研修医が「電子化」することで外部システムとの整合を取っていた。

あのやりかたは研修医の評判が悪かったけれど、今回の停電にしても、たぶん集中治療室だけは業務が止まらなかったのではないかと思う。

機能の独立性は大切

つい最近、電気工事のクレーン車が電線を切ってしまったとかで、わずかな時間、予告無しの停電が発生した。結果としてこのとき、当院では画像配信システムが機能停止して、近隣基幹病院では、例によって全機能が停止した。

電源が復活すれば、PCを再起動すればいいのだけれど、個体のPCを立ち上げるのと、ネットワーク全てを再起動するのとではわけが違うらしくて、電源は復活しても、メーカーの人が来てくれるまで、システムは復帰しなかった。配信システムは止まったけれど、CTやMRI自体は動かすことができたから、画像配信システムを使わずに、放射線室まで画像を直接見に行けば、業務を回すことはできた。

レントゲンと言えばフィルム撮影だった昔、レントゲン室は写真を撮って、それを現像して配信するところまでがひとかたまりの機能として独立していた。今もまだ、他院に患者さんを紹介する際にはフィルムを現像する必要があって、そのための設備には画像モニターがついていて、ネットワークが落ちたときにはそれが役に立った。

昔ながらのやりかたは、レントゲン室でフィルムに焼いた画像を技師さんが外来まで持ってきてくれるのだけれど、画像配信システムは、画像閲覧の機能を外来の机に持ち込むことになる。画像はきれいで、撮影したその瞬間に閲覧が可能になるけれど、レントゲン室と外来と、お互いの依存が強まってしまう。普段はそれが長所になるけれど、外乱に対する備えを考える際には、依存は少ない方が安全になる。

丈夫さと効率について

外乱に対して頑丈な、ダメージ相応に機能を減じつつ、それでも止まらずなんとかまわるシステムには、たぶんいくつかの共通事項がある。

各機能はそれぞれ外に対して閉じて独立で、それぞれの機能単位は、動作が見込める限りにおいて穏やかに結合していることが望ましい。「結合」をになっていたのは、昔だったら伝票を持った人間で、今だとそれが電子になるけれど、電子が生み出す結合は強力に過ぎて、外乱に対してまだまだ弱い。

機構は原始的に、制御は近代的に、系は時代を内包することが望ましい。昔ながらの原始的なやりかたに、皮だけ新しい制御を被せるやりかたはみっともなくて、最新の制御系で機構から作り直したくもなるけれど、こうした無様さは、しばしば外乱に対する安定に結びつく。時代を切り戻せるシステムは、何かの原因で最新の制御系が落ちたとき、暫定的に昔のやりかたに戻すことで、システムを止めずに当座をしのげる。うちの施設にしても、会計処理こそ全てPCだけれど、伝票は紙だったから、停電したときには記録だけ紙に残して、会計は全て後回しでどうにか業務を止めずに済んだ。

こういうやりかたは間違いなく効率を下げて、世の中を競争で回す限りは真っ先に削除されてしまう。「止まりにくさ」の測定はできないし、「今動いていること」は、「止まらないこと」の保証にならない。基準がないから、世の中のシステムはどんどん脆く、落ちたときの被害はむしろ大きくなっていく。

「この業務に必要なロバストネス」を、ルールを作る側の人たちは定義してほしいなと思う。