「ロバスト性」メモ

外乱に対して強く安定していること、「ロバストであること」は、どういう要件を満たすことで成立するのか、そんなことをこれから考えてみたい。

英国の自動車番組「TopGear」 の中で、家に激突しても、海に沈められても、ビルごと爆破されても、動き続けて、 自動車としてはじめて北極圏に立った「トヨタハイラックス」は、そうしたロバストな製品の代表だろうけれど、 じゃあハイラックスはどうして壊れないのか、それをきちんと説明できるようになると、きっといろんなものが見えてくる。

頑丈や冗長とは違う

  • 外乱に対して強いことというのは、必ずしも頑丈を意味するわけではないし、冗長性を持たせることで、プロダクトはたしかにロバストになるけれど、ならばロバストに作られた何かが、常に冗長かといえば、案外そうでもない
  • 外乱という言葉に、環境だけでなく、「人がそれを使い続ける」という人間要素を入れると、話はもっとややこしくなる。鉄の塊みたいな丈夫な道具があったとして、それがあまりにも重すぎて使い物にならなかったら、その道具は、「人間に飽きられる」という環境に対して無力であると言える。それが壊れやすくても、安価で軽くてシンプルなものであるならば、そういう道具は買い直されて、何度でも使われる。壊れやすくても、こういう道具はむしろ、自分の定義では「ロバストである」と言える
  • 最初からロバスト性を意識して設計されたものが、実際そうなっているケースは少ないような気がする。火星の探査機や、「はやぶさ」みたいな人工衛星は、ロバストを志向して、実際にそうなった珍しいケースであって、世の中で「壊れず便利」に長く使われている道具のほとんどは、むしろたまたま、結果としてロバストであったもののほうが多いのだと思う
  • TopGear の中で、ビルごと爆破されてもまだ走った昔のハイラックスは、最初から電源系統が2重になっていたんだという。今のハイラックスはそうでないのだと。それが進歩の結果としてそうなったのか、あるいは退化なのか、それは壊してみないと分からない

単純さよりも見通しの良さが大切

  • 「ユーザーの想像力を裏切らない物づくり」というのが、ロバストでいられるために大切なんだと思う。不具合を感覚して、ここがおかしいに違いないと想像したときに、実際にそのとおりの場所に不具合を生じるプロダクトはユーザーが治せるし、少なくとも、「治療方針」を自分で決定することができる
  • どれだけ頑丈な物づくりをしたところで、それをブラックボックス化してしまうと上手くないし、ネットワーク化、冗長化に成功したところで、ネットワークの挙動がユーザーに理解できないと、それは得体の知れない何かとして、信頼を得ることに失敗してしまう
  • ホメオパシー薬を子供に試したお母さん方の日記を読んでいると、「こういう症状が出て、このホメオパシー薬を試したら、案の定こういう成果が出た」というのをうれしそうに書いている。あの「想像力の手に負える感じ」というものが、あの治療を根強いものにしているんだろうと思う。西洋医学はこのあたり、ユーザー側からみてブラックボックスになってしまっていて、概念モデルの作成に失敗している
  • 「私の脳内モデル」で暫定的に現実が説明できてしまうと、それは恐ろしく強力にその人を縛る。陰謀論なんかもたぶん。ああいうものもまた、「科学的な反証」という外乱に対して、恐ろしく頑丈であると言える
  • シンプルさと、見通しの良さとは両立しないことが多い。炒飯のレシピは、あれ以上書きようがないくらいに簡単だけれど、掲示板がそれだけで盛り上がるぐらいに、誰もがそれを再現できない。炒飯を作るための技術は、単純である代わり、技術の見通しがすごく悪い
  • 「見通しのいい技術」というものは、浅い理解で手を出しても、そこそこの成果が出るということなのだと思う。外面の理解と、実際おきていることとが全く異なっているものだと、理解の浅い人には何もできなくて、ある日いきなり物事が見えるようになる。こうしたプロダクトは、初心者とベテランとの断絶を作り出してしまう
  • 理解が浅くてもそれなりに、理解の深度に応じて、できることがさらに増えていく、最初から6割、深度を深めて8割というのが見通しの良さ、理解が浅いとても足も出ない、本1冊読んだらいきなり8割、技術を極めて9割が見えるようなプロダクトの見通しは悪い
  • ブローバックとショートリコイルの違いを、ぱっと見て説明できる人は少ない。ガスオペレーションのライフルが壊れて、わけも分からず分解しても、けっこう高い確率で、誰もが故障箇所を見つけ出せる
  • 見通しの良さという意味では、ダブルウィッシュボーンのサスペンションは、複雑だけれど見通しがいい。一方で、4リンクリジッドの足回りは、あれを見て、どうしてここにリンクが必要なのか、構造は単純であるにもかかわらず、説明はむしろ難しい

設計者と製造者の共依存

  • 医局で頼んでいるお弁当屋さんの当たり外れはけっこう大きくて、月末になると予算が減るのか、時々「揚げ物だけ」とか、得体の知れない焼き魚だけとか、救いようがなくなるときがある。で、コスト圧力に和物のおかずが撃沈されていく中、ナムルだの、キムチだの、麻婆豆腐やら春巻きやら、韓国中国方面のおかずというのは、案外健闘しているというか、材料の安さを技術が上手に隠蔽してくれるところがある。というか、それしか食べられない
  • 和食はどうしても材料依存のところがあって、シンプルにちゃんと作ればおいしいんだろうけれど、「ちゃんと」のハードルが高すぎる気がする。安い回転寿司は、あの安さを出すために、バイヤーが世界中の魚を調べて、似たような味のものを探す。日本は、すごい人の人件費が「ゼロ」で算定される国だからそれでも帳尻が合うのだろうけれど、他の国だと、ああいう人を雇うだけで、お店が傾くと思う
  • ダンボール肉まん」ま、もはや料理ですらないけれど、中華の技術は、ああいうのすら、とりあえず食べさせてしまえる。「ダンボールで和食」は、たぶんどんなメニューでも無理だと思う
  • 技術者と製造者の共依存という現象がある。和食というものは、材料を確保して料理する側と、レシピを「和食」として組み立てる側とが共依存的に高めあってしまった結果として、外乱に対してすごく弱い気がする。いい材料がないと、いい料理が絶対作れない
  • 「素晴らしい製造技術が前提の設計」というものは、危険な気がする。コストを度外視していいのなら、それは設計者にとっても製造者にとっても「挑戦」なのかもしれないけれど、コストカット圧力のようなものに対して、こうした姿勢は極めて弱い
  • 製造者と設計者との健全な相互不信というものが、ろばすとな物づくりには大切なんだと思う。どれだけずさんな組み立てかたをしても、素晴らしい動作にならざるを得ない設計と、指定された公差の限界まで、「手抜き」を追及する製造現場と

「長く使われているもの」に学ぶ

  • 「人体に学ぶロバストネス」みたいなものは、いろいろあるのだと思う。脳底動脈輪とか。視神経の交叉制御とか。腎臓や肺が2つあるのもそうだし、心臓の負担を腎臓や肺で肩代わりするのなんかもそうだろうし
  • 「生存可能性を高める」とか、「冗長性を増す」と言葉で言うのは簡単だけれど、トラブルというのは起きてみないと分からないから、そのプロダクトがどれぐらい生き延びやすいのか、生き延びないと分からない気がする。それならばむしろ、「生き延びている何か」から学ぶほうが、考えかたは早いのかもしれない。絶対に心筋梗塞を起こさないワニの心臓とか、癌に極めてなり難いサメの組織とか、いろいろ面白い

そこに戻る場所は大切

  • 東京都の消防システムが落ちて、消防署は、対策として、高い建物に署員を見張りに張り付けた。あれは素晴らしいことだと思った。平成の技術が使えなくなった対応として、江戸時代の「火の見やぐら」を持ち出したわけだから。何かに依存しつつ、それが壊れた時には、それが無かった昔に戻れる、歴史を内包したシステム設計というのは、ロバスト性を考える上で大切
  • 「闇鍋の収拾が付かなくなったら、カレーを入れれば何とかなる」とか、どうしようもなくコストカットされたお弁当でも、韓国食材だけはどうにか食べられたりとか、鍵になる何かが強力だと、外乱には強い
  • ラダーフレームやスペースフレームの車は壊れない。モノコックは、性能こそはるかに高いけれど、歪むと性能が落ちて、生存性という意味ではむしろ不利になる
  • ラダーフレームもそうだし、PCの再起動、闇鍋にカレーブチ込むのもそうだけれど、「ここに戻ればやり直せる」何かというのは強い。「iPhoneのホームボタン」もそうだよ、という指摘をいただいた
  • PCのネットワークというのは、相互依存しているようでいて、ここがある程度のスタンドアロン性を保っているから強いのだと思う。そういう意味で、全データをネットワーク上に置くのはどうなんだろう?
  • 自分の端末が動かなくなったら、下級生から携帯を借りる -> ファクトリーリセット -> 自分のIDを打ち込む だけで、データを呼び出して運用できるという意味では、Android 携帯は外乱に強い。下級生は泣くけれど