負担のしわ寄せと想像力

間に合っている状況に、何か新しいやりかたが導入されると、誰かが楽になる代わり、どこかにしわ寄せが行くことが多い。みんなが楽になれれば、もちろんそれが一番いいんだけれど、負担の総和を減らすのは、やっぱりなかなか難しい。

負担の総和が減らない前提で、新しい仕組みをそこに入れるときには、だから導入後の負担デザインがどうなるのかが想像できないといけないし、そもそもその導入を決断した人が、現状の負担デザインに、どんな問題を感じていて、それをどういうデザインに作り替えたいのか、きちんとした考えかたを持っていないと、たぶんたくさんの人が不幸になる。

オーダリングシステムとか、電子カルテの話。

うちの病院

自分が今働いている病院は、伝統的な伝票システムをずっと引き継いでいる。医師として仕事をしているかぎり、このやりかたは古くさいけれど、やりやすい。

書けば記録が残るし、手描きの伝票は柔軟性に富んでいて、それが文字で表現できるものなら、何でも書ける。他の病院からアルバイトに来て下さる先生がたとか、70歳目前の、顧問の先生がただとか、伝票システムは、誰もが違和感なく使いこなせる。

このやりかたはその代わり、人手がかかる。

入院した患者さんの場合、医師はカルテに処方を記載する。記載された処方を看護師さんが拾って、それが処方箋に転記される。転記された処方は、医事課と薬局にコピーが回って、会計処理と、薬の払い出しが行われる。カルテの処方は、さらに看護師さんの「温度板」に転記されて、看護師さんたちは、この温度板に従って、業務を行う。

病院のシステムは、医師と看護師と事務系統と薬局と、大きく4系統を同時に動かさないと成り立たないし、医師の振る舞いだとか、思考過程を、カルテとして残さないといけない。同じ処方、同じ判断を、各部署に同時に配信するための仕事というものが、システムを動かすときの、大きな負担になってくる。

どこの病院でもたいてい、こういう作業は看護師さんたちの仕事ということになっていて、同じことを処方箋と温度板とに転記しないといけないから手間が膨大だし、手書きだから、どれだけ注意をしたところで、間違いが必ず入る。この作業をたとえば、医師が記載する処方箋にカーボン紙を裏打ちして、医師が処方箋を書いて、それがカルテに転記されるようなやりかたをしているところも多いはずだけれど、それでもカルテの内容を温度板に記載する業務が残る。

電子化は医師の負担が増える

電子オーダーリングシステムだとか、電子カルテのやりかたは、医師の処方を4系統に分ける工程が、全部電子化される。

医師がカルテを書いて、処方箋だとか、点滴の予定を電子カルテに打ち込むと、それがそのまま処方箋になるし、温度板にも処方が自動的に転送されて、看護師さんが温度板を作るための手間が、これでずいぶん少なくなる。

これは解決策ではあるんだけれど、今度は医師の負担が大きくなって、仕事の効率がずいぶん落ちる。特に高齢の先生がたには、電子カルテというのは相当に評判が悪くて、今までどおりのペースで外来を回すのが難しくなるし、患者さんの待ち時間が増えて、いい結果を生まない。キーボード専属の事務さんを置く病院だとか、このへんもまた工夫されてはいるんだけれど。

「一番人件費の高い生き物に、仕事量をしわ寄せする」やりかたが、医師から見た場合、電子カルテが抱える大きな問題に思える。インターフェースをどれだけ改良したところで、キーボードを打つのが医師である以上、問題はあまり解決しない気がする。

正解の裏側は不正解

「ハイブリッド方式」みたいなのを妄想すると、医師から見た電子カルテの問題は、部分的に解決できる。

医師は今までどおりにカルテを書いて、紙のカルテに処方を書く。カルテに書かれた処方を、看護師さんが温度板に転記するときに、それが自動的に処方箋になって、事務方と、薬局とに伝票が降りる。処方を書き直すのは、やっぱり薬の内容を体感できる人でないと難しいから、事務方の人にこの作業を全部やってもらうのは、ちょっと怖い気がする。

医局で話すと、「これはいい」なんて話になるんだけれど、転記担当の看護師さんの側からすると、このやりかたには何のメリットもない。ただでさえ電子温度板の入力が面倒なところに持ってきて、今度は処方箋の転記まで自分たちの業務に入ってきてしまうことになる。

負担というのはたぶん、結局のところは業務をまたいだ押し付けあいになるんだろうけれど、医師が人件費の高さという問題を抱えている一方で、看護師さんたちは同じように、雇用の流動性が高い、という問題を持っている。

医師は病院に居着く。転職はそんなに繰り返せないから、業務が少々面倒になったところで、みんな文句は言うだろうけれど、それで病院を移る人は少ないし、システムはたいてい、文句を言われながらも受け入れられる。

看護師さんたちの平均年齢はどうしたって若いし、病院を超えた横のつながりが強くて、今はどこの病院でも「看護師募集」の看板を出しているものだから、けっこうみんな、いろんな病院を渡り歩く。昨日までうちで働いていた看護師さんが、患者さんを転送してみたらそこにいたとか、ときどきある。

で、うちの施設を辞めた人が、他の施設に移動して、真っ先に「これはいい」と思うことというのが、待遇だとか、業務の厳しさではなくて、「新しい病院には転記の業務がない」ことなんだという。電子カルテやオーダーリングシステムが入っているところは、今はたいてい医師が入力するルールだから、看護師さんからすると、転記の業務がないことが、魅力としてうつるんだという。

想像力は大切

どの業務にもたぶん、譲れない何かというものがあって、待遇をよくしたから、じゃあ譲れない何かを譲ってくれと言ったところで、たぶん人は居着かない。

医師にとっては案外、キーボードによる入力というのは時間がかかって、これは人件費の無駄遣いではあるかもだけれど、「譲れない」ほどではないのかもしれない。一方で、看護師さんたちにしてみると、転記の業務というのはリスクがあって、看護師さんたちが習った「本来の業務」とはずいぶん離れているものだから、あるいはこのへんは、どれだけ待遇を改善したところで、譲れないから、病院を移ってしまうのかもしれない。

こういうのは、病院を移って、移った先の看護師さんに聞かないと正解が分からないから、ほんの数件のことでしかないんだけれど、「転記は嫌だ」ということ自体が、自分にとっては想像の埒外で、今までさんざん電子カルテを叩いてきたけれど、やっぱりこのへんを一番妥協しやすいのは、たぶん自分たちなんだろうと反省している。

今までの負担を、どこか別の業種に寄せるやりかたにはいろいろあるんだけれど、やっぱりたぶん、誰もが幸せになれるシステムというのは、なかなか難しい。

新しいものを入れるときには、それは電子カルテもそうだし、あるいは勉強会だとか、何かの委員会を立ち上げるとか、全て共通するのだろうけれど、想像力が大事なんだろうなと思う。

それがどういう根拠に基づいて、そのシステムを、そのやりかたを導入することで、自分たちは何を実現したいのか、総人件費を減らしたいのか、それとも組織の総幸福度みたいなのを上げたいのか、一番妥協をしやすい業種はどこにいて、逆に一番譲れない人たちはどこにいて、負担をしわ寄せた結果としてどんなことが起こりうるのか、そのへんをちゃんと考えないといけないなと思った。