診断学の方法論

お客さんの知らない技術を使って、「こんなことをやりませんか?」と提案しようにも、 それを知らない人には、そもそも未知技術の使いかたが分からない。

知らない人の「こんなことがしたい」という欲求は、たいていの場合漠然としすぎていて、顧客と技術者と、 どれだけ長い時間語り明かしても、顧客の側からは、「こうじゃない」ばかりが増えていく。技術者の求める「これが欲しい」は、なかなか聞き出せない。

「お客様本位」はうまくいかない

顧客というのは基本的に「無知」であって、だからこそ「技術者」という、技術に対する知識を持った人が必要になる。 ところが「お客様本位の交渉」という考えかたは、顧客の側にも技術者の側にも、 お互いに何か「分かっているものがある」ことが前提になっているところがあって、新しい技術を扱う業界には、 しばしばそんなものは存在しないから、要件定義が迷走する。

診断学の考えかた

医療の業界には、「診断学」という分野があって、これが医療の土台になっている。内科とが外科とか、 分野によって医師の技量は様々だけれど、「診断学」というものは学生のうちに習うものだから、 医師免許を持っている人であれば、原則として誰でも「診断」ができるし、できないといけない。

診断学という考えかたは、「相手は病気に対して無知である」ということを前提にしているところがある。 「上から目線」的な要件定義の方法論であって、他の業界だと、こういうのは珍しいような気がする。

たとえば患者さんが、「肺炎だと思います。私には抗生剤が必要です」なんて訴えを持って病院に来ても、 病院だとたいてい、「まずは本当に肺炎なのかどうか確認しましょう」なんて、患者さんを「診断」のラインに乗せる。

「これが欲しい」という具体的な要望があっても、病院の場合にそれがすぐに出てくることはないし、 そのあたりが最近、病院に対する患者さんの不満を生む原因にもなっているのだろうけれど、このやりかたは、暫定的には上手く行っているように思える。

問題の数は有限で技術者はそれを知っている

問題を抱えた患者さんに対して、それに応えるよう、意図を具体化するように「相談」しながら物事を進めたり、 技術者を動かすという考えかた自体が、医療にはすごく珍しい。せいぜいが、自分の疾患についてよく理解している癌患者さんの治療方針を決める際に、 患者さんとの「相談」が重視されるぐらいだと思う。

診断学という学問の、「相手は無知」であるという前提は、商売としてはずいぶん傲慢な立ち位置であって、サービス業のありかたとしては正解に遠そうだけれど、 暫定的には、業界はそこそこ上手く回っているから、要件定義の道具としては十分役に立っている。

診断学は、「相手は問題を理解していないが症状を説明することはできる」、「疾患の数は多いが、それでも有限個数の範囲内である」、 「あらゆる疾患は、何らかの検査を通じて診断可能である」といったことを前提に、知識の体系を組み立てる。

漠然と「技術コミュニケーション」とくくられるような考えかたは、「顧客は自分のやりたいことを本当は理解している」、 「問題の数は無限で、互換性がない」、「問題はしばしば技術的な解決が難しい」あたりを前提にしていて、こうした前提は、道徳的にはよほど正しいけれど、 仕事としての正解からは、むしろ遠ざかっているような気がする。

恐らくは様々な技術分野に、「相談」を行っているようでいて、実は「診断」を行っている人がいる。

成功したプロダクトを生み出す人が、しばしば傲慢に思えたり、顧客の意見を無視したような製品が成功をおさめたりするのは、 「診断」が前提としている考えかたが、正解に近いからなのだと思う。