「分からない」から始める医療

「トップナイフ」という、外傷外科学の教科書から。

外傷性ショックという状況

  • ショック状態というものを理解しなくてはならない。血圧が60mmHg に低下した患者に対して、皮下の出血点を一つ一つ焼くような外科医は、外傷外科に向いていない
  • 出血と虚血とでは、治療優先順位が異なる。生命に直結する出血は、直ちに対処しなくてはならない。たいていの虚血は、数時間の幅を持たせてよい
  • 外傷外科においては、たとえ結果が悪い方向に転んでも、何とかなるやりかたを考えないといけない

冷静さについて

  • 効果の期待できない操作を繰り返す術者は「呪的反復」の状態に陥っている。本人だけがこれに気付かない
  • 背景状況の変更、視野の改善や、器具や助手のような、何らかの変更を前提にしたときのみ、反復という選択に意味が出る
  • 止血鉗子を握りしめて、盲目的に血の海に突っ込むことは、初心者の陥る過ちの典型である
  • 「指で押さえる」「臓器を両手で圧迫する」といった原始的なやりかたは、止血鉗子に勝る
  • 優れた外傷外科医は「何もしない」ことも、選択枝の一つであることを理解している

ダメージコントロールの考えかた

  • 外傷の手術には、大きく「一気的な根治」を目指すやりかたと、「ダメージコントロール」を目指すやりかたとがある
  • 生体には、そのとき許容できる「受容可能侵襲量」という考えかたがある
  • モニタースクリーンの数字が正常範囲であったとしても、患者が受けた侵襲の累積値が一定量を超えた場合には、手術の中断を考えなければならない
  • ダメージコントロールは、根本的でなくても、そのとき許容可能な侵襲の範囲内で、問題の部分的な解決を試みる
  • そのときにできる必要最低限の処置は何か、根治は後回しにできないか、外傷外科医は常に問い続けなくてはならない

軽い損傷と重大な損傷

  • 「軽い損傷」と、「重大な損傷」とを区別しなくてはならない
  • それが重大な損傷ならば、術者は一時的な止血ができた時点で、一度その場で「停止」しなくてはならない
  • そこから先は修羅場になるので、輸血や手術室の準備といった、周辺状況が整うまで待たないと、兵站が追いつかない
  • 「迅速な止血操作で一気に勝負をつける」誘惑に負けた外科医は、患者を失ってしまう
  • 重大な損傷に対峙するときには、「手術操作を続ける」という衝動と戦わなくてはならない
  • チームが「何でもいいから動き続けよう」という意識に陥ったときに、全血を失うような事態が生じる
  • 損傷の軽重は、全体を見て判断されなくてはならない。「軽い損傷」ならば治癒を目指せる傷であっても、 状況でも、体全体としての損傷が重いのならば、一期的な治癒よりも、上手な撤退を優先しないといけない

蛮勇を捨て、常識に頼る

  • 教科書に図示されているような、見栄えのいい、複雑な術式は実際の手術現場では役に立たない
  • 単純で、凡庸なやりかたを選ぶべきで、曲芸は避けなくてはならない

このあと全臓器の損傷について、最悪の状況を回避するためのやりかたが語られる。

内容を、「状態の悪い人を生かし続ける」ことに限定してあって、 本は250ページしかないのに、一応人体全部を網羅していて、よくまとまってた。

内科のこと

以下私見

内科の患者さんについてもまた、同じ症状に対して、それを「ちょっと治す」状況と、 「がっちり治す」状況とがある。

異論はあるかもしれないけれど、「がっちり治す」ことは案外簡単で、体力さえあれば どうにかなる。「ちょっと治す」のは難しくて、油断すると大失敗する。

「息が苦しい」という患者さんに対して、問答無用で鎮静かけて挿管して、 人工呼吸器をつないだ上で、広域抗生物質を使うような、「がっちり治す」やりかたというのは、 それを決断するときには勇気がいるけれど、始めてしまえば、病名が何であろうと、 やるべきことはおおよそ同じ。こういうやりかたは、「がっちりやる」という覚悟が全てで、 頭はいらない。

「この人は軽そうだから、点滴だけで、ちょっと治そう」なんて判断して、 そういう患者さんが想定どおりに行かないときには、なまじ「ちょっと」という思いがあるから、 全ての対応が後手に回りがちで、泥沼にはまって失敗する。

誰かを「ちょっと」治すことは、だから本来、患者さんを「がっちり」治すのに比べて遙かに多くの覚悟がいって、 それをやるなら、1 日に何度も病床に見舞わないといけないし、自分の判断が間違っている可能性を、 常に自覚していないといけない。

本来はだから、田舎の小さな病院みたいな場所こそ、人工呼吸器のつながった患者さんがたくさんいないと おかしいし、大学病院みたいな、患者さんを診るための「目」だとか「頭」の数が極めて多い施設でないと、 「ちょっと」治すことは難しいのに、そうなってない。小さな病院で「ちょっと」治すのは、本来すごく危ないことなのに。

「がっちりやる」ために必要な知識は、「ちょっと」でいい。

安全に「ちょっと治す」ためには、「新内科学大系」全99冊ぶんの知識があっても、もしかしたらまだ足りない。

「分からない」から始めるやりかた

目の前の患者さんに「重大な損傷がある」という認識から始めていいのなら、 外傷外科医の知識量は、それほど多くを要求されない。

「分からないけれど具合が悪い」状態の患者さんを、「がっちり治す」ために必要な知識もまた、 恐らくは薄い本1 冊ぶんにまとめられる。

その患者さんの病名が「分かる」のならば、その人が持っている、今までの知識で十分に対応できるのだろうし、 「分からないけれど具合が悪い」という状況認識それ自体、その患者さんを、 「分からないけれどとりあえず死なない」状態へと持って行く上で、大きな手がかりになる。

「分からない」なら、それ以上鑑別診断を考える意味はない。「がっちり」行くならば、 最初から複数病名をカバーした治療手段が選択されるのが前提だから、 治療のバリエーションは減らせるし、目標を、「治せる人のところまで、患者さんを悪化させず維持する」ことに 限定できるなら、必要な知識はそれだけ少なくて済む。

これから先の卒業生は、1年間で何でも治せる研修を受けるようにシステムが変わるけれど、 「1年総合医」を本気で作るなら、こんな方向で教科書作らないと無理だと思う。

あれを本気で考える偉い人たちは、自分たちでこういうの書かなきゃ嘘だし、 それができないのなら、あの人たちは、1 年間でどういう医師を作りたいのか、 もっときちんと説明すべきだと思う。

今年度中になんか書く。