見解について

そこにある一連の事実をお互いに共有した上で、お互いが事実に対する妥当な見解を示すことで、状況はコントロールされる。

「見解の不一致」は、それぞれの目的が異なる以上、珍しいことではないけれど、事実が共有されている限り、 相違した見解は、妥当な譲歩によって合意に結びつけることができる。

見解とは何か

交渉の椅子に座る人は、それぞれの立場と、内に秘めた目的とを持っている。

立場と目的とを正しく理解した人が事実と対峙すると、必然として、事実に対する見解というものが生み出される。

目的を正しく定義できない、あるいは自らの立ち位置を理解していない人が事実と向き合って、そこから「見解を教えて下さい」と問われたところで、 恐らくその人の口からは、単なる要約以上のものは出てこない。

事実の要約と、事実に対する見解とを隔てているものは、目的を達成するために行われる思考の有無であって、 一連の事実に対して、その人がたしかな目的を持って、それを達成するために思考しなければ、見解は、単なる要約になってしまう。

事実に対して、その人がたしか見解を持ち、思考しているという証として、見解というものには、仮説を設定することが要請される。 見解というものは仮説、合意が成し遂げられた状況の未来予想図と同じ意味を持つ言葉であって、それは現状に対する認識であるようでいて、 正しく作られた見解は、最初から未来を内包している。

交渉において、未来に到達するためには「合意」という手続きが必要で、正しい見解を作るためには、 必然として相手の立場や目的に対する正しい理解が不可欠なものとなる。

見解と願望とを隔てるもの

見解が未来予想図と同義であったとして、合意が期待できない目的の元に作られた見解というものは、今度は単なる願望と区別がつかなくなってしまう。

相手の行動を当て込むこと、「~するはずがない」で組み立てられた戦略は、相手の行動への希望的観測に依存している点で脆弱 であって、こちらが望んだ行動を相手に促すために、「いい人」であろうとしたり、独りよがりな「誠意」を訴えたところで、見解を補強することには何ら貢献できない。

「あの人は○○だから」 とか、「きっとこうしてくれるはずだ」といったレッテル貼りは、見解の自殺なんだと思う。 相手の内面に対する考察を、「要するに」で省略したその瞬間、自らの見解も省略されて、その意味を失ってしまう。

「目的の欠如が招いた事実の要約でもなく、状況の無理解が産んだ願望でもない何か」が見解であって、 見解というものを、それ以外の何かと隔てているものは、結局のところ相手の立場や目的に対する興味と理解なのだと思う。

コンサルタントとしての医学

見解の相違は、世の中のあらゆる場所で発生するけれど、じゃあ病院ではどうかといえば、 特に問題が病気そのものに関する場合には、医師が譲歩を求められたり、治療方針について何らかの交渉が行われる場面というのは、 恐らくは他の業界に比べれば、圧倒的に少ない。

白衣の威光効果だとか、そもそも保険診療だから交渉のやりようがないとか、説明の手段はいくらでもあるけれど、 「症状に対する診断」という医師の見解は、医学という経験知に支えられていて、医師が生み出す見解、 未来に対して設定された仮説というものは、これよってずいぶん強力になっている。

医学という学問は、様々な症状に対して、バックグラウンドではどういう現象が起きているのか、 人体の生理に添った「もっともらしい仮説」の集積であって、自分たちは普段、仮説を立てるのではなく、習った仮説を「思い出す」ことで、自らの見解を組み立てる。

仮説には、それが成立した先にある未来を予測することが求められるけれど、医学の授業で習う仮説はそもそも「その先」を内包していて、 診断が正しかった、仮説が正しかったのならば、それがどういう症状として、あるいは検査結果の変化として出現するのか、医師はそれを授業で習っているから、 患者さんに説明をすることができる。

仮説はもちろん外れることだってあって、仮説が外れたときにはそれを察知して、対策を行うことが求められるけれど、 診断が「外れた」場合の対処や、その時にどこまで診断をさかのぼれば問題を仕切り直せるのか、自分たちはそういうものを体系的に学んでいるから、 「病院の中で」「問題が病気であった場合」に限定すれば、医師が交渉のテーブルに着いたとき、ほとんどの場合「負けない」のだろうと思う。

本が出ます

昔から交渉ごとという問題が好きで、blog にはコミュニケーションに関する記事がずいぶん多かったのですが、 日常の業務を回していく中で、「こうすると上手くいく」というtips 的なものがいくつか見つかり、そうしたものを記事にすると、 肯定的な反応をいくつかいただきました。

「診断」と「治療」というものもまた、広義の「交渉」の一部であって、自分たちが普段やっている業務というものも、 交渉ごとを回すための技術として提案してみると、他の業界の方からも「参考になる」という声をいただき、 本にまとめてみることにしました。

ここに書いた「見解」を軸にした交渉技術、中断を前提にした交渉や、制約指向の考えかたで業務を回していくやりかた、 道具として、最初から「謝罪」を折り込んだ交渉技術など、ビジネス書として出版されている交渉ごとの本とは、 ずいぶん毛色の違ったものになったのではないかと思います。

来年もよろしくお願いします。