「もしも」の運用

あえて遠回りな問いを立てることで、より近い回答を得るやりかたについて。

たとえば「素人が3分間で朝青龍に勝てるやりかたを教えてください」なんて、格闘家の人にインタビューを行ったところで、たぶんたいした返事はもらえない。

それはそもそもが無理な問いだから、「無理」だとか「逃げろ」なんて返事ならまだいいほうで、「死んだ気で戦え」だとか、「素人でも余裕です」だとか、どうせ冗談にしか聞こえない、こんな問いには、いいかげんな答えしか返ってこない。

ところが「もしもあなたの息子さんが、今から3分後に朝青龍と戦わなくてはならなくなったら、あなたは3分間で何を伝えますか?」という質問を、いろんな格闘家に答えてもらったら、もう少し面白い返事がもらえるのだと思う。

「もしも」の状況に陥った息子さんに対して、たとえば格闘家としての自分のありかたを説く人もいるだろうし、とことん逃げるやりかた、「勝ち」というものの意味を教える人もいるかもしれない。あるいはそれでも、「戦うこと」にこだわって、拳の握りかただとか、有効な蹴りかたみたいな、3分という、ごくごく限られた時間であってもあえて伝えたい何かを、教えようとするかもしれない。あえて「もしも」を挟むことで、問題と、回答者との距離は遠のくけれど、思考の幅は広がって、役に立つ答えをもらえる可能性は、かえって高まるような気がする。

「あなたはどうしてこの製品を買ったのですか?」という質問に、本心を答えてくれる顧客は少ない。本当はイチローのコマーシャルを見たからなのかもしれないし、「色が黄色くて好みだったから」とか、それを買った理由というのは、もしかしたらつまらないものだったのかもしれないけれど、「なぜ」を尋ねられた人は、「性能が優れていたから」だとか、「他社製品よりも耐久性が高いから」だとか、もっともらしい話を創作してしまう。

「もしも」あなたが「普通のお客さん」だったら、何に注目しますか?という問いを立てると、回答者の視点をちょっとずらせる。「コマーシャルがいいんでしょう」とか、「これは近所の人がたくさん使っているから、つられて買うんでしょう」とか、そういう意見を集めてから、「もしも」を削除すると、役立つアンケート結果が得られる。

検察の人はときどき、「もしもあなたが犯人だったらどうしたか、想像でいいから教えてください」なんて説得する。「犯人」の想像を書き留めて、そこから「もしも」を削除すると、いい調書が作れる。

一般化はできないんだけれど、特定の状況で、「もしも」という言葉を上手に使うと、面白い結果が得られそうな気がする。