機械親和的な問題定義言語

正しい問いは答えを含んでいる

たとえば「このだるい身体を何とかして下さい」という問いには誰も 答えを用意できないけれど、「40代やせ型女性。半年前からの動悸、体重減少、 発汗。診断は?」なんて問われれば、国家試験前の学生ならば 10人が10人、「甲状腺機能亢進症」なんて答えを返す。

google 先生なんかはこのあたりもう少し優秀で、同じ単語を打ち込んで検索すると、 糖尿病とか、過敏性腸症候群とか、拒食症、癌なんか、他の鑑別診断も引っ張れたりする。

たぶん、世の中で「技術者」と呼ばれる人がやっていることの半分は、 問題を定義することで、残りの半分は問題を解決すること。 問題をより深く追求したり、あるいは技術をもっと先に進めるのは、 どちらかというと科学者の仕事。

原始的な言葉と流暢な言葉

大昔の植民地時代、いろんな国から白人の植民地に釣れてこられた人達は、 お互い言葉が通じなかった。

話せないのは結構つらいし、共通の言語セットになりうるのは、白人が 喋っている英語しかなかったから、彼らは何とか英語を学んで、 最初は単語と単語をつなぎ合わせて、そのうち原始的な文法が そこに生まれて、「ピジン英語」という、原始的な英語を作った。

ピジン言語は流暢さには欠けていて、その言葉は決して美しくは 聞こえなかったけれど、文法はシンプルで、学びやすかったのだという。

言葉というのは恐らく、違った分化が衝突したときに新しい「ピジン言語」 が生まれて、それが新しい集団の中で使われるようになると、 今度はより流暢な方向へと変化する。

いろんな業界で使われる専門用語、あるいはジャーゴンといったものは、 オリジナルな日本語に比べると、なんだか内輪感が強くて、 技術者同士はお互い打ち解けて話しているんだけれど、 その内容が外に伝わりにくい。

こんな変化は、たぶん言葉の進化としては正常なんだけれど、技術のタコツボ化を 生んでしまったり、あるいはその言葉があるおかげで、 解釈の混乱を招いてしまったり。

翻訳エンジンを駆使する子供

梅田望夫氏が以前、韓国の子供から英語の手紙をもらった経緯を文章にしていた。

英語もろくに話せないはずのその子供は、それでもインターネットの翻訳エンジンを 駆使して英語を書いていく中で、翻訳エンジンに乗っかりやすい韓国語というのを 独自にアレンジして、比較的流暢な英文手紙を書いたのだそうだ。

素直に英語学べよ、なんて思うけれど、こんな言葉の進化というのは、 たぶん今までの言語発達の方向とは逆に向かっていて、ちょっと面白い。

あえて自分の言語を崩して、機械により親和的な中間言語を作り出すというのは、 要するに、人間が機械というものを「衝突するに価する文化を持った相手」として いよいよ認識しはじめた、そんな意味あい。

翻訳エンジン、検索エンジンが相当程度に発達した現在、 専門分野を全て学ぶより、専門家でない人達の言葉を 専門領域の問題定義言語に変換できれば、 あとはそれを機械処理にかけてしまうだけで、答えを導く部分は機械任せにできてしまう、 もうそんな時代はとっくに来ていて、あとは言語定義の問題だけが残ってる。

具体案

たとえば年齢は10年ごとに10段階。「締めつけるような痛み」なんかは不可表現で、 「痛み。胸。締め付ける。」みたいな書きかたを医学部のある時期に強制してもらう。

症状を定義する言葉というのはそんなに多くなくて、病名につながる単語はせいぜい数百。

皮膚の色とか手触り、音やら触ったときの硬さやらを定義したって、必要な単語は、 いいところ3000ぐらいで済むような気がする。携帯電話なんかに入っている 「予測変換」の辞書単語数がたぶん2万ぐらいだから、それに比べても圧倒的に 少ない語彙でいけるはず。

それを実際に発音すると、たぶん原始人がしゃべっているような、 お世辞にも頭良さそうには聞こえない、そんな言語セットが作れる。

面倒なのは、普通「専門用語」といえば、今までの言葉からさらに語彙を 増やしていく作業になるはずなのが、 それとは逆に、極めて限定された語彙で、今までの日常会話を表現する訓練を する必要がある部分。それは恐らくは今までの語学の授業みたいには 行かなくて、医療なら「医療用問題定義言語」を学んだ人達と1週間ぐらい合宿生活をして、 その間に自分の語彙を減らしていくような、そんなやりかたをしないと覚えられないと思う。

人間側さえこんな言葉を覚えてしまえば、機械側の準備はある意味楽。

予測変換のやり方で、「次に来る単語」を確率論的に予測していくだけで、 たぶんそれなりの精度で病名にまでたどりつけるだろうし、ベイズフィルタみたいな ものを使って、打ちこまれた病歴から予想される病名を羅列しても行けそう。 いずれにしても、言語認識の部分を実装しなくてもいいならば、 そんなに大げさな話にはならないはず。

何ができるのか

医師のお仕事、「問診、触診を経て検査を出して診断を決めて、そこから治療プランを立てて…」 という流れの7割ぐらいが機械化できる可能性がある。

言葉の問題定義言語化というのは、恐らくは純粋に語学のお話で、 生理学とか、解剖学の知識は無くてもいいか、少なくとも今までよりも少なくて済むはず。

理学所見は?なんて疑問は当然でるけれど、たとえば鍼灸師の人達は、 医学なんかじゃなくて、気とか経絡とか、西洋医学とは違った立場から 身体を診るけれど、彼らは医師よりも短い養成期間で、医師よりも多くの語彙を駆使して 身体を表現できる。

それは医学とは全然違うものだけれど、「身体所見を機械に理解可能な形に翻訳する」 という工程には、少なくとも医学知識の出番はそんなに無いはず。

機械仕掛けの神様のこと

問題定義のための言語セットがその分野に実装されて、思考の全てか、 あるいはその一部を機械が手助けしてくれるようになって来ると、 今度は「専門家」というものの定義が変わってくる。

今までは、知っている人、語彙の多さが専門性を定義してきたけれど、 「何でも知っているけれど何もできない機械」が実体化するようになると、 今度は語彙をどう削り込むか、より少ない語彙でその問題を定義できることこそが 専門性を定義するようになる。

知の高速道路化。

「語彙の増やしかた」を学ぶよりは、恐らくは「語彙の削りかた」を習得するのはより簡単で、 たとえば医学なら、医学部6年を卒業するよりははるかに短い時間で、医師の真似事が できるようになる。そうなると今度は、たとえば理学部でネズミ相手に試験管振ってた人とか、 スパコン叩いて天体シミュレーション走らせてた人なんかがある日気が向いて、 ちょっと内科になってみました、なんてことが決して夢で無くなる。

いろんな専門分野に、いろんな言語セットが実装されて、専門分野を基礎から学ぶのではなくて、 自分が今知っている語彙から、機械にとって不必要な語彙の「捨てかた」を学ぶことで専門分野を 学ぶことに代えられる時代というのは、あらゆる分野の専門領域に「高速道路」が実装されて、 最先端分野の少し手前までは、ほとんど労力無く進むことができる。

高速道路が作られても、「その道を今まで歩いて来た」という経験やら、能力といったものは、 たぶんやはり必要になってくるはず。高速道路を降りた先では、やはり足で歩かないといけないから。

機械仕掛けの神様が君臨する近未来、高速道路を降りた原野には、 同じ道を歩いてきた均一な集団があるんじゃなくて、 山で足を鍛えてきた人、トラックスポーツ一筋だった人、本業は走りじゃなくて泳ぎだったり、 格闘技だったり、いろんな「鍛えた足」がそこに集まって、いろんな方向に向かって 多様性を競う時代が来る。

自分達が職を失うリスクはもちろんあるのだろうけれど、それはきっと、 すごく面白いことなんだと思う。