医療過誤裁判というもの

手元に集めたいくつかの本を読んで考えたこと。自分はもちろん、法律畑は全くの素人で、 幸いなことに、今までのところ、患者さんとの大きなトラブルに巻き込まれた経験はないものだから、 以下に書いたことは全て推測。

訴訟というもの

  • 民事訴訟は、平成9年から平成18年までの10年間で、597件から912件へと大幅に増えている
  • 審議に必要な期間は、東京地裁に医療集中部ができてから、平均30ヶ月かかっていたものが、15ヶ月程度に短縮されつつある

証拠保全から始まる

  • 原告側弁護士の人も、相談を受けて、まずは資料を集めないと話にならない。医療過誤裁判の場合、資料は全て病院の中にあるから、 訴状を作る前に、まずは証拠保全をして、資料をコピーして、話はそこから始まる
  • 原告の人が「あいつを訴えよう」と思ったら、まずはそれ以降の主治医との交渉を、止めないといけないのだという。 証拠保全の手続きというものは、病院に、一種の奇襲をかけるものだから
  • 証拠保全を行う手前の段階だと、そもそも資料が何もない。原告側弁護士に見せられる誠意と言えば、スピードが全てだから、 証拠保全の手続きというのは、ある瞬間にわっと行われるものなんだという。病院に連絡が入るのは、裁判所の人と弁護士、 コピー担当の業者さんとが全部集まって、病院に行く数時間前とかになるらしい。病院側からすると、本当に「急襲」されることになる
  • 裏を返せばたぶん、トラブルに陥った患者さんがいたとして、今までは定期的に交渉をしていたのに、ある日を境に、 潮が引くように何も言ってこなくなったら、これは訴訟の前兆と取ったほうがいいのかもしれない
  • 原告弁護士の人は、「こういう資料があるはずだから用意して下さい」という、検証目録というものを作って持ってくる。 問題になった状況ごと、疾患ごとのリストの模範例みたいなものがあるらしい。「リストに漏れがないように注意」と書かれていたから、 逆に言うと、リストに書かれていないものを、わざわざ病院側が出す必要はないみたい
  • 証拠保全はたいていこの1回が全部で、ここで重要な資料を押さえられないと、その裁判を継続するのは難しくなるらしい
  • 病院側は、請求された情報について、あるのに「ない」といってはいけないらしい。それが出せないなら、たいていは、 出せない理由を尋ねられて、証言として残る
  • これが刑事事件になると、弁護士の人ががコピーを持っていくのでなく、警察の人が、目についた全ての資料の原本を持っていく。 病院側が全部コピーを取っておかないと、以降の弁護活動がままらななくなる
  • 刑事事件だと、主治医は逮捕されて、最初は3日間、最大で23日間拘留される。警察の権限は絶大だけれど、 被疑者を拘束した23日間の間に、自白によらなくても有罪を確定できるだけの決定的な証拠を集めないかぎり、 刑事訴訟は勝てなくなってしまう
  • 23日間は、黙秘が出来る。取り調べの調書を取られても、サインしなくてもいい。そういう拒否一般は、全て裁判の上では、 被告の不利にはならないらしい

訴状というもの

  • 「訴えかた」みたいなのにはそれほどバリエーションがなくて、起きた損害それ自体に対する賠償請求、損害を避け得た相当程度の可能性に対する補償、 あるいは自己決定権の侵害に対する補償の、だいたいがこのどれかになるらしい。記載された損害を、病院側の責任であると立証するための論理が訴状であって、 それを裏付けるために証拠が保全されて、証言が行われる
  • 原告側にとって、証拠というのはたくさん積めばいいというものでは無くて、原告側弁護士が山のような証拠を積んで、 医師の過失と損害との因果関係があいまいになってしまって、意図した効果が得られなかったケースもあるらしい

争点整理と証人尋問

  • カルテがコピーされて、訴状が提出されて、両者の言い分がそろった頃から争点整理が始まる。今はほとんど文章で行われる
  • たいていの場合は、まずは医療者側が事件の経過を文章にまとめ、今度は原告側が、「原告の反論」欄に、意見の異なっている事項を書き込む。 それをもう一度医療者側が読んで、同意できる場所は自分の文章に取り込み、反論欄からその文章を削除する。そうでないものはそのまま「原告の反論」欄に残る。 残ったものが「争点」になる
  • 証拠保全があって、争点の整理があって、そのあと初めて、原告と、被告医師とが顔を合わせる証人尋問の場面がくる。 今は最初に「陳述書」というものを書いて、その日に喋る内容を、あらかじめ相手に通知しておくことが多いらしい
  • 医療訴訟の場合、原告側と被告側とで、医療の知識量に圧倒的な差があることがほとんどなので、被告側からごく簡単な陳述書しかもらえなくて、 当日になっていきなり、陳述書にないことをあれこれ医師に語られると、切り返せなくて大変らしい
  • マニュアル本には、「だから陳述書の内容には注意が必要」と書かれていてたけれど、裏を返せばこのあたりは、 請求されなければ、その日に話すであろう全てのことを書き記す必要はないのかもしれない
  • 文章でのやりとりが増えた昨今でも、証人尋問に際して、医師に対して原告側弁護士が反対尋問を行うときには、腕の見せ所みたいなものはあるんだという。 ミスを犯したとか、あるいは損害の責任は医師側にある、という言葉を引き出すような話術。ここの部分は逆に言うと、 被告の側がはぐらかしてもいい場面でもあって、裁判官の心証を害さないよう、原告側弁護士の人に言質を取られないよう、 「上手くやる」ところまでは、やっていいんだと思う

まとめ

考えてみればたとえば、「3年前からの疲れやすさ、2ヶ月前に尻餅をついてから腰が痛くなって、そういえばこの間の健康診断では脂肪肝と言われました。 2日前から頭痛がして、今日から咳が出るんです」なんて患者さんが外来に来て、「私が健康かどうか、はっきり証明して下さい」なんて言われたって 困るように、裁判官だって人間だから、膨大な診療経過と争点とを全部総合して、「正義がどこにあるのか証明して下さい」なんて言われたって、 やっぱりたぶん、「どれか一つにしましょうよ」なんて応えるんだろうと思う。

のどが痛いのか、それとも腰痛を何とかしたいのか、「どれか一つ」を決めてもらうのが訴状であって、 原告側弁護士の人が、その「どれか」を過失として付いてくるならば、被告たる自分たちの側は、 「膨大な全部」をそこで提示して、論点をなるべく小さく見せることぐらいまでは、戦術としてやってもいいような気がする。

「誠意はどこに置いてきた?」なんて突っ込みはきっとあるのだろうけれど、海外の本だとこのあたり、病院側が誠意を持って対応すべきときは、 訴訟になる手前の段階で、状況が裁判に移行した段階で、誠意という交渉ルールは、裁判という、別の交渉ルールに書き換わるのだから、 新しいルールに対応したやりかたをしないといけないんだ、といった内容が書かれていた。

裁判というルールでは、たぶん「ここ」という頑張りどころがいくつかある。あくまでも素人の妄想で。

  • 証拠保全の場面。原告側弁護士が用意する検証目録に記載のないものは、逆に言うと、出さなくてもいい。 「カルテ一式」なんて言葉はリストに書かれないから、診療記録とだけ書かれてたら看護記録は出さなくてもいいし、 血液生化学検査のリストが請求されていたのなら、わざわざ病理の検査を出さなくてもいいはず。 もちろん弁護士の人周到に準備してくるんだから、穴はめったにないのだろうけれど、わざわざこちらから穴を塞ぎに行く理由はないはず
  • 争点整理の場面。訴状を読むことで、原告側の勝利戦略みたいなものが見えてくるはず。それが「機会の損失」だったら、 たとえば病状説明の病者はごくあっさりと、一方で、実際の治療だとか、他科の医師と疾患に関して協議したないようだとか、 訴状が争点として掲げた部分以外の場所を恐ろしく詳しく記載することで、争点整理の書類を、状況の大部分は病院側が予見した とおりに動いて、原告の争点は、全体のごく一部であるかのように見せることが出来るかもしれない。相手が争点としている場所に、 こちらの全力をぶつけてみせるのは、裁判を「ゲーム」と考えたときには、あまりいいやりかたではないような気がする
  • 陳述書について。これもわずかしか記載しないと、原告側弁護士から、「これを述べて下さい」とか、突っ込みが入るらしい。 裏を返せば、突っ込まれなければ、たぶん陳述書には記載しなくていい。恐らくは、相手の論点を補強するために、ここを陳述してほしい という場所があって、それは訴状を読むことで予測が出来る。あえてそこを小さく述べて、他の場所を一生懸命喋る宣言を行うことで、 ある程度論点ずらすことは出来て、そこまでの範囲は、ルール違反ではないんだと思う
  • 反対尋問の場面。米国の本を読むと、「あなたはこのときの血液生化学検査の結果を見て、危ないと思いませんでしたか?」みたいな質問に対しては、 「血液検査の結果は○○でした」なんて、○○の部分には、その日に行われた全ての検査項目の名前と、その数字、単位まで、恐ろしく詳しく語れと書いてある。 結果全体に対する「感想」みたいなものは、むしろ語ってはいけないのだと。こういう会話のテクニックみたいなものは、恐らくは日本でも、 知らないよりは知っていたほうが、裁判をある程度有利に進められるのだろうと思う
  • こういうのはなんというか、相手に対する嫌がらせみたいな文脈でなくても、たとえば医学用語を「分かりやすく」噛み砕いてしまうと、 恐らくはこちらの意図したものは正しく伝わらない可能性があるし、過去の自分がどうしてそういう決断をしたのか、 今の自分はもう過去の自分でない以上、「分かりません」としか答えようがない。一般論としてどう思うのかを質問されても、 個々の事例を一般で語ることはやっぱり無理で、「答えられません」というしかないのだと思う