思考と暴力の相補性

父親が亡くなったとき、もちろん葬儀を行う必要があって、 大学の人達に葬儀社を推薦していただいた。

「先生ぐらいの方であれば、このぐらいの規模は必要かと存じます」なんて、腰の低い葬儀社の人が 相談に乗ってくれた。「800万円」の後半を請求された。すごい業績を残された方でしたとか、 大勢の人がいらっしゃいますから、大きな会場が必要ですとか、何だかいろいろ声をかけてもらったんだけれど、 よく覚えていない。

身内亡くなったばっかりで、みんな頭真っ白で、それでもさすがに、800万円の請求書見て目が覚めた。 払えるわけない。ハンコ押す一歩手前だったけれど、その日はお引き取りいただいて、 それでも葬儀の日程だけは、「いい人」達の提案に逆らえなかった。

夜になって、ようやくみんな考えた。「値切ろう」なんて話になって、翌日来ていただいて、 「お金払えません」なんて頭下げた。同じ条件で、200万円以上値引いてくれた。

大学出入りの業者さんだったし、何よりも思考が止ってる真っ最中だったから、 ボられてる可能性なんて、全く考えもしなかった。よくよく考えれば、 病院で紹介する業者さんとか、近いというだけで、その人達が「いい人」なのかどうかなんて、 誰も検証してないんだけれど。

思考止ってて、それでもそのくせ「世間体」なんてものにとらわれて、 暴れることすら放棄してガードを下げてる家族なんて、 葬儀社の人にとっては、きっと「いつものカモ」だったんだろう。

ワーキングプアに追い込まれる人

アメリカ医療があそこまで高額な理由が、未だによく分からない。

明日から、日本の健康保険が全て廃止になったところで、薬代だとか診察料だとか、 せいぜい高額になって今の3 倍。3 倍は高いけれど、健康保険料収めなくてもよくなるし、 家傾くほどの医療費使う人なんて、実際問題ごく一部だから、アメリカみたいな状況、 虫垂炎切ったら車一台買えるとか、ガン治療受けたら家買えるとか、あそこまでの状況が、 やっぱりちょっと想像できない。

アメリカ人の「信頼コスト」は高額で、だから医師の人件費も高いし、 医療過誤保険に加入するために、医師が支払う保険料もものすごく高い。そんな価格は、 たしかに医療費を押し上げる方向に働いているけれど、裁判おこして返ってくるお金を 差し引いたところで、アメリカには、病気になって保険が無くて、全財産吹き飛んだ人とか、 何だかたくさん報道される。

NHKの「ワーキングプア」特集で取材されてたアメリカ人は、みんな「いい人」っぽい印象だった。

あれが「いい人なのに割を食う」なんて、テレビ局側の文脈でそういう人が選ばれてたのか、 実際に「いい人から割を食う」現象が起きているのか分からない。案外「いい人」がたくさんいて、 とりあえず裁判おこして医療費棒引き狙う人とか、アメリカでも実はそんなに多くないんだとしたら、 やっぱり「いい人からワーキングプアに突き落とされる」流れというのがあるんだと思う。

裁判というのは、むき出しの感情がぶつかりあう場所だから、ものすごく疲れるらしい。

裁判に巻き込まれた医師は、例外なく疲れ果ててる。そのあたりはそれでもお互い様で、 訴えるほうもまた、本来裁判というものは、すごく疲れるものなんだと思う。 疲れるけれど、そこで「いい人」に甘んじてしまったその時点で、たぶんその患者さんは、 あとは「いいカモ」として、「嫌な人」のコストを上乗せされた、莫大な請求書を回されてしまう。

病気みたいな、思考を止めざるを得ない状況で、その人が「暴力」というカードを切れないのなら、 たぶん「カモ」として身ぐるみはがされる。そうなりたくないのなら、何をしていいのか分からなくなったときには、 だから目の前にいる「考えてそうな誰か」に対して、とりあえず暴力をふるうべきなのだと思う。

暴力の対価はパズル

能力だとか、立場だとか、もしかしたら絶対的な、少なくとも状況に応じた序列というものは、 確実に存在するし、そこを認めるところから始めないといけない。

系を安定に保つためには、「上」と「下」とが相互作用する必要があるけれど、それを 言語で行ってはならないのだと思う。言語というのは「水平」方向の道具であって、 お互いが同じ思考リソースを持っていることが、対話が成立する上での前提だから。

階層構造が前提となっている系においては、「下」が「上」に発信すべきは暴力であって、 「上」から「下」に発信するシグナルは、思考を強要されるもの、パズルにならないといけない。

言葉を発信するためには思考が必要で、思考を行い得ない状況に追い込まれた人に、 「言葉で話せ」なんて要求するやりかたは、なんかおかしい。

「下」の人はだから、「上」にいる人に、暴力という形で苦境を訴えないといけないし、 「上」は暴力を避けたいのなら、「下」が思考を行える状況、暴力に報いる対価として、 パズルを提供することで、暴力は思考によって補償され、暴力が消失した系は、ようやく安定するのだと思う。

お金にはたぶん、思考を促すお金の使いかたと、思考を封じるお金の使いかたとがあって、 お金で思考を封じたり、あるいは思考を引き出す報酬系を作れなかった「上」は、「下」の暴力を抑えられない。

暴力振るう側が訴えるべきもまた、「暴力が嫌なら、我々に思考をさせろ、思考に対価を与えろ」であって、 単純に「お金」だとか「生活」みたいなものだけなのは、何か片手落ちだし、それだけだとたぶん、 問題は解決しない。

問題を切り分ける能力というか、パズル生産力というか、能力を持った人、 階層の上位に座る人に課せられた義務というのは、単純に「雇用」だとか「給与」を 分配することではなくて、系全体に問題を切り分けて、みんなの思考を引きずり出すことなんだと思う。