イメージの作りかた
正しさと広がりやすさ
- 引用のしやすさや、記事の書きやすさを意識した情報発信が大切。正しさを意識した文章と、 広がりやすさを意識した文章とでは書きかたがまったく異なる
- 「問題点は3つ」みたいな、項目の箇条書きは有効。たとえ新味に乏しい内容であっても、 引用しやすく、記事にしやすい情報は広がりやすい
医療崩壊系なんて言葉で括られる医師blog は、どこも緻密な論考を行っているけれど、 文章が長く、単語が厳密に定義づけられ、過去の流れを知らないと現在の論旨が理解できない。 このことは「一部を引用して何かを書く」という操作を困難にして、 「メッセージの広がりやすさ」という点で大いに損をしている。
個人の力を信じる
- 誰かの影響力を期待しようと思ったならば、団体でなく、その団体を動かしている個人に狙いをつける。 団体当てのメッセージは無視されてゴミ箱に直行する。個人当てのメッセージは、少なくとも その人のメールボックスまでは必ず届く
- 好意的な紹介をしてくれた人に対しては、必ずお礼の意思を表明する。 どんなに見えすいたお世辞であっても、 好意的なメッセージというのはその人を強力にドライブする
うちなんかで、何らかのメッセージをいただけるのは、閲覧者数万人に一人といったところ。 マスコミのような巨大な実世界メディアでは、恐らくこの確率はもっと低い。メジャーな業界で 仕事をしている人ほど、個人から寄せられた励ましのメッセージは強力に働く可能性がある。
「またマスゴミか」とか、「厚生官僚馬鹿すぎ」みたいな総括は、相手へのメッセージとして全く 浸透しないだけでなく、味方陣営にも強力な思考停止をもたらして、何らメリットを生じない。 敵対する団体から「味方する個人」を切り出して、 その人を交渉のチャンネルにする努力を続けるべきだと思う。
イメージを想起する単語の力
- ボスニア紛争をめぐる情報戦でセルビア側を「悪者」へと追い込んだのは、 「民俗浄化」と「強制収容所」という単語の力だった
- 「セルビア側の殺人は民族浄化、セルビアの捕虜収容所は強制収容所」。 一人歩きした単語は「ナチスドイツの悪行」とセルビア人とを結びつけ、 セルビア空爆へと世論を誘導していった
- 世論誘導のポイントは、作り出した「事実」を押しつけるのではなく、すでにある事実のなかで、 注目されはじめているものを一面的に誇張すること。物語は相手に作ってもらう。「民族浄化」や 「強制収容所」という言葉はナチスを連想させるけれど、PR を行う側はそこまで踏み込まず、 聞く側に想像させる。言葉の定義があいまいで、いろんなイメージが膨らむ言葉を選ぶ必要がある
- 訴える言葉を選んだら、そのイメージを最大限に膨らませる画像を作る。ボスニア側のPR 会社は、 遠くにある無関係な有刺鉄線を背景にしてやせた男の写真を撮ることにより、 アウシュビッツを想像させた
- 欧米社会では、ナチスドイツのユダヤ人迫害を連想させる言葉に対しては、 だれも反対できないのだという。アメリカ限定で効果があるのは「環境」なのだとも
このレッテルを貼られてしまったら、 誰も擁護することができない、そういう性質の言葉を探して、 相手のイメージをその単語に結び付けるのが基本戦略。
「現場の医師は全力を尽くしたが、医療は崩壊した。誰の責任なのか?」
「医療崩壊」という言葉は強力なメッセージだけれど、今は医療者側のイメージと、 報道側のイメージとが乖離していて、十分な力を発揮していない。
「崩壊」をイメージさせるのは、たとえば誰もいなくなった病院で一人男泣きする老医師とか、 垢じみた白衣を来たまま、疲れきった表情で閉院した診療所を後にする医療者といった画像。
「崩壊」という言葉には、本来「その後」は無い。「崩壊を期待する」とか、 「崩壊の後」なんて議論は、この言葉を武器として使うときには逆効果。
医療崩壊をめぐる勝負は将来、世論の憎悪を吸収した 「医療崩壊の責任者」という強力な呪い札をめぐる、 医療と法曹、マスコミと官僚との壮絶な押し付けあいの局面を迎える。
「崩壊万歳」なんて同業者のメッセージは、一つの例外もなく消去しておかないと、 医療全体にとって命取りになる。
分割によるイメージ操作
- 欧米の「対テロ戦争」では、イスラム教徒全体を敵に回さないよう、 「大多数の良いムスリムと、一部の悪いムスリム」とを区別している。これが失敗すると、 「全ムスリムと全キリスト教徒との戦い」という最悪の物語が起動してしまい、戦争を仕掛けた側が 悪役になってしまう。
- アメリカは、最終的にはイラクを分割統治することを考えているのだという。 イラクという国が無くなれば、イラク戦争という概念もなくなり、問題は歴史に埋没する
古池や蛙飛び込む水の音
カエルが池に飛び込む「音」を聞くことで、芭蕉は初めて「静けさ」に気がつく。 対照するイメージは強力。
一部の患者さんを「悪い」認定することで、残りの大部分は「自分達はいい人なんだ」と 気がつく。「悪い患者さん」を医者が叩く。それだけのことで、「いい患者さん」は、 自分達の「良さ」を知らせてくれた医師に感謝する。
現場を支える患者思いの「白い医者」と、崩壊を期待する「黒い医者」。
味方を分割することで、相手の攻撃を「黒い医者」に集中させて、味方全体の「白さ」を主張する、 そんな戦略が取れるようになる。問題がこじれてきたとき、自分達を無数の立場に分割して、 「医」という言葉を世の中から消すことができたならば、医者に対する敵意なんてすぐに霧散するだろう。
みんなが信じたいものを見せる
- ボスニア紛争では、当時の国連事務総長と、 カナダの将軍とが「悪いのはセルビア人だけではない」という主張を展開したが、 結果として世論を敵に回した彼らは失脚した。自分の目で見た真実を主張した彼らは、 一般大衆が真実だと信じたイメージに敗れた
- アフガン侵攻を行ったアメリカは、ラディンが主犯であるという「証拠」のビデオ映像 を公開したが、それは信憑性が確認できないものだった。ブッシュ大統領は 「そんなものを疑う者は、テロリストの味方だ」と宣言して、批判に取り合わなかった
重要なのは真実などではなく、真実だと信じられているイメージ。 イメージに対する瑣末な批判は、こちらに勢いがあれば何ら脅威にならない。
取るに足りない厄介ごとへの強力な対応策は相手にしないこと。 困ったり腹をたてたりする様子を見せれば、問題を認めたことになってしまう。
世論=患者さんを味方につけるイメージを考えなくてはならない。
大多数は「いい患者さん」で、ごく一部のそうでない人たちが、医療をここまで悪くした
給食費を払わない親の報道があそこまでウケたのは、「給食費を払うあなた 達はなんていい人なんだろう」というメッセージを、多くの人が読み取ったから。 「根本的な問題は貧困」とか、「日本人全体のモラル低下」とか、堅苦しいテーマは 面倒くさくて。
実際に「悪い患者さん」が何人いるのか? そもそもそんな人ぐらいで医療が崩壊するのか? こんな瑣末なことを批判する「誠意ある医師」など無視すればいい。 大切なのは「あなたがたはいい人」というイメージ。定量的なデータなど誰も興味を持たない。
中立を減らす 味方を増やす
「賛成してくれる人」と、「反対しない人」とは違う。
世の中には敵と味方以外に「どちらでもない人」という最大派閥があって、 この人達を引っ張り込めれば、たとえ敵の数が多くても、数の差をひっくり返せる。
- 世の中を「いい人」「悪い人」の2元論世界観で表現する
- 反対しない人をみんな「いい人」認定して、自分の味方を増やす
- 冷静な批判的意見は、説得するよりも無視するように努力する
圧倒的少数が正しさを通すとき、最後に役に立つのは、 やっぱりこんなやりかたなんじゃないだろうか。