猜疑心村の診療所

ときどき酔っぱらった人を診察する。様子がよく分からなくて怖いから、 「朝まで様子見ませんか?」なんて水向けるんだけれど、「俺は大丈夫だ」とか 宣言して、たいていお金踏み倒して帰る。それでも無事ならばいいんだけれど、 日本のどこか別の場所では、「大丈夫」で帰って亡くなってたりするから、 朝まで怖かったりする。

「おまえは冷たい」だとか、同じく酔った友達の人になじられる。

診るほうだって殴られたりするから、「帰る」という人を無理には止められないし、 帰るなら帰るで、同意書みたいなもの書いてもらわないと、身を守れない。 そういう態度は、たしかに何だか官僚的で、「冷たい」ものに見えるのかもしれない。

冷たくしてるというよりも、むしろ恐怖に震えてるんだけれど。

医療過誤保険のこと

アメリカの医療費は高い。医師の報酬もまた高い。医療過誤に対する保険料はもっと高い。

アメリカの救急医は訴訟が多くて、賠償金額も高いからなのか、医療過誤保険の保険料が、 年間1800万円とかするらしい。保険料高すぎて、払い倒れてフードスタンプをもらっている医師がいるらしくて、 年収2000万円もらっているのに、家賃払えないとか、笑えない。

日本の医療過誤保険は、学会で推薦してるようなものでも、年間せいぜい7 万円ぐらい。

国が違うから単純な比較はできないけれど、保険料の1800万円と7 万円の差というものが、 恐らくはその地域の「信頼のコスト」なんだと思う。

信頼のコストは、そのコミュニティの中で、もっとも猜疑心が大きな人が決定する。

誰かを信頼しやすい、「良心的な」人がいくらたくさんいても、 猜疑心の最大値が下がらないかぎりは、一度上がった信頼コストを下げるのは難しい。

「低信頼コスト村」の作りかた

「低信頼コスト村」作ってくやりかたというのは、たとえば保険会社だとか、 ちょっと前の、「神奈川方式」をやってた頃の高校入試とか。

一応ゴールド免許を持っているけれど、うちの自動車保険料は高い。 乗っている車が古くて、エアバッグもついていなくて、「持ち主に事故が多い」 車に分類されているから。

自動車保険は、事故を起こした人にお金が支払われるシステムだから、 特別に事故が多い、あるいは最初から事故を起こすのを前提にしている人の加入を許すと、 保険会社の持ち出し金額が増加する。自動車保険はだから、乗っている車を用いて、 その人の「信頼コスト」を計算して、統計的に事故が多い、「信頼できない」人が 多く乗っている車に対しては、保険料を高額にして対処する。

「購入した車」というのは、その人の信頼を推定する材料としては不完全だけれど、 保険会社が作り出した「低信頼コスト村」は、たぶんそれなりに機能している。 安全運転してるつもりなのに保険料高いのは、やっぱり納得いかないけれど。

アメリカの、民間健康保険のサービスは、所得に逆比例するところがあって、 富裕層向けの保険商品ほど、コストあたりのサービスが優れていて、低所得向けの商品は逆に、 値段が高いくせに、保険でできることというのが、限られてたりするらしい。

富裕層は気前よく保険料を支払うし、そもそも健康に気をつけるから、病気になりにくい。 「裏切らない」ことに対して、保険会社も信頼するから、健康保険はサービスよくて、 一方で所得が低い人というのは、恐らくは病気になる機会が多かったり、 自分の健康に対してそこまで気を遣うだけの余裕がなかったりで、結果として病気になりやすい。 低所得層向けの健康保険は、だから使えるサービスが限られて、支払ったお金の割に、サービス悪いらしい。

「神奈川方式」の高校入試は、中学校時代の成績順に、生徒を区切っていく。 成績上位グループは、受ける高校の選択幅が多くて、受験するときの倍率も、極めて低い。

その代わり、当時「底辺高」なんていわれてた、受験生を偏差値で区切った下位グループになると、受験倍率が跳ね上がる。 「そこ」という高校以外に受験可能な選択肢が示されなくて、そこに行くと、かけ算できない同級生だとか、 卒業する頃には同級生が2割ぐらい少なかったとか、すごかったらしい。

「猜疑心村」の診療所

「猜疑心を放棄すること」に利益が生まれるような市場設計ができればいいなと思う。

信頼のコストは地域によって様々で、自分たちが今働いている場所は、それでもまだまだ 信頼コストが安いほうだけれど、近隣の高コスト地域から病院が撤退して、うちの外来に来る人も、 顔ぶれがずいぶん変わった。

信頼コストが極端に高い「猜疑心村」では、医療のありかたがずいぶん変わる。

問診だとか聴診、エコーみたいな、術者の技量だとか、患者さんの状態によって 信頼確度が変わる検査は、怖くて施行できなくなる。

CTスキャンだとか心電図、採血検査みたいなものは、基本的に誰がオーダーしても 同じような結果が得られるものだから、「猜疑心村」の診断は、 むしろこうした検査で考えないといけないから、どうしたってコストがかかる。

病院に来る人の顔ぶれも変わってくる。

「猜疑心村」では、何か症状を訴えてくる人は相対的に減少して、むしろ「何もないこと」を 買いに来る人、自分が健康であることを証明してほしいだとか、とりあえず保険で健康診断をしてほしいだとか、 そんな訴えの元気な人が増える。

西洋医学は本来、症状で始まる学問だから、「ない」を証明することは、極めて難しい。それをやるためには、 目的のない、詳しい検査をたくさん出して、全てが正常であることを確認するやりかたしかできないから、 医療費は高騰してしまうし、「普通の診察」買いに来た人にも検査が乱発されてしまうから、 「普通の人」の満足度は、たぶん信頼コストの増加とともに下がってしまう。

恐らくはどこかのタイミングで、施設ごとの「囲い込み」みたいな戦略がとられる気がする。猜疑心の高い住民を 排除して、病院ごとに「低信頼コスト村」を作るやりかた。規模の小さな病院から、「村」を作って患者さんを囲って、 地域の基幹病院に、「猜疑心村」の管理をお願いする。

多かれ少なかれ、今地域の公立施設は「猜疑心村」になっていて、そこで仕事を続けるのは大変なんだとか、 いろんな話を聞く。みんな「暖かい」「人間的な」対応を求めて病院叩いて、叩かれた側は怖いから、 対応はますます官僚的な、画一的なものにならざるを得なくて、信頼コストは跳ね上がる。

公立施設はどこも厳しくて、中の人達が地域の猜疑心に疲弊して、後任もなかなか決まらない。 うちの地域もまた、基幹病院が吹き飛んだあとのことを考えると恐ろしい。

その時自分はまだここにいられるのか、正直自信なかったりする。