建築物としてのルール

去年以降診療報酬が改訂されて、ベッドあたりの看護師を、一定以上の人数確保した病院は 「いい病院」と認定されて、入院基本料を多く請求できるようになった。

この制度で得られる補助金は、経営方針変えるぐらいに大きなものだったから、 大学病院だとか、地域の公立病院なんかが真っ先にこれに飛びついて、地域の看護師を引き抜いた。 うちみたいな民間はあおりを食って、主任クラスのナースが引き抜かれて、えらい目にあった。

ところが今年になって、施設の審査基準が厳しくなった。看護師引き抜いて基準クリアして 補助金もらってた大規模病院は、一転して補助金もらえないことになって、今度は赤字に苦しむことになった。

赤字が出るなら、増やした人を使い回して、ベッドブン回して、赤字分「稼ぐ」のが筋なんだけれど、 補助金ルールが駆動してると、「稼ぐ」とかえって不利になる。

ベッドあたりの看護師をもっと増やせば、また補助金が出る。 地域にの看護師さんは、もうこれ以上増えないけれど、ベッドを返上して、ベッドあたりの看護師 を見かけ上増やしてしまえば、また補助金で一息つける。

地域の大きな病院は、今だからベッドを削りはじめて、本来500床あるのに稼働350床とか、 ベッドがたくさん余ってる。引き抜かれた看護師さん達仕事無くて、ヒマらしい。

働くほどに赤字が増えて、働けないから患者があぶれて、うちみたいな施設に重症の人が殺到する。 午前と午後で、同じベッドで患者さん二毛作したりして、先月の稼働率は100%を一瞬超えた。

なんか間違ってる。

「よさ」の疲弊とルールへの不信

なんというか、真っ当な商売やらないでお金につながるルールは、そもそも作っちゃ駄目だろと思う。

官僚の人達は、「ナースがたくさんいるのがいい病院」だとか、何か「いい」を定義して、 補助金使って、病院をその方向に向かせようとしているんだろうけれど、 大きすぎる力で「いい」を目指して、今は空きベッドの山。

せっかく集まった看護師さん達が仕事しようにも、仕事始めたらベッドが埋まって、補助金吹き飛ぶ。 ルールはどうせまた変わって、今みたいなゆがんだ状態は許されなくなるんだろうけれど、 ルールを変えれば変えるほど、「いい病院」はますます遠くなる。

ルールへの不信感が高まると、現場は「馬鹿」になる。

ルールを作った人のアイデアを読み取って、理解することを放棄して、ルールの中で、 目先の利益に一番つながりそうなことだけを行って、理念とか、アイデアの実現を放棄する。 上から見るとその様子は、たぶん「下々」の知力が劇的に低下して、馬鹿の集まりになったかのように映る。

たとえばスポーツなら、「ルールが変わらない」ことが宣言されてからでないと、 監督の人達は、戦術を考えられない。

サッカーみたいなスポーツは、もちろん細かいルールは時々変わるのだろうけれど、 ルールの基礎部分、それが「足を使うスポーツである」とか、 「丸い球を使う」であるとか、根本的なことは絶対に変えられない。

「明日から手を使ってもいい」だとか、ゴールの大きさが毎日変わるだとか、 サッカーが審判の気分でルールが変わるスポーツだったら、チームは戦術を作れない。 「戦術を組む」ということは、ある変わらない状況にチームを特化することだから、 「ルールが変わる」のが前提になってしまうと、もはや戦術を組むことそれ自体が、 チームの能力を落としてしまう。

選手もまた、特定の戦術にあわせたトレーニングが行えない。「毎日ルールが変わるサッカー」なんて スポーツがあったとしたら、選手はたぶん、闇雲に筋トレするぐらいしかできなくて、 試合はたぶん、チームプレイとは無縁な、集団格闘技みたいなものになってしまうはず。

国の人達は、「民間の活力」とか、期待を表明する割には、ルールをコロコロ変える。

ルールが変わるから、民間は怖くて参入できないし、ルールが変わるから、「選手」たる 研修医は、今どうしていいのか分からなくて、内科だとか外科だとか、 独り立ちするのに時間のかかる科から離れてく。

建築物としてのルール

医療なら、「患者さんを診察することで対価が発生する」ことと、 「何らかのリスクを取ることで対価が発生する」ことというのは、 ルールの基礎として、絶対に変更してはいけないのだと思う。

建築物には、階層化された「ルール」がある。絶対に変更してはいけない「基礎」だとか「構造」、 専門家がきちんと関与するなら変更可能な「外装」や「空間設計」、 住宅を購入した人が自由に変更できる、家具の配置だとか、建物それ自体の使いかた。

素人が基礎を掘り返すことが認められた建物は崩れてしまうし、 家具の配置を変更するのにも、役所への申請書類が必要な建物には、たぶん誰も住み着かない。 建造物が、ユーザーとの相互作用を継続していくためには、だから「ルールの階層性」と、 「基礎の普遍性」は、絶対に外せない。

今は何だか毎日のように新しいルール。ベッドのルールはまた変わるみたいだし、安全だとか救急体制だとか、 とりあえず学会が間に合わせてたところに「国家公認」の勉強会が 主催されて、ただでさえ人の少ない現場から、1週間単位での「研修」とか、無茶な要請来たりする。

行政は何だか、「家具の配置」を変えるために、建物の基礎を傾けようとしている印象。

企業単体の努力で何とかしようとすると補助金減って、「勉強会」開いたり、 使いもしない「院内マニュアル」作ったり、行政にアピールする不思議な踊りみたいなものを披露すると、 何故だか補助金がざぶざぶ振ってきて、病院がいきなり潤ったりする。

子供の「手術」見てるみたいだなと思う。

生物学知らない子供が、カエルつかまえて「手術」して、本人はカエルに良いことをしたと思ってるのに、 実際にはカエルの死骸が出来上がる。カエルの本音は、「ほっといてくれ」なのに。

「変える」のとりあえず止めといて、「ここは変えませんから」を、まずは宣言してほしい。

毎日のように形の変わる「基礎」の上になんて、誰も新しい住宅立てようなんて思わないと思う。