リストに載らないパラメーターについて

ちょっと前、「腹をくくればどうにかなるよ」なんてネットに書いて、翌日当直は歴代最高人数を超えた。

医師の転職サイトを見ながら考えたこと。

「劣っていないこと」には意味がない

患者さんは確実に増えている。高齢化も進んだし、田舎の地価は安いから、老健施設の数も増した。高齢者の紹介はどうしたって増えて、一方で、近隣施設は人手が減って、入院を絞りはじめた。人が足りないのなら増やせばいいのだけれど、田舎というのは人がいないからこそ田舎であって、口を開けて待っていたところで、人なんてやってこない。

隣の芝生は青いから、疲れたとき、医師向けの転職サイトを時々眺めたりもする。いろいろリストアップして、今いる施設の待遇それ自体は、世間の相場みたいなものからは、決してそんなに離れていないのだな、なんてことを確認する。

いろいろ条件を変えて検索すると、今いる場所よりも少しだけいい待遇を用意している施設はたくさんあるし、その逆もある。良くも悪くも、リストに載った施設は条件を揃えてくるから、リスト化は横並びを招いて、誰も知らない素晴らしい楽園みたいな場所は、よしんばそれがあったところで、検索リストからは探せない。

リストに載って、他の施設に劣らない待遇を提示したところで、「一番でない」施設は、目に入らない。リストの中位にある病院は、トップ病院の価値を下支えする役割こそ担っているけれど、そこにいることは、その施設にとっては意味がない。無数の選択肢に埋没した施設は、どれだけ待ったところで、検索された人にフックしないから、人の流れを生み出せない。

正解はルールの外側にある

リストに載った者同士の競争は、一番にならない限りは意味がない。ならば待遇を改善して、検索リストの中から「頑張って一番を目指す」やりかたはどうかと言えば、効率が悪い。

これをやったら病院は赤字になるし、「頑張った」結果として、人ではますます必要になってしまう。競争を行っていく中で、相手が用意したルールの中で努力するというやりかたは、恐らくは最悪に近いもののひとつで、正解はたぶん、ルールの外側で、「一番でいられる場所を探す」ことなのだと思う。

リストに載った時点で競争になって、競争になったら、1番以外は無数の選択肢のひとつにしかなれない。じゃあリストに載らない場所で、自分の施設に導線を退ける場所はどこかと言えば、それは一から自分で作り上げた場所やものであって、インターネットという場所は、そういう意味で、自分の場所を作ったり、何かを発信したりするコストが安くて、「自分の場所」を作りやすい。

就職活動みたいなものもリスト内部での競争を強いるものだし、これが一芸入試みたいな形を取っても、そういうルールの枠内で勝負する限り、ずるはできない。他人から見て「ずるい」と思われるやりかたこそがたぶん正解であって、競争が激しい場所ほど、「ずるができる場所」を探す意味が増していく。

ネットワークとの親和性

勉強の成績や資格、作ってきた成果というものは「経験」であって、経験というものには、「ネットワークとの親和性」というパラメーターがある。

ネットワーク親和性の高い経験というものは、たとえばプログラマの成果物なんかはもちろんだけれど、もっと「人間」よりの、何かをマネージメントした経験なんかも、ネットを通じて発信しやすくて、しかもそれを必要としている誰かの目に届きやすい。

一方で、何かの資格を頑張ったとか、積み重ねる系統のものは、ネットとの親和性が悪い。資格はリストに載っかりやすいから、それはリストに載るための入場券にこそなるけれど、「ずるい場所」のコンテンツとして用いるためには工夫が必要で、「こんな資格を持っています」と発信したところで、読者はたぶん面白がらないだろうから。

ネットワークとの親和性は、「見せかた」で高めることができるし、どれだけ貴重な経験をしたところで、見せかたが悪ければ、経験は力を失ってしまう。

たとえば 「私は100人のサークルを率いていました」と聞いても、ふーん、としか思わない。100人は単なる数字であって、実際問題、その人がそれを通じて何を得たのか、伝わってこないから。

これをたとえば、「100人を率いるとこんな問題が出てきて、こういうことを知っていないと、内乱が起きて大変なことになるんです」と話す人なら、思わず身を乗り出して1時間ぐらい正座したくなる。同じ「100人」でも、ちょっとした工夫で、コンテンツとしての価値は何倍にもなる。

つまらないことを面白く

プログラマの人たちは、「こういうWebアプリケーションを書きました」という記事を書く。生み出した成果はそのままコンテンツであって、読者はその人の成果物に直接触れて楽しむことすらできる。これがたとえば、「地道に勉強して資格を取りました」とか、「筋力トレーニングを2週間続けました」みたいな経験になると、見せかたを工夫しないと、人の導線は生まれない。

裏を返せば、ネットワーク親和性の高い経験は、発信の工夫が少なくてもいいけれど、そのことがまた競争を生んで、面白さがリスト化されてしまう危険がある。資格の獲得や、筋肉トレーニングのような、一見すると「つまらない」何かを、思わず身を乗り出して聞きたくなるようなコンテンツとして公開できれば、その場所は唯一無二になる。

ホームページで、自分もそのうち求人広告を出すことになるんだと思う。

誰かに入ってきてほしい場所として、ならばうちの施設には何があって、それがどう面白いのか、まずはそこから考えないといけない。「この疾患の専門施設です」だとか、「ベッド数がどれだけです」みたいな、検索できる情報ではなしに、自分がこの施設で暮らしていて、じゃあどんなところを面白がって、どうしてここに自分がいるのか、そんなことを面白く語れればいいのだけれど。