正しい手続きが腐敗する

脳出血を合併して亡くなった妊婦さんの事例に思ったこと。

亡くなった方は、きちんとかかりつけのクリニックを持っておられて、 そこで勤務する医師もまた、患者さんを正しく診断して、 正統な手続きのもとに、地域の基幹病院に助力を要請した。

全てが正しく行われたにもかかわらず、あるいは、正しいやりかたが重ねられた 帰結として、「受け入れ可能」を表明する病院が見つからなくて、受け入れに時間がかかった。

正しくなければ速かった

最初に「受け入れ不可能」の返事が返ってきた段階で、救急車でなくタクシーを呼んで、 「大学の救急外来に飛び込んで下さい。うちのクリニックのことは伏せて」なんてアドバイスしたなら、 診療が開始されるまでの時間は、もう少しだけ速くなったような気がする。 若い方の脳出血だから、やっぱり予後は厳しかっただろうけれど。

全て正しい手続きで紹介された患者さんに対しては、医療者側もその施設にできるベストを尽くして、 確実に結果を出さないといけない。今は「確実」のコストは急騰しているから、 病院の対応もまた、ガイドラインにがんじがらめに縛られた、杓子定規なものにしないといけない。 「正しいやりかた」は往々にして難しくて、それが夜間なら、なおのことそれができる施設は減る。

紹介するまでの過程が正しければ正しいほどに、結果として、その正しさに応えられる施設は減ってしまう。

飛び込みできた患者さんに対しては、手持ちの資材で対応せざるを得ない。 施設としてなんの準備もできない状態から始まるから、それはどうしても 緊急避難的な対応になってしまうだろうけれど、大学みたいな場所ならば、 たとえ休日の夜間であっても、まだ緊急手術に参加できるぐらいの人は残ってる。

緊急避難的な対応は、もしかしたらその施設にできるベストには遠いかもしれないけれど、 たいていはそれで十分どうにかなって、少なくともたぶん、正しい手続き踏むよりは、診察できる可能性は高かった。

負ける代わりに機会を得る

「確実さ」のコストが天井知らずに上昇すると、どんな形であれ、信頼コストの 一部を放棄した人には、そのことによる見返りが期待できる。

ところが医療は平等で、信頼性というものは、高いほうがもちろん正しいから、「抜け駆け」は難しい。

紹介状無し、タクシー飛び込みできた患者さんは、正しい手続きを一切放棄しているわけだから、 病院に来た段階で、患者さん側には落ち度が発生する。

「どうしてこんな真似するんですか! 死にたいんですか!」なんて怒られたって文句言えないし、 仮にその病院にできるベストな診療が受けられなかったとしても、正しい手続き踏んでないんだからしかたがない。 そうした患者さんは、病院の門をくぐった段階で、いわば病院に「負けた」状態を受け入れざるを得ない。

最初に「負け」を認めた人に対しては、だからこそ医療者側は、堂々と「緊急避難」を開始できる。

情報無いんだから、仮にそれが妊婦さんであってもCTを撮らないと分からないし、 救急外来もまた、「とんでもない人がいきなり飛び込んできたから」なんて、 全部を「患者さんのせい」にして、当直している全員に声かけて、 病院内のあらゆるリソースを、その「負けた人」に突っ込める。

「タクシー飛び込み」は、かかりつけ医の情報に期待できないし、病院だって準備できない。 それは受診する患者さんの不利益がとても大きなやりかただけれど、見返りとしての診療機会の向上は、 今は「正しくない」デメリットと、釣り合うどころかおつりが来るぐらい、メリットが大きな気がする。

病院どうしがお互い正直で、参加する医師すべてが良心的であることが前提に組まれた 病院間ネットワークというものが、そもそも成り立ちからして欺瞞的なんだけれど、 最近はなんだか「公式ルート」はますます細って、 大学の同窓会名簿だとか、医局のOB会名簿に頼る機会が増えてきた。

「久しぶり。僕先輩だよね。先輩だよね。先輩だよね。で、こういう患者さんがいてね…」みたいな。

なんか病んでる。

どうすればいいのか

診療報酬をゼロにすればいいのだと思う。

信頼の需要は増える。現場を回す医師の数は減る。みんな責任回避して、 細った「公式ルート」には、あらゆる重症患者が殺到する。

「公式ルート」の危険度はますます上がって、それを受けられる病院は、たぶんそのうち存在しなくなる。

正しい手続きが見返りとして求める極めて高い信頼性が、結果として、患者さんから診療機会を奪ってしまう。

機会を昔どおりに分配しようと思ったら、だから施設同士の責任移譲を事実上禁止して、 高価になった「責任」というものを、なるべく多くの医師で分配することを考えないといけない。

いくら「禁止」を明文化したところで、それこそ医院の近くに救急車呼んで、「自分の名前は絶対出さないように」なんて 言い含めたりすれば、禁止条項なんていくらだって回避可能だから、対策としては、 責任を分担することで、初めて対価が発生するような報酬体系にするのがいいと思う。

具体的には、「生き死に」に直接かかわってこない、外来で回せる患者さんの診療報酬をゼロにして、 その代わり、全ての基幹病院は、基本的にオープンホスピタル化する。 入院が必要な患者さんを診察した医師は、誰でも基幹病院の設備と人員とを指揮することができて、 たとえば病棟スタッフに「手術」を命じたりすることができる代わり、患者さんにかかわる責任は、 主治医になった、その医師が負う。

「開業医」と「勤務医」みたいな区分けは微妙に変わって、「責任から対価を得る医師」と、 「行為から対価を得る医師」みたいになる。基本的に勤務医は、責任者たる主治医の指示で 動くけれど、自分で主治医を取った患者さんに対しては、そこに発生する「責任」から報酬を得ることもできる。

対価は基本的に、ベッドから発生する。

開業した人は、患者さんを在宅ベッドで診療することもできるし、あるいは病院のベッドを利用することも できるけれど、誰か他の医師に責任移譲を行った時点で、その患者さんからは対価を得られない。

恐らくは開業を続けられる人は減る。ある意味それは、原点に返るだけだとも言える。

漫画「ブラックジャック」の昔、主人公も、対立する悪徳医師も、登場する医師はみんな自分のベッドを持っていて、 ブラックジャックが患者さんを奪ったりすると、悪徳医師もまた、ブラックジャックのクリニックに乗り込んだ。 医師というのは患者さんと不可分で、患者さんが動いたら、主治医は呼ばれなくても、一緒にくっついて動くものだった。

開業という行為は、本来は能力が有り余ってて、病院という器の中では自分の能力をもてあましてしまう 有能な人達が、自分に合わせた入れ物を作るために行うものだった。

そもそも開業できるだけの能力持った人なんて少数だったし、 自分達が学生の頃、開業している先生方に話を聞くと、「勤務医はいいよ。楽で」とか、 今とは正反対の言葉が返ってきた。

「無料」ルール敷いたとして、今開業している先生がたの半分、たぶん4 万人ぐらいが開業を止めて、 そのうち半分ぐらい、2 万人ぐらいの先生方は、たぶん基幹病院に帰還して、また一緒に現場を回してくれる。 ベテランの知識と経験は、再び基幹病院の設備と結びついて、医療リソースは増えるはず。

責任を分担する余力を十分に持った人は、今までどおりに開業を続けるだろうし、 そうした人達が責任を分担して下さるのなら、開業した人達の能力は、 重篤な患者さんを受ける勤務医を精神的に支えて、現場に力を与えてくれる。

そう悪い未来じゃないと思うんだけれど。