呼び出しの作法について

もともと認知症があったりして、夜中に不穏になって、大声を出したり、点滴を引き抜いてしまったり、ひどいときには点滴棒を振り回したり、病棟の人員ではどうしても手に負えなくて、夜中にご家族をコールせざるを得ない機会が時々ある。

こんなときに、「○○さんの認知症が厳しすぎて病棟が大変なことになっています。今すぐ病院に来て、患者さんに付き添って下さい」という言葉で用件を伝えると、正しいことを言っているにもかかわらず、トラブルになる可能性が高くなってしまう。

目線が変わると見えかたは違う

白衣の威光効果はすごいから、たいていの場合は、ご家族の側から「迷惑をかけてすいません」なんて切り出されて、話は丸く収まるのだけれど、ご家族が実際に病院にやってきても、「ちゃんと話の分かる人ですから、よく言い聞かせれば大丈夫です」と怒られたり、あるいは「病棟が混乱しているのなら、専属のスタッフを誰か付ければそれでいいでしょう?」なんて「アドバイス」をもらって、電話が切られてしまうこともある。

こういう人たちに対して、「病棟の現状も知らずに無理難題を吹っかけるモンスターだ」と嘆くのは簡単だけれど、病院の側にも、落ち度はあるように思う。

「○○さんのせいで病棟が大変なことになっている」こと、それに対して「ご家族に付き添ってもらう」という解決策を提示することは間違っていないけれど、これらは病院の側から見えた正しさであって、ご家族から見た正しさとは、当然のように異なってくる。自分の目線から見た風景を説明して、「これが正しい」と言われたところで、ご家族は困ってしまう。

「敵の言葉」は響かない

「○○さんのせいで病棟が大変なことになっている」のは事実だけれど、こんな言い回しを用いると、患者さん本人を病棟の「敵」にしてしまう。ご家族はもちろん患者さんの味方だから、「事実」を伝えられたその瞬間から、電話口の相手は「敵」になる。敵の言葉を素直に呑むのは負けであって、負けたい人なんていないから、話がこじれる可能性は高くなる。

「病院で付き添って下さい」という言い回しは、ご家族に対して、病院側はたしかに解決策を示しているのだけれど、言葉の中に判断の材料が含まれていないから、ご家族の側にしてみれば、病院の「命令」を呑む以外の選択肢が見えてこない。

「負けた」人は、負けない道筋を探そうとする。病棟にきて、じゃあ病棟がそこまで切迫しているように見えなかったら、それを叩こうとする。

命令でなく援助を乞う

「大変なことになっています。付き添って下さい」の代わりに、たとえば「夜間に申しわけありません。我々の病棟に人手が足りず、○○さんを安全な状態に保ちながら治療を続けることが難しくなっています。どうか助けていただけないでしょうか?」という言い回しを用いると、呼び出しに関するトラブルを減らすことができる。

こうした言い回しは、ご家族を「呼び出す」のではなく、病棟がご家族に「助けられる」形を目指す。病院が求めているものは、結局のところ「ご家族に付き添ってもらう」ことであって、最初の言い回しと変わるところは何一つ無いのだけれど、呼び出されたご家族は、病院に「命令された」のではなく、病院を「助けに来た」ことになる。けっこう大切だと思う。

勝者の制御コストは低い

「俺の目線を呑め。命令に従え。さもないと…」という言い回しは、命令された側が負けを呑むことになる。どれだけ丁寧な言葉を選んだところで、言いたいことの正味は変わらない。

「もう無理です、助けて下さい」という言い回しは、「無理」という言葉を用いることで、現状の限界をご家族に示しつつ、「さもないと」の先を暗示している。結局のところ、「命令」と変わるところはないのだけれど、ご家族を勝者にすることができる。「助けに来た」人は、病院に来た時点で、すでに勝っている。負けるのは悔しいけれど、勝者の振る舞いは、予測可能性が極めて高くて、制御コストは低いと言える。

誰かに何かを「命令」するときには、前提として負けてみせること、選択肢が一つしかないにせよ、相手にそれを選んでもらうための判断材料を明示すること、「相手の勝利」を明示するために、なるべく早いタイミングで「申しわけありません」のような言葉を割り込ませることで、状況のコントロールが容易になってくる。