見えなかったものと見えてきたもの

サイトをはじめたのは2000年ごろ。Windows98 の時代。

動機は不純。

下級生にかわいい女の子がいたからだとか、同級生に対する自己顕示欲だとか。 はっきり「これ」というきっかけはなかったけれど、 少なくとも「みんなを啓蒙したい」だとか、「社会に何かを訴えたい」とか、 そんな高尚なものじゃなかった。

反響なんて全然来なくて、アクセスカウンターが回っていくのだけが楽しみだった始まりの頃。

アプリケーションはプラットフォームになる

2 ちゃんねる閉鎖騒動の頃、UNIX 板の人たちが大活躍して、プログラマの人たちが とてもかっこよく見えた。プログラムなんて全然分からなかったけれど、 プログラマの人たちが使う言葉とか、彼らが集う掲示板の雰囲気とか、とても魅力的に見えた。

昔から、漠然と「理系」的なものに無意味なプライドを持っていた。

ただ単純に「理系っぽい」。ずっと LaTeX を使いつづけている理由は これだけなんだけれど、どんなにくだらない理由でも、 その立ち位置を通しつづけると、そこからいろいろ見えてくる。

LaTeX は、親切さとは無縁のソフト。最初は「パスを通す」の意味が分からなくて、 検索エンジンと対話すること数ヶ月。結局ネットからは必要な情報引っ張れなくて、 参考書をたくさん買いこんで、やっと文章作れるようになった頃には、Win98に無駄に詳しくなっていた。

サイトはまだ、PDFを配布するだけ。HTMLが全然分からなくて、LaTeX2HTMLという ソフトの存在は知っていても、その使いかたがまた恐ろしく難解だった。

LaTeX 界隈の総本山、奥村先生のサイトで教えてもらった。perl を入れないと そもそも始まらないとか、日本語使うなら、それとは別に Jcode.pm 取ってこないと 動かないとか。

掲示板では、単語ひとつについていくのが必死。ワード使えば30分で済んだであろう、 そんなことをLaTeX でやるのに数ヶ月かかった。

アプリケーションは、時としてその人の考えかたを書き換える。

意地になってLaTeX を使っているうち、とにかく「掲示板のむこう側」の人達にお世話になった。 ものの見かたとか、考えかたとか、恐らくは少なからず影響された。

いろんなものの裏側ばっかり覗きたがる、そんな思考のプラットフォームは、 たぶんLaTeX というアプリケーションが作ってくれた。

自己顕示欲と立ち位置と

サイトをHTML 化してから、検索エンジンに拾われるようになって、アクセス数はだんだんと増えた。 「研修医を傷つける簡単な 50 の方法」なんて怪文書が話題になって、 アクセス激増して逃げ出したのもこの頃。

「コミュニケーション」を意識するようになったのは、ずっとあとのこと。 当時は自分の立ち位置もあやふやで、誰かに対する興味を持つ余裕がなかった。

この頃のコミュニケーションは、アクセス解析アクセス解析に引っかかったリンク先をこっそり除くのが楽しみ。暗かった。

あるときメーリングリストからの大量アクセスがあった。 同業者からの反響は初めてだったけれど、メーリングリストは、外野から覗けない。 覗きたい。「コミュニティ」というものにはじめて加入した。

中にいたのは、何だか「正しい医療を普及させる会」みたいな人達。 「わぁすばらしい考えかたですねぇ○○先生」なんて、お互い賞賛の嵐。 なじめなかった。

うちのサイトはぶっ叩かれてた。「あんな匿名サイトダメですね」なんて 意見が投稿されて、「そうですよねぇ○○先生」なんて反響。

同じ頃、メーリングリストでよく発言していた「中の人」からメールが来た。 医療経済学を学ぶ人。医療を経済学的な視点から分析して、人気があった。 何故だか hotmail捨てアドレスで、返事を書いたらからかうような返事がきて、それっきり。

その人はしばらくして、メーリングリストで「あんなサイト、 私は興味もないしアクション起こす気力も湧きませんね」なんて。 また「わぁそうですよねぇ○○先生」。大反響だった。

医療経済を学ぶ人達と、医療経済という思想、学問。それ自体が大嫌いになった。 うちのサイトの立ち位置が決まったきっかけ。負けた気分になって、またサイトを移した。

引越し重ねてアクセス減って、その頃はみんな、blog はじめて楽しそうだった。

自己顕示欲と復讐心と、あと少しだけ、みんなの役に立てればなんて偽善の心。 動機は不純なほうが、目標は個人的なほうが、結局それが、いい成果につながる。 十分不純な動機が溜まって、もう少し何かやりたくなった。

bolg をはじめることにした。

偽春奈の頃

デスクトップにはたぶんその頃、偽春奈が立っていた気がする。

プログラマの人達の会話とか、考えかたが面白くて、せめて彼らの振る舞い だけでも真似したかったから。

プログラマが当然使うべきソフト」なんかが掲示板で特集されると、 トップ3には必ず「偽春奈」の文字。エディタとか言語とか、みんなバラバラなのに、 これだけは共通。

プログラマというのは、こういうのが好きな人たちなんだ」

何か理解できた気がした。ちょっとばかり世界は歪んだけれど、広がったように思う。 毒を吐く女の子と、相方の変な生き物が、パソコンに常駐するようになった。

自分の興味とは全然違う世界の話なのに、すさまじく面白かった。 偽春奈のヘッドラインセンサーは、界隈のいろんな話題を 取って来ては教えてくれた。ヲタ界隈の話題。技術畑の話題。 みんなが寄ってたかって進化させる、偽春奈界隈それ自体。

はじめて見る世界は面白くて、できたばかりのblog にたくさん文章を書いた。

偽春奈を通じて世間を読んで、面白そうな内容引っ張っては、自分の文章を更新した。 歪んでたけれど、はじめてコミュニケーションが成立しはじめた。

もともとが自閉的なサイト。blog をはじめて、昔からきてくださった人達からは コメントをいただけるようになったけれど、他のサイトからの反響はさっぱり。

うちだって一応医療系サイト。周囲では「エキブロメディカル」とか、 医学生も医師も楽しそうなコミュニケーション。みんなキャッキャウフフしてるのに、 うちには誰も来なかった。

何度か医療系のサイトリングみたいなところにすり寄ったけれど、スルーされた。 「どうですか ?」なんて勇気出して聞たら、「……」とか、「難しすぎて…」とか。また離れた。

偽春奈界隈はそのうち荒れて、ソフトの開発自体も停止されてしまったけれど、 「技術系は面白い」という感覚だけは、たしかに自分のものになった。

広すぎる世間は「見えない」

UNIX の根底にある思想とか、システムインテグレーションの考えかたとか。 医療の業界には欠けていて、技術系の人達が共有している何か。 なんだかすごく役に立ちそうな気がした。

blog をはじめて半年ぐらい、医療の話題はだんだんと減って、システムとか、複雑系とか、 なんだか今みたいな内容ばっかりになった。

いくつかの技術系サイトに取り上げられて、そのつどアクセス数がちょっとづつ増えた。 コメントをくれる技術系の人達は、実は昔からその人のページを覗いたことがあったり、 偽春奈の巡回ルートに乗っかっていたり、今思えば最初から知っている人ばっかりだったのだけれど、 当時はまだ名前なんか意識していなかった。

プログラマdankogai さんが取り上げてくれたのも、たしかこの頃。 好意的に取り上げられて、アクセスも増えたんだけれど、当時はまだ、 その人がどんな人なのか、全然知らなかった。

それはJcode.pm をダウンロードしたときであったり、 まだオンザエッヂだった頃のライブドアが、自分が当時サイトを持っていた鯖屋さんを 買収したときであったり。接点は大昔からあったのに、その「人」が目に入ったのは、 もっとずっと後のこと。

ネットに浸かって、この頃 5 年目ぐらい。それでも世界は広すぎ、フラットすぎた。

実はすごい人が真横に立ってても、それが全く目に入らない、そんな現象が、 当時は当たり前のように起きていた気がする。

「まなめはうす」とか、「rinrin 王国」みたいなニュースサイトもまた、 昔からうちのサイトを紹介して下さっていたけれど、それがどんな意味を持つことなのか、 当時は全然ピンとこなかった。

見えてしかるべきものが全く見えなかったのは、今にして思えば、 それを投影すべきコミュニティを持っていなかったからなんだと思う。

コミュニティに属することで見えてくる何か

「属すべき何か」を持たない人間にとっては、たぶんネットはあまりにも広大すぎ、 広大ゆえにフラットにすぎ、どこに進んでいいのか見当もつかないものなんだと思う。

コミュニティはたぶん、価値を投影するスクリーンのように機能する。

コミュニティに属することで、世界は間違いなく狭まるけれど、 無限に広い世界というのは、たぶん人が認識するには広すぎて、 何も見えなくなってしまう気がする。

自分もたぶん「はてな」界隈に属する人間なんだろうな、と自覚したのは、 やはり「はてなブックマーク」のサービスが始まった頃。

文章がすぐに数字で評価されて、そこではじめて、「点数をくれた誰か」であったり、 「自分よりいい点を取った誰か」の顔が見たくなった。

逆リンクたどっているうちに、結局その人達は、昔から見ていたサイトの管理人だったり、 昔から反応をいただいていた人であったり。

たぶんけっこう昔から、自分の視界の中にはいつも同じ人がいたはずなのに、見えてなかった。 コミュニティを外から覗く立場でなくて、コミュニティを形作る側に回って、 そこではじめて、昔からそこにいた誰かが「見えた」気がした。

結局自分はずいぶん長い間、「見る」ことから取り残されていた気がする。

世界は実は、今も昔もそんなに大きく変わっていないのに、 当時は何も見えていなかったし、あるいは今も、多くのものを見落としてるのだと思う。

コミュニティは変化する。属するコミュニティが変わることで、 今まで同じに見えていたものが、ある日全く違って見える時も来るのだろうなと思う。

これからもきっと、いろんなものが見えてくる。見ていこうと思う。

ご挨拶

アルファブロガーに選ばれました。

ずいぶん長い間サイトを運営してきて、いろんなところとトラブルおこしたり、 いろんな方にお世話になったり、助けてもらったりしながら、 ずいぶん遠いところまで来てしまった気がします。

よくよく見返せば、今twitter で当たり前のようにおしゃべりしている人達が、 ちょっと前なら怖くて近寄ることさえ考えないような人であったり、 最近知りあったような会話をしている人達が、実は昔から読者として 支えてくださった方であったり。目に入るものは変わらないのに、 認識される世界は今も変化を続けています。

何度も止めたり放り出したこともあったサイトでしたが、それでもここまで続けてこれたのは、 月並みですが自分の周りで「界隈」を作ってくださった多くの皆様、 コメント欄であったりブクマ欄であったり、あるいは自サイトでいろんな言及を下さった、 多くの方々の支えあってのことと感謝しています。

今回推薦を下さった小飼 弾 さん、投票をいただいた多くの皆様、 本当にありがとうございました。

きっとまた、これからもいろんなものが見えてくるのだと思います。

見えたものを伝えられれば、それをまた共有し、新しい見かたを 一緒に作って行ければ、きっとこれほど面白いことはありません。

今後ともよろしくお願いします。