全ての医師は企業を目指す

1994年にマンデラ氏が大統領になって、アパルトヘイトが撤廃されて、 アパルトヘイトを維持してきた軍隊は、今度は「国家の敵」として叩かれるようになった。

軍人の多くは仕事を失って、国内に居場所がなくなって。

行き場がなくて、戦争を請け負う民間企業「戦争株式会社」に就職した兵士達は、 今度はかつて敵対した国のために働くことになり、 そこで大歓迎を受けたのだそうだ。

自国民から叩かれて。敵だった人達から何年かぶりに「ありがとう」と言われて。 南アフリカの軍人は、「強い感情を持った」のだという。

形は行動を規定する

軍服を着ている人は戦うことを求められるし、白衣を着ている同業者は、 やっぱり医療行為を求められる。

軍人の仕事は、戦うこと。戦うための国家機関なのに、国家はしばしば、 戦うことを「悪いこと」と定義する。

いろんな思惑を持った人達が暮らしている以上、争いは不可避。

平和なんてありえなくて、それは単純に、まだ戦争になっていない状態。 これは本当は「そのうち戦争になる状態」なんだけれど、 しばしば「平和」という言葉に置換されてしまう。

政治家の人達は「平和」を叫んで支持を訴え、同じ口で「正義」を叫んで相手を叩く。

不正義な平和と、正義の戦争。矛盾する言葉の間に挟まれた軍隊は、目的を見失っていく。

「負けていない」を維持する難しさ

「勝つ」ことよりも「負けない」状態を維持するほうが難しい。

軍隊を抑止力として機能させるには、相手に戦意を失ってもらわないといけないから、 「勝つ」ときの何倍もの戦力がいる。

抑止力で維持できるのは、安定な「平和」なんかじゃなくて、不安定な「戦争でない」状態。

戦争を知らない人達、あるいは知ろうとしない人達にとっては、「戦争でない」状態と、 「平和な」状態との区別はつかない。

軍人にとってはたぶん、「戦争でない」という状態はまだまだ不安定で、 安定した状態に達するまでの過程にしかすぎない。ここで止めてしまうといつか戦争になる、 そんな状態は、それでも外から見ると落ち着いていて、そのうち「もう十分だろう」なんて世論がおきて。

抑止をかけている軍人は、仕事中はすごい緊張を強いられるくせに、 外から見ると何もしていないようにしか見えないから、世間の不満はたまっていく。

維持していれば「税金の無駄遣い」と叩かれ、少し動けば「人殺し」と叩かれ。 何をやっても叩かれる状況は、軍隊から目的意識を失わせていく。

「何もしないこと」以外の振舞いを許されなくなった軍隊は、 そのうち「有事」になることを自ら望むようになる。

病院にとって「有事」とは何か

病気が相手。「平和」はすなわち不老不死だし、微生物相手に「勝った」ら地球滅んじゃうから、 仕事の全ては現状維持。

病院にとっての「有事」とは、現状の維持ができなくなること。 軍隊にとっては「戦争に負ける」こと。それが発生するまでは「平和」であって、 誰もがそれを望まないくせに、そうならないよう維持している人を誰もが叩く、そんな状態。

戦力は足りなくて、戦線は今でも拡大していって。

現場は手一杯なんだけれど、それでも病院は建ってるし、中では医者が働いてる。 現場は危機感いっぱいなんだけれど、「みんな」にはなかなか伝わらない。

ギリシャのポリスがお互いに戦争をしていた頃は、 民主主義体制が戦争を泥沼化させたのだそうだ。

前線で敗戦しても、国民は、屈辱的な和平よりは、 戦争継続による事態の打開を希望した。 長い戦争で負けが見えてきた頃、国内では一発逆転を主張する民衆政治家たちが人気を集め、 権力を握った。負け戦がひどくなると、国内ではもっと勇ましい民衆政治家が人気を集め、 国がぼろぼろになって崩壊するまで、戦争をやめることができなかったのだという。

現場の危機が伝わって。みんなが政府に「何とかしろ」と声をあげて。 「医療に理解のある」政府の人達が、いろいろ「画期的な」提案を出して、現場はますます疲弊して。

現場の誰もが「有事」を望む、そんな時が来るまで、もうわずか。

民間企業は契約する

アフリカとか、東欧の紛争地域みたいなところでは、 安全は、権利なんかじゃなくて、お金を払って購入するもの。

民間企業にとっては、契約書が正義。お金を払ってくれる人が正義。

「戦争株式会社」に就職した人達は、もちろん収入が上がることに満足するのだけれど、 それ以上に「目的が持てる」ということにやりがいを見出すのだそうだ。

「今度は勝ってもいいんですか?」

映画「ランボー2」で、ベトナムに潜入する主人公は、上官にこう尋ねる。 ベトナム戦争ではいろんな思惑が乱れて、「勝つこと」は許されなかった。アメリカ軍の人達は、 正義の味方としてベトナムに出撃して、帰ってきたら殺人者として国民から叩かれた。

「民衆の代表者」なんて連中がかかわらない、達成すべき目標が契約で決められて、 最後までそれがぶれない状況というのは、振り回されるのに疲れた人達にとっては、 もしかしたら報酬以上に魅力があるのかもしれない。

医師派遣会社みたいな制度が誕生したり、あるいは従来型の医局や、地域の巨大病院が、 そのまんま人材派遣会社として活動をはじめたり。出来ることと出来ないこととは、 住民の需要が決めるんじゃなくて、病院当局と派遣会社とが契約して決める。 そんな未来はすぐそこ。

医者は「いない」んじゃなくて、偏在しているらしい。

「未来」だってそうだ。まだ来ていないんじゃなくて、もうすでにここにある。 まだ偏在していて、それがまだ見えてこないだけ。