病名を避ける退院交渉

最近は、病名を使って話をすることを極力避けるようにしている。

「肺炎が治ったから退院しましょう」ではなくて、 「抗生物質を中止しても発熱が再燃しないようなので、あとは外来で…」みたいな。

それが正しいのかどうかは分からないけれど、 そのほうが患者さんの状況受け入れが円滑に進む気がしている。

病名は医師の状況解釈

高齢の患者さんが入院。夜寝ない。点滴を引き抜く。徘徊して転ぶ。 叫んで手がつけられない。

どうしようもないからご家族呼んで、「痴呆ひどくて診られません」なんてやったら、 間違いなくトラブルになる。「母は混乱しているだけで、 痴呆なんかじゃありません。ちゃんと診て下さい」なんて。

寝ないとか、点滴出来ないといったことは事実。でも事実の集積を抽象化して、「痴呆」なんて 病名に導いたのは医師。事実は受け入れるしかないけれど、 事実の集積を解釈するのは誰もが持っている権利。

「病名をつけられた」患者さんの退院に同意するということは、要するに 事実の集積に対する医師の考えかた全てを、無批判に受け入れることに等しい。

医師と患者、いくつかの事実を挟んで対峙して、 それをどうくっつけて、抽象化したものから何を見出すのか。 同じ解釈にいたる可能性は極めて低いのに、病名という道具はしばしば、 医師と全く同じ解釈を相手に強要する。

自分達は一方的に病名を告げる側だけれど、そんな行為はあるいは、 それを受け入れる相手側に、かなり大きな負担を強いている気がする。

分かりやすさには主観が入る

事実の集積に意図を加えて、分かりやすい物語として流布するやりかたは マスコミの得意分野だけれど、「分かりやすくする」という工程は、 そもそも歪みから自由になれない。

地球儀を地図として平面化する、事実の集積を分かりやすく解釈して言語化するというのは、 要するにこんなこと。病名も一緒。球を平面にするときには、どんなやりかたをしても ゆがみを生じる。平面化の技法にはいろんなやりかたがあるけれど、 やりかたを選ぶというその行為自体、そこには医師の主観が混入する。

そんな主観は、あるいは患者さんの御家族にそれを見透かされていて、 病名の欺まん性は、しばしばご家族の反発となって表面化している気がする。

属性を付加する病名

分かりやすさはまた、単なる事実に属性を付加してしまう。球面が平面に展開されるだけで、 そこには「上」や「下」、あるいは球面には存在しなかった 「辺境」や「中心」なんて属性がついてくる。

属性というものはたぶん、思っている以上にその人を不自由にする。

何もない平面に、一本の線を引く。こんな行為一つとっても、 平面上での自由な振舞いは、線が出現したあとは、「右に行った」だとか「線をまたいだ」だとか、 それまではありえなかった言語化を受ける。平面の上で、人は自由に振舞っているのに、 それでも線という属性は、その人の行動を縛ってしまう。

事実も病名も単なる言葉にしかすぎないけれど、病名という「属性を背負った言葉」は、 恐らくは病名をつける側が想像している以上に相手を縛るし、 相手にとって重荷になっている可能性がある。

スケールが変わると正確さも変わる

あれだけ精密に見える田宮模型のプラモデルなんかも、 実際には「精密に見せる」ために歪みを加えているのだそうだ。

あれだけ有名な会社になると、たとえば自動車会社なんかは、門外不出の設計図面そのものを 貸してくれたりするらしい。図面どおりに金型をおこせば、実物と寸分たがわないプラモデルが 作れるのだけれど、そうして作ったプラモデルというのは、何となく迫力の足りない、 なんだかペシャっとした形になってしまうのだという。

自動車はたぶん、実物大で見るからかっこよく見えるようにデザインされていて、 そのかっこ良さというのは、模型サイズに縮めたときには伝わらなくなってしまう。

模型会社のデザイナーは、正確な図面を元にして、そこにあえて歪みを加えて、 模型としてかっこよく見える、あるいは模型として精密に見えるよう、 金型の図面を引きなおすのだという。

医師と患者とは、恐らくは物事をみるスケールが違うし、生活している時間軸が全く違う。

事実をなるべく歪めないで、分かりやすく提供する。そんな努力を医師側が行ったところで、 視点のスケールが違う患者さん側には、恐らくそれは、「正確だ」という印象として伝わらない。

正確だ、歪みが少ないという印象をもってもらうためには事実を歪めることが必要で、 ところが相手の視点は一人一人違うから、把握した事実をどう歪めれば「正しく」なるのか、 恐らくはそれを見越すのはすごく難しい。

むしろ事実は事実だけ、ありのままにそれを伝えて、相手の印象を尋ねるやりかたのほうが、 結果として「正しい医師の印象」を伝えることができる気がする。

まとめ

  • 病名という道具は、いくつかの事実をまとめて、相手に医師の考えを簡単に伝える役には立つけれど、 それを交渉の道具に使うと、上手く行かないケースがある
  • 事実をまとめるという行為は、分かりやすくなる反面、相手がとれる選択肢を 「それを丸々受け入れるか、拒否するか」に絞ってしまい、 提案を受け入れる閾値を必要以上に高めてしまう
  • 事実の抽象度を高める作業は、まずはそれを相手にゆだねないと失敗する
  • 印象で抽象化しない事実をそのまんま伝えて、こちらが抱えている問題を相手に伝えて、 その上で「この問題を解決するのに、どうすればいいとお考えですか?」みたいな尋ねかたをすると、 上手くいくひとは上手くいく
  • 「もっと頑張れ」みたいな返事しか返さないご家族相手だと、もう何をやっても上手くいかない