魔界への手引書

あらゆる交渉には、交渉によって得られるものと失うもの、 「賭け金」に相当する概念があって、交渉ごとをトラブルなく進めようと思ったら、 この賭け金をなるべく安く抑えないといけない。

交渉の賭け金がつり上がっていくと、つまらない利害の対立が、 いつのまにかお互いの全存在を賭けた対決に発展してしまう。

ネット世間では、問題解決に向けた建設的な議論は、しばしば人格否定の泥仕合になり、 泥沼化した議論はたくさんのギャラリーを呼んで、戦いの「落しどころ」は、ますます見えにくくなっていく。

交渉の魔界

ごくつまらない、些細なきっかけがどんどん膨らんで、 気がついたらお互い冷静さを失っていて、潰すか潰されるか、 鉄風雷火の限りを尽くした、情け容赦のない、三千世界の鴉を殺す、 終わりの見えない泥仕合。誰もそんなこと望まないのに。

本当に「望まない」なんてことあるんだろうか ?

交渉の目的は問題の解決で、交渉や議論というのは、あくまでもそのための手段。 そんなつまらない建前外せば、この「手段」それ自体がとてつもなく面白くて、 手段を楽しみ尽くすためならば、正直目的なんて何だっていいなんて人、きっと多いはず。

魔界への憧憬を口にしたとき、そこにはすでに魔界への扉が開いている。

皆様。魔界の扉を開いて中を覗く欲求にかられたことはありませんか? 私はいつもです

そんな扉の開きかた。

「私」でなく「あなた」

「私はこう思う」「私からは、あなたはこんなふうに見える」という表現は、責任の所在を 発言者の側に持ってきてしまう。人格否定合戦を回避するための常套手段だけれど、 「あなたはこんな人間だ」という断定論理を持ち込むと、交渉の温度が一段階上がる。

「あなたは○○だ」を繰り返していくと、最終的には「議論に負けたあなたは地上最低の屑野郎ですね」 というところまで、議論のオッズをつり上げることができる。こんなやりかた。

  • 「あなたみたいな素朴な理解で満足する人を久しぶりに見た気がします。 幸せで何よりですね^^;」

「あなたは○○だ」というやりかたはまた、相手に望まないアイコンを付加して、 相手の振舞いを縛る効果も期待できる。

「博士持ちは実戦知らないから…」とか、「これだから文系は…」みたいなアイコンは、 相手の行動全てをアイコンで抽象化して、人格をまとめて哄笑する余地を与えてくれる。

「私」は無碍。しばしば「我々」や「みんな」に変化したり、 あるいは「私」は、いきなりその場からいなくなったりすることも出来る。

  • 「○○さんのくだらない発言には、我々みんなが迷惑しています」
  • 「文系は話が胡乱になりやすいから、「はい」か「いいえ」だけで答えて下さい」
  • 「私は大人だから、そんな低次元の争いには参加したくないですね^^;」

言葉は冷静に

その代わり、行動は情熱的に。

言葉尻はすごく大切。どんなに激しい内容を語っていようが、 整然とした論理で相手を圧倒しようが、言葉尻を乱したら、もうそれでお終い。 賭け金がそれ以上に上がることはない。

大切なのは、感情を隠して冷静さを取り繕いながら、 自らに間違いや行き違いがあっても、それが見えないかのように振舞い続けること。

自分が冷静であることを宣言するのは上手なやりかた。

  • 「あなたが感情的になりすぎているから、議論が進まないんですよ」
  • 「ずっと前から思っていたけれど、あなたの議論はたわごとにしか思えない」
  • 「間違いを指摘されて、それを脅迫であると理解する理解する○○さんは、 私に何か抑圧的なものでも感じてらっしゃるのでしょうか?」

問題点ではなく人格を議論する

症状よりも病名が、問題点よりもその問題を提出した「人格」こそが上位にくるから、 上位概念を交渉の場に引っ張り出せば、賭け金はそれだけ上がる。

  • 「あなたは○○関係の文献をお読みのようですから、あえて誤読してらっしゃるのでしょうが、 批判のための批判は困ります。小さい人ですね」
  • 「議論になる」とは、あなたが議論になったと「感じている」だけでは? 私は単純に、 あなたの境遇に手を差し伸べたかっただけなのですが…。会話って面白いですね^^」

「安い交渉」は、相手の提出した問題点をなるべく細かく分割して、正しいものは受容し、 間違っているものだけを交渉して、相手の人格には絶対に手を出さない。

賭け金をつり上げようと思ったならば、相手の提出した問題よりも、むしろ 「そんな問題を提出した相手」の人格そのものを議論の場に引っ張り出す必要がある。 問題の正しい部分は人格という上位概念によって隠蔽され、 問題解決の場は、お互いの立場と面子とをかけた決闘の場へと生まれ変わる。

立場を大切にする

問題を大きくまとめて、選択肢を絞る。妥協点を探るのではなく温度を高めて、 全肯定か、全否定か、選択肢を二者択一に持っていく。

問題評価の尺度は隠蔽されなくてはならない。たとえそれが「どちらが先にトイレに行くか」 みたいな些細な問題であっても、「人間として…」「地球環境が…」といった極論に訴える。

相手の言葉は真摯に聞かれなくてはならない。最高のタイミングで話をさえぎるために。 攻撃材料を収集するために。

神は細部に宿る。話の内容に感心するのではなく、滑舌の細かな瑕疵を哄笑する。

相手の意見に、もしも自分の立場を強化する要素があったのならば、その時点で速やかな 勝利宣言を行わなくてはならない。提出された意見を勝手に「解決」されたことにされれば、 相手もまた、賭け金をつり上げざるを得ない。

トレードオフの要素に注意する必要がある。最速の解を示されたなら最善解でないことをなじり、 最善解を示されたなら、結果の遅さをなじることができる。結果が正しければ過程を非難し、 結果が悪ければ、もちろん全人格を否定する。

ネット世間に戦いを取り戻すために

自分のためだけの戦いなど存在しない。

お互いの全存在を賭けた戦いというものは、実はネットワークにつながった万人のために、 自らが攻撃し、忌み嫌い、罵倒した相手側の人々のためにさえ、役に立っている。

戦場で踊ったもの同士がそれを自覚しているのかどうかは、ここでは問題にならない。 それでもきっと、お互い流した血と意思は、どこかでそのことを理解している。

ネット世界は、うわべだけ取り繕った「馴れあい」という病気のために、死に瀕している。 情け容赦のない決闘は、きっと全ての人に暴力と剣の信仰を教えてくれる。

失われた信仰を取り戻すためには多くのものが破壊されなければならない。

膨れ上がった自意識の鉄塊がぶつかりあう音は、世界に鎮められない 怨讐をはらんだ空気を呼び戻す。 それは戦いに参加した者全員が鍛え上げたものだ。 すでにその犠牲となっているこの我々こそが。

戦いの勝利者が鉄槌であり、我々が鉄床であるとしても、それは問題ではない。

大切なのは、世界に君臨するのが暴力であって、 奴隷的な小心翼々たる馴れあいではないということ。

たとえ戦い敗れた者の居場所が地獄であろうとも、我々の戦いこそが、天国を存在せしめた。

諸君はさらなる戦いを望むか。容赦ない総力戦を望むか ? もし必要とあらば、今日想像できる以上の全面的かつ徹底的なる戦いを諸君は望むか ? ――よろしい、ならば嵐だ。

我々は勝利の日まで、あるいは滅亡の日まで、この忠誠を捧げるつもりである。