科学は真実を記述するのが苦手

犬に発情が来た。

犬を飼うときは避妊手術をするのが常識になっているのだそうで、 今は出来るだけ早期の手術を行うやりかたが主流になっているらしい。

  • 発情前に手術を行うと、将来的に乳腺腫瘍のリスクが減る
  • 避妊手術を行ったほうが、わずかであるが寿命も延びる傾向がある
  • 生後数週間で手術を行っても、とくに大きな問題は生じない
  • 卵巣と子宮を切除することで、卵巣腫瘍とか、子宮癌といった病気は発生しなくなる
  • 避妊手術を行うことで、犬はおとなしくなり、飼いやすくなる

ネットで引けるのはこんな事実。獣医さんに聞いてもこんなお話で、 どれも論文になっていて、嘘はついていない。嘘ではないけれど、 これだけで「だから早期に手術しましょう」には結びつかない。

「生まれてすぐにエストロゲン枯らして、本当に大丈夫なんだろうか?」

飼い主が知りたかったのは、こんな問題。 科学的な事実の積み重ねというのは、 「安心」とか「大丈夫」とかいった漠然とした疑問に対して 答えを出すのが大変だったり、そもそも答えを出せなかったり。

レニン-アンギオテンシン系の話

「レニン-アンギオテンシン系は、人間にはもはや不必要なのではないか?」

医師がこんなことを口にして、心臓の悪い人達のレニン-アンギオテンシン系を よってたかって潰しにかかるようになったのは、まだまだ最近のこと。

このホルモン系は、塩分を体内に留めておくために必要なもの。 魚が陸に上がったとき、体内に「海」を維持するためには欠かせない「系」。

動物にももちろんこれがあって、野生動物が食べるものの中には塩分なんてごくわずかしか 含まれていないから、もちろんレニン-アンギオテンシン系は大切。ところが人間だけは 例外で、塩分なんてどこでも手に入るから、今はむしろ塩分の過剰が大問題。

80年代後半、心不全の患者さんに血管拡張薬を投与すると効果があることが分かって、 血管拡張作用を持ついろんな薬剤が試される中、レニン-アンギオテンシン系を抑える薬、 ACE 阻害薬に顕著な延命作用が見つかった。

このとき証明されたのは、「心臓の悪い人には、ACE阻害薬が延命作用をもつ」ということだけ。 心臓に傷のない人、他の病気の人にはどうなのかは分からない。

誠意のある科学者は、自分の発見した事実を拡張しない。 問題を拡張して、それを再び証明する。

ACE 阻害薬が普及していく中で、「なんでこの薬が?」という疑問が生まれ、 この薬が腎臓の悪い人に試されたり、動脈硬化の進んだ人に試されたり、 高血圧の人に試されたり。

いろんな論文が出す結論は、あくまでも事実の断片。 腎不全患者さんには、腎臓の働きがより長く保たれるとか、 血管の堅さをある方法で評価したときには、そのパラメーターが良くなるとか。

レニン-アンギオテンシン系は、人体にとって不必要であるか、 少なくとも抑えたほうが「よい」ようだ

「よい」とか「正しい」、こんな大きな物語を科学で記述するのは本当に大変で、 レニン-アンギオテンシン系については話題が出てから20年、やっと「よいようだ」と みんなが口にできるところまできて、断定までいけるのはまだまだ先の話。

エストロゲンはどうなのか

エストロゲンは成長のあらゆる段階で影響するステロイドホルモンで、 「それを無くすとどうなるのか?」なんて恐怖は、レニン-アンギオテンシン系の比じゃなくて。

医療の分野だと、閉経後女性のホルモン補充療法だとか、エストロゲン様作用を持つ、 大豆類やブドウを常食する地域の人達の平均余命が長いなんて疫学調査とか。 昔流行した「環境ホルモン」なんかも、エストロゲン様作用を持つ物質の話題。

犬の去勢手術に関する話題は、どれも「早期手術は問題をおこさなかった」という結果を 示してはいるけれど、「犬の成長にエストロゲンは必要ない」なんて言い切るためには いかにも証拠が不足。

科学というのは、その立場に誠実であろうとする限り、論文から断言できること以外のことには 言及できないし、その結論を拡張することはできない。

「条件つきの事実」をいくら積み重ねても一般解には届かないし、 そういう意味では科学者は、真実を記述できるひとなんて誰もいなくて、 だからこそ「これが真実」と断言する人達との論争は、 いつも科学者側が勢いで押されてしまう。

「早期手術は安全です」とか「早期手術は犬を幸せにします」なんて物言いは、 やっぱり本職の獣医さんには少なくて、相談した獣医さんもまた「いろんな意見があって まとまっていないんですよね」なんて。うちは結局、最初の発情を待ってから手術することにした。

その事実を求めているのは誰なのか?

犬が最初の発情を迎えるのは生後8 ヶ月ぐらい。

邪推だけれど、「生後6週間でも手術して大丈夫」なんて無茶な事実を証明した論文というのは、 何かを疑問に思った人が書いた論文というよりは、その事実が必要な人達が、 結論を要請した論文なんだと思う。

脳梗塞の治療にはNINDS というトライアルがあって、これは脳梗塞血栓溶解療法を 行うことで、患者さんの予後がよくなるという結論を出した有名な論文。

脳梗塞の患者さんに血栓溶解薬を投与した報告はこれまでにもいくつもあって、 全ての結論は、「良くなる人もいるけれど、死亡者は確実に増える」、 あるいは「手足の動きの改善にはほとんど効果がなくて死亡者だけ増える」なんて 否定的な結論。

  • 従来の脳梗塞治療は、回復の幅は少ない代わり、死ぬ人も少ない
  • 血栓溶解薬は、死亡者を増やす代わり、「一発逆転」が望める

NINDS のグループがやったことというのは、評価のやりかたを変えたこと。 「寝たきり」と「死亡」とを分けて評価していた従来の論文を改めて、 「寝たきりになった人は、死亡した者と同じ」という評価ランクを作って、 患者さんの統計をとった。要するに、寝たきりになった人の価値というのは、 死体と同じとする立場。

NINDS の出した結論は、 「血栓溶解薬は合併症を増やさずに機能予後を改善する」。 その代わり但し書きがついていて、「こんな結論を出すような社会の要請があったのだ」 みたいな文章が、前文についていたはず。

犬の避妊手術の話題。たぶん「動物園の動物は全て殺すべし」みたいな 過激な自然主義者と、「人間あっての自然」みたいな考えかたをする人との 根深い対立が底のほうにあって、早期手術をすすめる立場の人達というのは、 早期に手術することで、その飼い主を自分達の陣営に引きずり込もうとするような、 そんな同調圧力を感じてしまって、ちょっと嫌。

科学は多様性を担保する道具

科学というツールは、それを使う人が科学的であろうとする限りにおいて、 意見の多様性を増やす役には立っても、 いろんな意見を一つの解答へと集積させる働きは持っていない。

科学的である限り、どんな結論にも反証の余地を残すし、 どんな立場でも、よほど迷惑であったり他人に迷惑をかけなければ、 その存在に根拠を与えてくれるのが科学というもの。

科学的な立場を深めていくと、確実に断言できる範囲と、 その結論を応用するには無理がある範囲との境界は、より明瞭になっていく。 科学者は、原理に忠実であればあるほどに自らの専門領域に引き篭もらざるを えなくなって、みんなが引き篭もった後に残った広大なニッチには、 真実を騙る人達の楽園だけが残る。

だれかに同調圧力を強要する振舞いをした時点で、それは科学ではなくなるという ルールを共有しないといけないと思う。

犬の避妊問題とか、環境問題なんかはだからこそ科学ではなくて、 科学を使った広告合戦であると読むのが正しい。

「早期の避妊は正しいのか?」とか、果ては「人を殺すのは本当にいけないの?」とか。

世の中のそんな問題を説明するのには科学は無力で、 「科学的なやりかた」なんてものがあるんだとしたら、きっと 「興味を持ちましたか?一緒に考えましょう」というやりかたこそが 科学的なんだと思う。