モデルが現実を駆動する

心不全というのは、最初は「ポンプが作動しなくなる」病気だと理解されていた。

いくつかの発見があって、「ポンプ不全モデル」で説明できない事実が出てきて、今度は 「血管抵抗モデル」という新しい概念が提出されて、心不全という病気は、 今では「内分泌の異常」と理解されるようになった。

ポンプ不全の時代

70年代ぐらいまで、心不全というのは「心臓というポンプが駄目になる病気」と理解されていた。

心不全の患者さんに水が貯まって苦しくなるのは、心臓が弱ってしまったから」

このモデルに従うならば、用いるべき薬は利尿薬と強心薬。

この頃の代表的な治療手段は、強心薬であるジギタリス急速飽和療法。 「さじ加減」の言葉は、 ここから生まれた。

この頃すでに、ACE 阻害薬とかβ遮断薬とか、ニトログリセリンみたいな、現代でも 用いる心不全治療薬はすべて発売されていた。ところが、こういった薬は、 「心不全はポンプ不全」というモデルには乗っからない薬だったから、出番がなかったり、 あるいは禁忌とされたりしていた。

血管抵抗モデルの登場

血圧を下げる薬というのは、「ポンプ不全」モデルでは心臓に対する作用が期待できなくて、 不必要に血圧を下げてしまう可能性があったから、当時は禁忌とされていた。

ところが、心不全の患者さんというのは、しばしば狭心症を合併して救急外来に担ぎ込まれる。 患者さんは息が苦しくて、さらに胸を痛がる。

狭心症にはニトログリセリンを使う。これはダイナマイト発明前からの常識。 患者さんにニトログリセリンを舌下してもらうと、胸痛は落ち着いて、どういうわけだか 呼吸困難感も落ち着いてしまう。

こんなケースが何例も報告されて、「ポンプ不全」モデルでは全ての事例が説明できなくなった。

心不全というのは、血管抵抗の増加に対して心機能が追いつけなくなって生じる。ニトログリセリンは血管抵抗を下げることで、心拍出量を増加させる。

ニトログリセリンの効果は、こんなふうに、電流と電圧、抵抗の関係で説明がなされるようになった。

新しいモデルは古い薬を追い出す

血管抵抗モデルが普及してくると、今度は昔からの心不全治療薬、強心薬の居場所がなくなった。

しばらくの間は、急性期は血管拡張薬、慢性期はジギタリスみたいな治療が行われたけれど、 そのうち「血管拡張薬とジギタリス、予後を良くするのはどちらなのか?」という検証が行われて、 ジギタリスは主役を降りた。

いろいろあって生き残ったのがACE 阻害薬。これが主役になってから、心不全患者さんは 本当に死ななくなった。ほんの10年前まで、心不全の5年生存率というのは 悪性腫瘍並に悪かったけれど、 今はよっぽど悪い人でない限り、心不全だけで亡くなる人というのはまれになった。

モデルがないと、普通の人間はたぶん、目の前の事実を認識できない。

ACE 阻害薬自体は、古くから用いられてきた血圧の薬。血管抵抗モデル登場以前、 高血圧と心不全のある患者さんで、この薬を飲んでいる人だってたくさんいたはずだけれど、 「これ効くよ!」なんて声は聞こえなかった。

研修医の頃、ACE 阻害薬とβ遮断薬とを開業の先生からもらっていた患者さんが、 心不全をおこして入院したことがあった。当時のサマリーを見ると、その薬は全部 中止されて、ジギタリスを出して退院、と書いてある。

今の感覚で行くと、 これは犯罪行為だし、当時だってこれをやったら患者さんが悪くなる ということを実感できたはずなんだけれど、患者さんは「良くなって」、また外来に戻っていった。

血管拡張がいいのか、ACE 阻害薬がいいのか

「血管抵抗を下げて、血圧を削って心拍出量を増やして、全身の循環を正常に戻す」という 血管抵抗モデルの考えかたは分かりやすくて、80年代始め、 今度はいろんな血管拡張薬の治験が行われるようになった。

血管拡張薬には明らかな優劣があった。

  • ある薬は心不全を良くするのに、別の薬は明らかに死亡率が上がる
  • 2種類の血管拡張薬を比較すると、「患者さんが元気になる薬」と「寿命が延びる薬」とがあって、 この違いは単純な「血管抵抗モデル」では説明できない

患者さんを長生きさせたのは、ACE 阻害薬。ところが、 血行動態改善の指標である「患者さんを元気にする」 競争では、この薬は必ずしも1番ではなかった。

血管抵抗モデルが正しいのか、それともACE 阻害薬が正しいのか。

血管拡張薬のある種のものは、レニン-アンギオテンシン系を刺激してしまったり、あるいは 交感神経の緊張を招いてしまったりする。血行動態が改善しても、こうした内分泌環境を 改善できない薬は、結果として心機能を悪くしてしまう。ACE 阻害薬は、血管を拡張するとともに、 こうした内分泌環境をも改善する。

事実を説明しきれない血管抵抗モデルは主役を降ろされ、 今度は「レニン-アンギオテンシン系や交感神経の活動自体が 心臓にダメージを与える」という、内分泌モデルが広まるようになった。

新しいモデルは過去の薬をリバイバルする

新しいモデル、内分泌モデルで主役になるのは、 レニン-アンギオテンシン系や交感神経の活動を抑える薬。

良くできたモデルは、しばしば次に来る薬を予見する。

「内分泌モデル」が正しいならば、 ACE 阻害薬以外にも効く可能性がある薬が2種類。β遮断薬と、アルドステロン拮抗薬と。

非常に古い降圧薬と、利尿薬。前者は心不全禁忌とされていた薬で、 後者は肝硬変の人なんかに使う、特殊な利尿薬というイメージだった。 モデルが変わって、古い薬にライトが当たって、どちらの薬も患者さんの予後を改善した。 いまでは当たり前のように最初から使う。

顕微鏡が実世界の観察を殺す

β遮断薬は、昔は心不全治療の標準的な薬だったのだそうだ。

「ポンプ不全モデル」が広まるもっと昔、心不全で亡くなる人は脈が早くなるという観察があって、 脈拍を下げる薬であるβ遮断薬は、治療薬として使われて、実際効果があったらしい。

ところがしばらくして、「心不全はポンプ不全だ」という考えかたが広まって、 同じ頃、基礎系の人たちが、β遮断薬は心筋の収縮力を落とすという事実を発見した。

β遮断薬は薬理畑の人達から禁忌とされるようになって、 それから20年近く、この薬が心不全に使われることはなかった。

病気理解のモデルがそれから3回変わって、本来の観察がリバイバルされて、 β遮断薬はやっと正当な評価を受けるようになった。

そして電子顕微鏡の時代へ

ブラックボックスを理解するのには2つのやりかたがある。

心不全治療の世界というのは、5年周期ぐらいで新しい病気理解のモデルが 提案されて、それに応じて新しい薬が選択されて…なんていう進歩のしかたを してきたのだけれど、90年代以降、この流れが止まって、「内分泌モデル」を 限りなく細かく調べていく、顕微鏡屋さんが活躍する分野になりつつある。

顕微鏡屋さんの仕事はどんどん細かくなっていって、今ではレセプターの構造を 解析して、分子をデザインして新薬を作るなんていう時代になった。

で、そんな薬が良く効くかというとあんまりそんなことはなくて、 ARB とかハンプとか、大成功したケースももちろんあるのだけれど、 「効くはず」の薬があんまり上手く行かなかったり、副作用強すぎて 駄目になったりするケースとか、けっこう多い。

過去30年近く発売されている薬を「再発見」するのと、時代の検証を経ていない薬とを 同列に論じている時点で全然フェアでないのだけれど、 薬には「モデルが要請した薬」と「電子顕微鏡が作った薬」との2種類があって、 モデル上は無くても何とかなる薬を今さら作って舞台に上げても、 人間はあんまり幸せになれない気がする。

計算的深さと決定論的カオス

最近は、電子顕微鏡が作った薬が多い。

他の分野でも、疾患理解のモデル自体はもう何年も変わっていなくて、 その細部を顕微鏡屋さんがすごい勢いで埋めて行く。

新しく発見された「細部」は、今度はそれがどう効くのかが論じられた後、 そこから生まれる市場に応じて「そこに効く薬」がデザインされて、 「効く薬」として発売される。

行き当たりばったりで効く薬を探していた昔と違って、 電子顕微鏡が薬を作る過程は決定論的。 細部の新発見から分子デザイン、製品化まで、サイコロを振る人は誰もいない。

困るのが、人体での検証もまた、「サイコロを振ることが最初から許されていない」こと。

「効く薬」として作っちゃったから、「検証したらダメでした」は許されない。 もう売るしかなくて、メーカー協賛の「エビデンス」をゴロゴロ背負った効かない新薬、けっこうある。

モデル駆動の開発というのはたぶん時間がかかって、毎年のように「新発見」を 要求される研究者の人達にとっては、ギャンブルもいいところ。

今はコストダウンの要求も激しくて、メーカーも苦しいんだそうだ。 昔みたいに800種類の物質を同時に試して、 生き残った物質を「製品」として発売するような呑気なこと、やっている余裕も無いらしい。

発見というのは、細かくなればなるほど、その物質が病気に与える影響が複雑になって、 予測できない因子が増えていく。発見の「次数」が1段下がれば、それが実世界の薬に 反映されるまでのステップもまた、1段増える。

そのステップが増えすぎて、計算的深さが深くなりすぎると、 初期値の観察誤差に対する影響が制御できなくなって、 もはやマーケットに薬が出た時に訂正が効かなくなってしまう。

分子生物のことが理解できないやつの僻みだけれど、 頭いい人達、たまには病棟回ってサイコロ振るのも悪くないんじゃないかと思う。