寝たきりの人にとって自然とは何か

痴呆が進んでしまった人というのは、食事が食事として認識できなくなってしまったり、 あるいは嚥下障害がひどくなってむせ込んでしまったりして、食事が口から取れなくなる。

老健施設では責任問題になってしまうから、食事ができない人に対して 「何もしない」という選択はとれない。何かしないといけないから、 こんな人は「何とかして下さい」という依頼で病院にやってくる。

老衰の人、特に90歳にもなるような人というのは、食事をしないだけで、基本的には元気。

病院としては、病院内で感染症を拾う前に何とか返したいのだけれど、 「何とかする」まで施設は引き取ろうとしない。

家族に相談しても、答えは同じ。「何とかして下さい」。

売り言葉には買い言葉。

結局こんな人には鼻からチューブが突っ込まれたり、胃に穴が空けられたりして、 経管栄養が開始される。

胃に物が入ると、唾液の量が増える。

食べ物は火が通っているから大丈夫だけれど、唾液をむせると肺炎になる。 栄養を入れて施設に帰って、すぐ肺炎になって病院に入って、そんなことを繰り返しながら だんだん弱って、こんな人は結局、最後は自分の唾液と痰で、溺れて亡くなる。

とりあえず数ヶ月間から1年ぐらい、たしかに生存期間は延びる。 日本の高齢者が亡くなりにくいのもまた、こんなことを日本中でやっている影響なんだけれど、 誰も幸せになっていないような気もする。

結局は責任の問題。栄養を止めるというのは、何となく「餓死」を連想させて しまうからなのか、誰も切り出せない話題。誰も悪役になんかなりたくないし、 栄養止めて亡くなった後、遠縁の親戚の人が「なんで栄養止めやがった!!」なんて 怒鳴り込んで来ることだってある。

今は「餓死」以外の物語がそこに無いからトラブルになる。

必要なのは、栄養を止めるための物語

寝たきりの人にとっての自然

ほとんど植物状態の患者さんに水分だけ点滴して、 それ以外のことをほとんどしない、病院内のスラングで「水耕栽培」なんて 陰口叩かれたりする患者さんは、案外長生きする。

点滴で入れるのは、1日1000ml程度の水と、だいたい1g 程度のナトリウム、あとは ごくわずかな糖分だけ。食べられないから入院した人たちだから、 もともとが低栄養状態。栄養学的には圧倒的に足りない栄養しか入らないのに、 数ヶ月の単位で問題なく過ごせるし、不健康になるどころか見た目はむしろ 元気になる人までいて、その印象は亡くなる直前までほとんど変わらない。

「この人、光合成でもしてるんじゃないのか?」そんなことを考えたくなるぐらい。

植物っぽい人に最低限の水分と栄養ということで連想するのが、永田農法。

ほとんど砂みたいな土地で作物を育てて、最低限の水分と化学肥料とで野菜を作ると とんでもなくおいしい野菜ができる…というあれ。

永田農法の基本思想というのは、野菜にとっての自然に近い条件で育てることなのだそうだ。 数百年前までは、野菜の多くは、乾燥気候の荒地で育っていた植物だった。 そんな生物にとっては、最近流行の有機肥料とか、高温多湿の環境といったものはむしろ不自然。

植物にとって本来「自然」であった環境で育てることで、作物を常に飢餓状態に追い込むことによって、 植物が本来持っている力が引き出されて、栄養価の高い野菜が作れるのだという。

栄養学の知識では、人間が1日に必要な最低カロリーは、1200kcal。

これはあくまでも若い人の値。寝たきり老人、特に栄養を入れても合併症しか起こさないような 人にとって、この値が本当に「自然な」ものであると言い切っていいのか、最近少し疑問だったりする。

魚が上陸した日

魚類の一部が進化して、陸に上がるようになったのが今から約3億7千万年前。

乾燥や重力といった環境の変化に加えて問題になったのが、陸地からは電解質、 とくに海の中には売るほどあったナトリウムの供給が受けられないこと。

ナトリウムを体内に保持するために発達したのが、レニン-アンギオテンシン系

陸上動物の体内にはこれがあるから、ナトリウムが尿中に流れてしまうことを防いで、 体内の電解質環境を一定の状態に保つことができる。

時代がそれから数億年進んで、人類の時代。地味だけれど大きな変化が、 岩塩を採掘したり、海水を蒸発させたりして、塩を作りだせるようになったこと。

体内からナトリウムが失われないよう、 身体を一生懸命進化させて来た動物にとって、「塩を自由に取れる」というのは 相当に画期的な変化だったらしい。

数億年かけて進化して来たナトリウム保持のメカニズム、あるいは「塩はおいしい」という感覚は、 たかだか2000年程度の時間経過では止められない。

塩が食卓に並ぶようになって問題になったのが、高血圧や、各種循環器疾患。

循環器疾患、特に心不全や高血圧の分野では、数千年前までは生命維持の必須装置であった レニン-アンギオテンシン系は、もはや完全に悪者扱い。 今でもどうやってこれを抑えこむか、いろんな試みがなされている。

所属医局の教授なんかは、「たぶん、レニン-アンギオテンシン系はもう人類には不用なんじゃないか」 と言っておられたり、某心不全の大家の先生なんかは、 「人類が塩分摂取を止められるなら、薬無しでも心不全は抑えられる」なんて言っておられたり。

自分の患者さんには、心不全とか高血圧とか、本来はずっと薬を続けないといけない 人が多い。痴呆が進んで食事が取れなくなった人というのは、やっぱり薬も飲めなくなってしまう。

で、こういう人を点滴だけにして、食事を通じたナトリウムの流入を無くしてしまうと、 心不全治療薬を用いなくても、案外状態が悪くならない。もちろん例外はいくつもあるし、 点滴だけにした人というのは、やっぱり数ヶ月すると亡くなってしまうのだけれど。

野菜の話もそうだけれど、本来の自然な状態に戻ること、昔に戻ること、 塩が手に入るようになった数千年前にまで時計を巻き戻してしまうという考えかたは、 そんなにスジの悪い発想ではないと思う。

動物の中の動物要素と環境要素

好適環境水というものがある。

海水魚の祖先も淡水魚の祖先もいっしょに泳いでいた頃の太古の水を再現したもので、 これを使うと淡水魚も海水魚も同じ水層で飼うことができる。

どちらの魚にもそんなに負担をかけることがなく、この水で飼うと、魚の成長も早くなるのだという。

この水の組成は企業秘密らしいのだけれど、カリウム、 ナトリウムと数種類の電解質しか入っていなくて、 塩分濃度は海水よりも相当薄いらしい。非常に安価に作れるというふれこみだから、たぶん そんなに特別なものは入っていないはず。

海水の塩分濃度が3.5% 。人間の体液の塩分濃度が0.9% だから、 たぶん好適環境水電解質組成というのは、体液に相当近い。

動物というのは「裏返った地球」。

いろんな生物が住んでいた古代の地球を風船に見立てて、 それを裏返したのが動物の基本的な構造。

動物の皮膚が外の環境と中の環境と隔てていて、 中の環境には太古の海と同じ濃度の液体が循環している。 陸上動物の体内には、今でも古代の地球環境がそのまんま入っている。

動物を動物たらしめているのは、たとえば食べ物を食べるとか移動するとか、外の世界と 体内世界とのI/O インターフェース部分。

老化という現象は、人間の動物部分が機能しなくなることだけれど、その人の体内にはまだ、 太古の環境、人体の植物要素が変化せず残っていて、動物部分を切り離した状態であれば、 この環境を維持するコストはたぶん、想像以上に低い気がする。

科学的に正しい話を散りばめて、その間をウソでつないで、全体として もっともらしい話に仕立てるのが科学的にウソをつくときの常套手段。 「水からの伝言」の人なんかは、たぶんこういうの得意だろう。

上の話はヨタな妄想だけれど、実際点滴だけで看取るのは想像以上に 「きれいな」状態を維持できるし、看るほうも家族も本当に楽。

こんな「消極的安楽死」を適用するときの言い訳になるような 物語を誰か作ってくれると、感謝する医者多いと思う。

経管栄養になって、ある日老健で噴水状に嘔吐して、 顔中甘ったるい経管栄養まみれになって窒息して救急搬送されて、 そのまま肺炎併発して死亡

あんまりいい亡くなりかたじゃないと思うんだけれど。