交渉の技術がきかない人

無重力では歩けない

自由は何も生まない。

重力が無ければ、人は立てないし、歩けない。 重力や地面といった制限の無い、無重力の空間というのはもっとも 自由な状態だけれど、この空間におかれた身体は、「歩行という動作」を発見することができない。

動作というのは、中枢神経系が創作するものではなく、「身体」と「環境」との関係の中から、 中枢神経が発見するものだ。

地面を移動するには、どんな動作が最適なのか。

自由な状態、無限に近い動作の選択肢の中から、脳が「歩く」という動作を生み出すのは困難を極める。

地面は、重力という形で身体に「不自由さ」を付与し、 その結果として身体は「歩行」という動作を発見する。

身体は自分の意志で歩行しているのではなく、地面と重力によって「歩かされている」。

返報性というルール

好意を受けた人は、相手にそれを返さなければならない。

返報性というのは、「人間関係」という場が持っている、重力のような不自由さ

人間関係という場は、返報性によって心の動きを制限する。

これは不自由。その代わり、みんながその「不自由さ」を獲得することで、 お互いに殺しあいをすること無く、協調する社会を作りあげてきた。

自由空間では、人は動作の認識が出来ない。

宇宙空間では、宇宙飛行士が様々な作業をしているけれど、 あの動作は地球重力が教えてくれた動作の再現。

無重力空間が、その空間にとっての最適な動作を教えてくれることはない。

返報性というのは、人と人との間隙にあって、 様々な情報をやりとりするための基本になる感覚。

これが感覚できない人というのは、歩きかたを知らない人と同じ。

様々な交渉のテクニック

  1. 返報性:相手の好意や譲歩に対する、「お返しせねばならない」という気持ち
  2. 一貫性:自らの言葉、態度を一貫性あるものにしたいという想い
  3. 好意:好感ある知人に対しては、人はイエスという傾向がある
  4. 社会的証明:「赤信号も皆で渡れば怖くない」。他人のやっていることに従いたくなる気持ち
  5. 権威:権威者の言葉に対して、思考せずに服従する傾向
  6. 希少性:機会を失いかけると、その機会が本来の価値以上に貴重に思える

マインドコントロールとか、霊感商法なんかで用いられているテクニックというのは、 だいたい上記の6つの応用。

その中でも、好意を返したい、他人から好感を持たれたい、 他人の好意を無にしたくないという人間の「返報性」というのは、 全ての交渉のテクニックの基本中の基本。

  • たとえば「おはようございます」とにこやかに挨拶をされたら、たいていの人は挨拶を返すし、 それを無視する人は、周囲からはつきあいにくい人だとか、偏屈な人といった印象を持たれたりする
  • 募金活動で赤い羽根や花を配ったりするのも同じ。それをもらうことで、相手に何かを返したいという、 返報性を利用した基本的なテクニック
  • 感じのいいセールスマンが100万円の壷を売りに来たとして、それを断る代わりに1万円の英会話セットを 買わされた人というのもまた、返報性の罠にはまっている。セールスマンは、最初から100万円の壷など 売るつもりは無く、英会話セットを売りに来ている

霊感商法なんかじゃなくても、このあたりの技術は、 退院したくない患者さんを退院させるときなんか、当たり前のようによく使う。

たとえば、靴を脱いでもらったときなどは、患者の靴を医者がそろえるのがそれ。 これをやると、その後のコミュニケーションがうまくいくし、地雷を踏んでも許してくれる公算が高くなる。

ところが最近は、靴をそろえたら、今度は着替えをさせる、さらには診療費をただにする…と、 どんどんエスカレートする人がいる。

相当困ってる。

返報性を忘れた人

マインドコントロールの技術というのは、格闘技の「柔道」にたとえられる。

柔道は、重力によって発見された武道だ。 相手の体重を利用することで、小さな人がより大きな人を投げることができる。

無重力空間では、柔道の技で誰かを投げ飛ばすことは出来ない。

宇宙空間では、打撃や関節技は有効であっても、投げ技を利用するのは難しい。

マインドコントロールという技術もまた、人は誰かと交渉したい、誰かの恩には報いたい という、人間関係の基本的な性質をうまく利用する。

だから、返報性を持っていない人に対しては、この方法論は全く無力。

最近は、今までの常識の通用しない人が増えている。

病院の多くは大部屋だけれど、廊下側よりは、窓側のほうがみんな気分がいい。 どこにいても治療は同じだから、窓側のベッドというのは、前から入院している人が、 順番に利用する。その人が退院したら、ベッド移動をして次の人へ。 この順番を飛ばそうとする人が増えている。窓際の人が退院すると同時に、 「私が窓側がいいので、ベッドを移動して下さい!!」と大部屋中に宣言する。

みんな病人で、それに逆らう元気のある人はいないから、たいていは言ったもん勝ち。

声の大きな人は「強い」のか

病院という閉鎖環境の中では、今のところはこうしたわがままな人、声の大きな人、 返報性を無視する人の一人勝ち状態。

罰則規定なんてないし、退院すれば、たいていは二度と病院には来ないから、 そういう人が失うものなんか何もない。

声の大きな人達にとっては、病院というところは要求する場所であって、 そもそも交渉なんかする場所じゃない。

インフォームドコンセントなんて、彼らから見れば、インテリのままごとみたいなものだ。

人と人との関係、あるいは「返報性」の存在を知覚しない人というのは、 それを意識する人に比べて本質的に自由であるのは 間違いない。

だけれど、返報性のない自由意志というのは、はたして意味があるものなのか、 それともそれは、単なる他の人の模倣にしかすぎないのか。

人間同士の意思決定空間という、返報性の支配する世界の中で、 それを軽々と乗り越えられる彼らというのは、 果たしてそうでない人達に比べて「優れている」人たちと言ってしまっていいものなのか。

正直分からない。

ごね得」の人とのつきあいかた

結論から先にいうと、自分にはどうしていいのか分からない。

ごねるだけごねて、自分だけいい思いして、あまつさえ料金踏み倒して 二度と病院に帰ってこないような人に対して、田舎医者風情が一矢報いる方法があるのなら、 ぜひとも知りたい。

自分の交渉のテクニックというのは、あくまでも相手が交渉をしたがっているのが前提だから、 交渉の欲求がない相手には全く効果がない。

「欲しい」だけで、「返したい」欲求が全くない、 息子が万引きをしてつかまっても開き直る親とか、 喧嘩で相手を半殺しにするような子供でも「個性」の一言で罰しない親とか、 そんな人達がゴロゴロいるようなグループというのは確かにあって、たぶん増えている。

こういう人達は、内科や外科にはあんまり多くなくて、 やっぱり産科や小児科に、すごく多い。

あのあたりの科に人が集まらない理由というのは、 仕事がきついとか、責任がとても重いといった理由以外に、 本当はこのあたりの要素がとても多いと思うんだけれど、あんまり大きくは語られない。

自分の持っている技術なんて、笑っちゃうぐらいに無力。

こちらは「繰り返し囚人のジレンマルール」なのに、相手は「1回きり囚人のジレンマルール」で 攻めて来るんだから、その非対称性はひっくり返せない。

何か全く新しい観点から見た、別の交渉の方法論が必要なのは分かってる。 でも、まだ何も思いつけない。

強弁や恫喝、警察権力に頼ったりするのはたぶん正解なんだろうけれど、 出来ることならそれだけは避けたい。

ムツゴロウさんあたりなら、案外いい答えを知ってるんじゃないかと思うのだが…。