本が出ることになりました

新刊のお知らせと、昔話を。

独りよがりな正義が敗北した話

まだまだ駆け出しだった大昔、本院から派遣された僻地の病院で、患者さんを「追い出す」役割を仰せつかったことがあります。

80歳をずいぶん過ぎた糖尿病の患者さんで、血糖管理も素行も悪くて、夜になると居酒屋さんに飲みに行ったり、インスリンの量を勝手に変えてみたり、病棟でたばこを吸ったり、とにかく「問題が多い人」という評判でした。

看護師さんたちから「手に負えないから退院を促してくれませんか」とけしかけられて、ろくに事実関係も調べないまま、「不良」患者さんを追い出すために、「白衣を着た保安官」になった気分で病室に乗り込んで、このときは「勝てる」だなんて、当然のように思っていました。

「あなたは約束を守らないし、糖尿病のコントロールもいいかげんだし、入院していても良くならないから、あとは外来でやりましょう」と、丁寧に、それでも決然とした口調を意識しながら、自分よりもはるかに年上の患者さんを諭そうとして、思惑とは逆に、手も足も出ないぐらいに言い負かされました。

  • 「先生、俺はたしかにいいかげんかもしれない。病院の約束を全部守るなんて無理だ。でもね先生、俺は自分なりに努力して、最近では血糖値も下がってきて喜んでいたんだ」\「…」(言い返せなかった)
  • 「先生、俺が今インスリンをどれぐらい打ってるか知ってるかい?」\「……」(知らなかった)
  • 「今日の夕方、血糖値が68まで下がったんだ。うれしかった」\「………」(知らなかった。本当の血糖値は268だった)
  • 「先生、俺は力もない年寄りだけれど、それでも入院させてもらって、今ではずいぶん血糖値も良くなって、喜んでたんだ。それでも先生は、出ていけって言うんだね」\「…………」(そもそも良くなっているのかどうか確認してこなかった)

自業自得とは言え、穏やかな口調で諭されて、もちろん一つも反論できなくて、「敗北」しました。ナースルームに撤退してみて、やっぱりどう言いつくろっても自分に反論できる余地はありませんでしたから、もう一度病室に出向いて、「申し訳ありませんでした」と謝罪すると、患者さんからは「分かればいいんだ」と肩を叩かれ、その人は結局、以降は「問題」を起こすこともなく退院していきました。

世の中には絶対勝てない人がいる

その人はテキ屋をずっと続けてきた「会話のプロ」であって、プロを相手に、駆け出しの自分が「勝てる」わけがなかったのですが、そのころはまだ、正義というものをずいぶん信じていて、正義に甘えきっていて、そもそも相手が「プロ」である可能性、患者さんが「努力して」いたり、そのことを「喜んで」いる可能性すら、自分は想定していませんでした。

「正義はこっちだ」という独りよがりな思い込みは、何も生みません。相手は治療を「サボって」、血糖値のことなんて、どうせ「気にもしていない」だろうなどという薄っぺらな想像では、それが破れたと分かったときには、自分にはもう、その場でできることはありませんでした。

穏やかに、それでも徹底的に打ちのめされて、「社会には、議論では絶対に勝てない相手がいる」という、恐ろしくも、あまりにも面白い事実に対峙して、そのころから交渉の技術に興味を持つようになりました。

いろんな人と穏やかに会話したい

ああいう言葉のプロを、何とかして打ち負かしたい、相手を徹底的に論破して、反撃の余地もないぐらいに追い詰めてやりたい。動機はいつも後ろ向きで、どうにかしてああいう人に「勝てる」ような、そんな交渉の「必殺技」を探して、当時はいろんな本を読みました。

それは人気のセールスマンが書いた本であったり、大阪府知事をやっている弁護士さんが書いた交渉の本であったり、心理学者や、あるいはクレーム対処にかかわっていた人であったり、世の中には、「勝てる」交渉を指南する本がたくさん出版されて、時々評判になっていて、それはたしかに面白く、なるほどと思える反面、じゃあそこで指南されている「交渉術」を使って、明日からの病棟運営が何か変わったかと言えば、そんなことはありませんでした。

本を読む傍ら、病棟では毎日、様々な交渉が続きます。そこで失敗したり、学んだり、おっかなびっくり、自分なりの「交渉」を続けていく中で、それは体系化にはほど遠いものの、どんな患者さんと対峙するのか分からない病棟にあってもなお、ある程度自分の身を守る効果が期待できる何かにはなりつつありました。

この頃はまだ、それを言語化、体系化することはできなかったのですが、「勝つ」交渉術の本が指南するやりかたは、自分にはリスクが大きすぎ、使いこなすのが難しい、という感覚がありました。

病院業務にとって、リスクというのは真っ先に避けるものであって、「勝つこと」というのは、そのリスクには引き合いませんでした。自分にとって必要なのは、「勝つこと」ではなく「会話すること」であって、初対面の人間同士、お互いに半歩だけ下がった穏やかな関係の中で、必要なことを会話できれば、たとえ勝てなくても用は足り、あるいは逆に、会話を通じて「上手に負けてみせること」がいい結果をもたらすことも多くて、「勝つこと」それ自体は、自分の興味からは、だんだんと遠いものになっていきました。

本が出ます

「お互いに穏やかに会話する」という、つまらないと言えばつまらない、その割に達成するのが案外難しい、こうした状況をどうやって作ればいいのか、ここ何年間か、そんなことを考えながら、blog の記事を書く機会が増えました。

そうした記事をまとめ、今回レジデント初期研修用資料 医療とコミュニケーションについて という本として出版させていただくことになりました。

前回出版させていただいた本とは違い、今回の本からは極力医学用語を減らし、同業者だけでなく、様々な業界の人にも楽しんでいただけるようなものを目指しました。病院のエピソードが大半というか、自分は病院の中以外で行われる「交渉」というものを知らないので、それ以外に語るべき内容を持たないのですが、病院という、比較的特殊な場所で働く人間が、普段どんなことを考え、どんな目的で会話を行っているのか、「中の人」の考えというものは、けっこう面白いものなのではないかと思います。

以下のリンク先に、内容の見本がおいてあります。

  • 序文 : 本書の「前書き」に相当する文章です
  • 概略 : 1章から9章、訴訟対策に関する「付録」について、各章の簡単な紹介文が記載されています
  • 目次 : 本書の目次です
  • 9章 : 本文第9章全文、本書の特徴の一つである「謝罪を積極的に用いた交渉」について、試し読みができるようにしてあります
  • 参考文献 : 参考文献リストです。突っ込みどころの多いリストですが、これら参考書は、「いろんな人と、穏やかなおしゃべりをするための本」を作るのに必要だったものです

執筆当初は単なるメモの山に過ぎなかった原稿を、より質の高いものに直していただいた査読者の皆様に深謝します。皆様が知識と時間とを提供してくださらなければ、そもそも本書は完成しませんでした。

最後に、本書の出版に多大なご尽力をいただいたオーム社開発部の皆様に心より感謝申し上げます。