どこかに「グー」がある

病院での交渉ごとというのは、何しろあいては白衣を着て、なんだかえらそうな椅子に座っているものだから、一見すると圧倒的に、医師側のほうが有利に見えるんだけれど、実際白衣を着て座っている側からすれば、患者さんが、特に患者さんのご家族が、怖くて怖くてしかたがない。

「グー」がない

医療交渉というのは、じゃんけんでたとえると、自分たちには「グー」を使う権利が与えられていない。

患者さん側には「グー」「チョキ」「パー」の選択枝があって、自分たちには「チョキ」と「パー」しかなかったら、これはもう、絶対に勝てるわけがない。

もちろん医療というサービスを提供しているのは自分たちの側だから、それを断られたら、患者さん側にはなすすべがないんだけれど、医療者側は何よりも、何かトラブルになったときに失うものが大きすぎて、一度失うと、それは取り返しがつかないものだから、患者さんから「グー」を使われる、何かをごり押しされるような状況になったとき、それを拒否することが難しい。

医療従事者が交渉の席に望むときには、だから世の中には「グー」なんて最初から無かったかのような、少なくともこの交渉の場では、「グー」を使うことが許されないのだ、といった空気を必死に作って、相手が3枚、自分が2枚しか持っていない交渉のカードを、あたかもあいてと自分と、最初からお互い2枚しか見えないかのように振る舞って、相手の有利を隠蔽する。

「グー」というカード、拳を机にたたきつけて、怒りで相手の論理をひっくり返すようなやりかたは、たとえば医療交渉の席ではほとんど万能の解答で、だからこそ、自分たちは穏やかな口調で、あたかも患者さんのご家族と、古い友人であったかのように振る舞って、相手が「グー」を切りにくいよう、あるいは「この病院では怒っちゃいけないんだ」みたいな、そんな禁忌があるかのように振る舞ってみせる。

こういうのはやっぱり、環の弱いところから破られることが多くて、人が必死に「グーなんて無いんですよ」を演じて見せて、それがある程度上手くいっているのに、たとえば自分たちの「権威」みたいなのを勘違いした看護師さんが、患者さんに対して横柄に振る舞って、カードの所在がばれてしまったり、休みの日にたまたま来た遠方の親戚が、「ここにグーがあるじゃない」なんて、今までの努力をひっくり返してみたり。

隠蔽されているカードを探す

恐らくは病院だけでなく、世の中のいろんな交渉の席で、「グーの隠蔽」が行われているような気がする。

相手側が何かの権威を持っていて、自分たちは「交渉の席」についているのに、それは交渉どころか、相手の意見を、相手の権威をありがたく拝聴するだけの場になって、「こうなったのは仕方がなかったんだ」なんて、なすすべもなく、相手の言い分をそのまま受け入れることしかできないような状態。

議論は一方的なのに、一見すると、自分たちには聞いてうなずくことしかできないのに、それでもそれが「交渉」だという、交渉なのに交渉というゲームが成立しない、こういう状況においては、たぶんどこかでカードの隠蔽が行われているのだと思う。権威であり、穏やかな口調でこちらを気遣って見せる余裕すらある相手というのは、じつは内心びくびくしていて、隠しているカードが見つかったとき、恐らくはそれを切られると、もうなすすべがない。

相手と自分と、同じ席に座らないといけない状況は、それはもう「交渉」なのであって、相手は少なくとも、「こちら側が椅子に座ってくれないと非常に困る」何かがあるから、わざわざ交渉の席が作られる。席に座って、相手の言葉を一方的に拝聴せざるを得ない、そんな状況に出くわしたときには、実は本来、なすすべを持たない自分たちの側に、極めて有利なカードが隠されているのかもしれない。