お受験 2.0

前提条件として以下のことを想定した場合の、新しい入学試験形態の提案。

  • 格差社会という現象が今後も続く
  • 「勝ち組み」といわれた人も、先のことが全然読めない状態は続く
  • 少子化は進み、大手学校法人でも、生徒を集めるのに苦労するようになる

こんな前提が続くのならば、「入学希望者を試験で選抜する」という従来の制度を止めて、 「受験を本人にやらせるのではなく、その子供の推薦人を試験で選抜する」という 試験制度を提案する大手私学が出てくるんじゃないか、という話。

高校生のころ

通っていたのは結構有名な私学。総生徒数 8000名を数える、マンモス校なんて言葉を通り越した、 ひとつの町みたいな学校。

朝夕の国旗掲揚なんていう習慣があって、世間からは保守的な学長だと思われていたみたいだけれど、 結構時代の先を読んでいた。

  • 創立当初から野球に力を入れて、まず野球で有名になって、次に受験に力を入れた
  • J リーグが誕生する前から、「これから流行るのはサッカーだ」と、サッカー推薦の学生を多く取った。 今もこの学校出身のJ リーガーは何人かいる
  • 「社交の技術として、テニスとスキーは絶対に欠かせない」というのが昔からの方針で、 この2つのスポーツは必修科目
  • 「社会人として、歌舞伎とオペラを語れないと恥ずかしい」というのも昔からの方針で、 学校の中に演劇用のホールがあったりする
  • 「女子高生制服図鑑」なんていう本がベストセラーになったあと、「これからの学生は制服で学校を決める」と 予想し、女子部の制服を全面的に変更、それに合わせて男子部の制服も変わった。OB 会を含め、 全校生徒が反対したこの「制服改革」の結果、入学希望人員が大幅に増えたらしい

入学試験の選抜基準を大幅に変えたのも、自分達の頃。

ただでさえ人数の多かった学生数が、ある年いきなり2倍に増えた。

教えきれないとか、学校全体のレベル低下を招くとか、みんな猛反発。 それでも強行。

入学試験の時は、誰でも緊張する。実力がありながら、緊張のために普段の実力が出せない学生と いうのは、たいていは合格ラインぎりぎりのあたりで落ちてしまう。 そうした学生を拾えれば、レベルが下がることはありえない。

学長の説明は、たしかこんな話。

実際そうなった。

マスの中から目的の小数を見つける技術

あの頃はバブル前だったから、「定員2倍」なんていう力技は有効だった。今なら絶対無理。 実際、けっこう無理もきているらしい。

ネットワークばやりの昨今、たとえば疫病の予防線を張るときなどに使われているのが、 「感染者の友達はやはり感染者」という方法。

疫病のワクチンは、自宅に引きこもっている人よりも、 何百人もの友達と接する人に接種したほうが、 より予防効果が高い。

ところが、何万人もの中からそうした人を探すのは大変な手間がかかるし、 エイズみたいな病気だとそもそも聞けないから、 ワクチンを打ちに来た人に、「あなたの友達を紹介して下さい」とお願いして、 その人にもワクチンを接種する。

友達の多い人は、そうでない人に比べて、友達がワクチンを接種される確率が高い。 だから、紹介された先に「何百人もの友達を持つ人」がいる可能性は高い。

学生のパイは年々小さくなるし、優秀でない生徒が増えれば、学校のブランド力も落ちていく。

入学生をたくさん取って、ブランド力を「東大合格者数」だけに求めるようなビジネスモデルが 今後通用しなくなるなら、「受験」というリクルートの考えかたを変えなきゃいけない。

富裕層は不確定要素を嫌う

流動性が高まって、先の全く読めない時代。

富裕層にだって、「国家100年の計」なんて、未来を考える道楽をする余裕なんかほとんどないはず。

今度の内閣のテーマはチャレンジだけれど、 今「上」にいる人達が望んでいるのは、チャレンジャーが成功できる世の中でなくて、 たぶん「勝者が勝者でありつづけられる」ためのシステム。

どんな優秀に育った子供だって、「一発勝負」には不確定要素がつきもの。 受験というのも十分に不確定な要素だから、それを嫌う富裕層は、きっと多いと思う。

「不公平ルール」による入試の提案

不確定要素が少なくて、十分に「優秀な」生徒を集めるための方法というのは、以下のようなもの。

  1. 子供の親は、その子を推薦してくれる、身内以外の「推薦人」を探す
  2. 推薦人は、自分の履歴書と、その子供を推薦する文章を書いて、学校側に提出。 これが1次試験になる
  3. 2次試験は、子供本人ではなく、推薦人が試験され、合否判定が下される
  4. 子供の質については、入学まで一切問わない。推薦人は、「面子を失う」という社会的ペナルティのみ下される
  5. 推薦人は何人用意してもいいルールにすると、もっと不公平感が高まって面白いかも

昔からある大手私学で、いわゆる「ブランド力」のあるところであれば、 結構うまく行くような気がする。

根拠になっている理屈は2つ。

  • 優秀な人の友達は、やはり優秀である可能性が高い
  • 頭の中身に関係なく、優秀なネットワークに接続されている人は、社会的に成功する確率が高い

「社会的に…」というのがごまかしを入れているところで、こういうやりかたをすると、 東大合格者数とか、塾の偏差値といった、数字で評価できる要素は間違いなく下がる。

だから、古くからある私学みたいな、数ではなく、ブランド力を維持することに 力を注げるところでないと、たぶん失敗する。

このシステムは、まず推薦人を用意できないと始まらないから、 すごい人を雇えるぐらいに裕福か、すごい人に知りあいの多い親でないと、 まず受験の入り口にすら立てない。

推薦人の社会的な信用も試されるから、推薦人になるのだって度胸がいる。

推薦人に心当たりのある家庭に育って、その推薦人が自信を持って推薦できる子供であれば、 その時点で「外れ」は相当少なくなる。

このシステムは、ノードとしての子供を評価するのではなく、その子供がつながる ネットワーク全体を評価する。

仮に、その子供がそんなに優秀でなかったとしても、その子の身内には、 高い確率で優秀な人がいるし、学生生活を通じて「親のネットワーク」に みんなが接続される。

だから、その子供が社会的に失敗する可能性は相当低くなる。

公平さを全く欠いたルール。日教組系の人が発狂しそうで、ちょっと面白い。

「公平」ルールの生み出したもの

公平なルールの最たるものが、神奈川アチーブメント方式だった。

これもまた、一発勝負の受験から、なんとかして不確定要素を減らそうという 発想から生まれた方法。ところが、優秀な人の「優秀さ」を殺して、 落ちこぼれを選抜して隔離するためのやりかたになってしまった。

神奈川県内の全ての中学生は、2年生の頃に同じ試験を受ける。

その結果と、学校の教員の内申点で、高校の合否のほとんどが決まる。

県内は、だいたい5校ぐらいの「学区」に分けられて、成績のいい順に受験校を 割り振られる。倍率は1倍ちょっと。入学試験は、ほとんど飾り。

成績上位校から4番目の学校までは、入学試験なんて無いも同然。 その代わり、中学生時代の素行ひとつで内申点が上下するから、 中学生には自由なんて無い。

内申書が悪くなるぞ」というのが、当時の公立中学の先生の殺し文句で、 これひとつで授業を静かにしたり、女子中学生を暴行したり、何でもあり。

最悪なのが「成績下位校」と呼ばれる存在。

成績上位から学生を人数ごとに区切っていくと、どうしても でてくる「最後に残る」学生の一群。

当時の神奈川方式では、試験の倍率が一番高いのが、それぞれの学区内で一番成績の低い学校。 他が1.02 倍程度の倍率なのに、ここだけ倍率が3 倍とかあって、受験は大変。

仮に入学できたところで、入学した時点で「下位校」のレッテルが張られるから、 やる気なんか出るわけがない。

高校数学で最初にやるのが「掛け算の九九」だったとか、みんな中途退学しちゃうから、 卒業までにはクラスの人数が2/3 に減っていたとか、都市伝説的な噂が山ほど。

あんまりいい結果が出なくて、いろんな不祥事が報道されたりして、 「神奈川方式」は立ち消えた。今はどうなっているんだか。

教育は投資

「教育は投資です。この学校の授業料は高い。しかし、大学受験が近くなって、 塾だ何だと投資をすることを考えれば、トータルの出費は決して高くない。 結果を出せるように頑張りますから、余計な出費はしないで下さい。」

入学したときの父母会で、担任の先生からこんなことをいわれた。

入学以後も、「君達は投資物件」だとか、「戦略物資」だとかいわれたこと、何度か。

仕方ねえな。俺達はモノかよとか思ったけれど、それでも結構面白い学生生活。

超人的な体力を誇った野球部の連中とか、10万年以上生きている悪魔の先輩の伝説とか、 お笑い要素もたくさんあったし。

当時みたいに、今も教育というものが投資なら、リスクを避けて 高いリターンが望めるものに人気が集まるのは当然で、 その「リターン」を評価するのが「東大合格者数」だけというのは、いかにも寂しい。

営利団体としての学校が、教育という商売のタネをはみ出そうとしたとき、 その人その人が属しているネットワークの格付けと、ネット同士の相互作用の場の提供 という2つの側面を打ち出してくると、面白いような気がする。

格差維持装置としての私学と、格差是正装置としての公立学校との争いなんかも あったりして…。