組織崩壊までの4段階(再掲)

社会にはいろいろな組織がある。病院や会社といった組織。「内科」「医療界」といった、いくつもの施設が集まった、さらに大きな組織。どんな組織にも創業者たる代表がいて、その人、あるいはその組織の求心力に引き寄せられて人が集まり、組織を作る。

病院をはじめとする組織が誕生してから、それが崩壊するまでの間には、その求心力の根源が4段階に変化する。

すべての組織が同じ段階からスタートするわけではない。

組織のできかたは、組織により様々に異なる。一方、組織の崩壊のしかたは、どんな組織でも大体同じような経過をたどる。組織を崩壊する方向に進めるのは簡単だが、組織崩壊の過程を元に戻すには大変な苦労がいる。

夢の時代

民間の組織は、誰かの夢から始まる。

やる気のあるリーダーが、自分の実現したい夢を周囲に語り、それに賛同した人たちが集まって、組織が生まれる。

その世界に同じことを考えている競争者は少なく、一方リーダーの夢を心待ちにしていた人は多い。

どんな団体でも、黎明期はそのようなものだ。全く新しい世界での仕事、多くの人が考えたことも無かったサービスというのは世界から歓迎され、またそれに関わる人々は周囲から尊敬される。

仕事に対する報酬は「ボランティア」同然。非常にきつい仕事内容は、毎日が学園祭前夜とも形容されるが、その熱狂もまた学園祭前夜のそれ。

1日中集中力を保つためには、かなりの体力が必要です。あまり慣れていないと、昼過ぎくらいには頭がボーっとしてきてだんだん作業が進まなくなります。これにはトレーニングが必要で、何度も続けているとだんだん集中力の持続時間が長くなってきて、夜まで作業をイーブンペースで続けられるようになってきます。 それに加え、僕自身は集中力がきちんと続くように、毎日運動をして体を鍛えています。それと、こういうときは昼に1回昼寝を入れるようにしています。こうしてこつこつとトレーニングしつつ取り組んでいくと、10時から19時までの9時間をフルに活用して最大の生産性を発揮できるようになってきます。 jkondo(はてなの社長さん)の日記

忙しくてきつい仕事に文句をいうスタッフはおらず、チームのモラルは高い。

リーダーの夢がスタッフを引っ張りつづけている間、あるいはスタッフの誰かが体を壊すまでの間、この夢の時代は続く。

名誉の時代

リーダーの「夢」がある程度軌道に乗り、仕事がルーチン化すると、組織は安定期に入る。

初期からのメンバーの中にはリーダーの夢に飽きてくる者も出るが、この間に組織が築き上げた名声に名を連ねるのは気分がいい。ほとんどのスタッフは、当時からそのまま居着いている。

名声が築かれた組織には、そこで働く名誉に引かれて、新しい人が集まってくる。

組織は大きくなる。

リーダーだけでは、組織を全て把握するのが不可能になった頃、新人スタッフの中には、創業者と直に話したことのない人が出てくる。

組織の運営には、初期のリーダーとは別の人、「専門家」を自称する人があれこれ口を出し始める。彼らは組織の名声に自分の名前を刻もうと画策し、ときに初期のメンバーを批判する。

  • あなたがたのやり方は非効率的
  • 情熱だけで人を引っ張るやり方は古いんですよ
  • この会社も、将来へのステップアップを考える時期です

こうした意見に違和感を訴える初期メンバーは、「専門知識も無いのに反対だけする奴」として批判される。

非専門家」と名指しされた初期メンバーの中には、組織を離れるものが出始める。創業当時のメンバーがいなくなっても、組織自体はまだまだ大きくなる。それでも、組織からは「何か」が失われ、その名声はだんだんと衰えていく。

組織の名声が衰えていくと、その求心力は落ちる。

  • 「訴訟されると人生が終わる」
  • 「裏切るとこの組織から放り出すぞ」

名声の段階も末期に差しかかると、組織は恐怖を用いることで、求心力を保とうとする。

「その組織にいる名誉」がなくなり、「組織から放り出される恐怖」が、もはやモチベーションになりえなくなったとき、組織は崩壊の次の段階に進む。

お金の時代

創業者の夢が切り開いた世界が成熟してくると、「二匹目のドジョウ」を狙う競合する組織がいくつも出現する。そうした組織は、後を追うものの強みで、勢いがある。

後発組みに比べて、最初の組織には勢いの衰えが目立つ。もはやそこには名誉ある開拓者の姿はなく、競合組織にパイが食われるのをおびえる巨人の姿しか見えない。

後発組織のトップが、「ダビデゴリアテ」の例えを引き合いに出して取材に答えているとき、最初の組織は例外なくゴリアテに例えられるようになる。

自分のいる組織の名声が衰えてしまうと、人はそこで働く意義を、働くことにより得られるお金に求める。

もう冒険はこりごりだ。ここは大きく古く、鈍くなったけれど、まだまだ給料だけはいい。それだけでも、この施設で働く価値はある。

組織のメンバーのモチベーションは、進化を志向するよりは現状を維持する方向に発揮される。

この段階になると、団体の創世期からのメンバーが別の団体を作っていたりしている。

かつての仲間が今では競争相手。中の人は、自分の組織を他からの視点で眺めることができるようになり、自分の居場所に、周囲からの評判の悪い部分が目に付くようになる。

患者からの感謝なし。家族からの評価なし。世間の評価は最悪でもはや賤業。 訴訟のリスクを常に抱えていて裁判官の印象も最悪。 こんな状態で金以外の何を信用しろと?

組織のモラルは低下する。トップは自己保身に走るようになり、幻滅した部下は、他のもっと見返りの大きい組織へと移っていく。

組織やチーム全体の志気が低下すると、そこから出て行くのは、組織で最も優秀な人たちだ。

彼らが一番不満を抱えていると同時に、転職できる可能性も高いからだ。優秀でない人たちは、給与に不満はあっても、今の組織を辞めると行き先がないことを自覚している。

優秀な人材が逃げ出せば、組織全体の生産性は低下する。生産性が低下すれば、残った人たちの仕事は増え、時間当たりの報酬は減少する。ますます労働条件は悪化し、その組織には魅力がなくなっていく。

高邁な精神などDQN患者の前では消し飛ぶ こんな人を救うために医者になったのかと しかしそれでも仕事 それが仕事

あくせく働くことが馬鹿らしく思える頃、お金すらも、スタッフのモチベーションたり得なくなる。

余暇の時代

もはや働くこと自体が「バカらしい」と考える人しかいなくなった組織は、死に体となる。

モチベーションのすべては「定時に帰ること」「余計な仕事を増やさないこと」にささげられる。 この段階になってしまうと、もう黒字を作ってくれる人はごく小数になってしまう。

競争の激しい業界では、経営が成り立つことは期待できず、組織は崩壊する。

一方で、この状態になっても潰れる心配のない団体が存在する。

地方公務員、郵便局員などの組織は、最初からこの段階から組織が生まれ、そのまま継続している。

こうした集団は、余暇の多さが立派なモチベーションたりうる。何もしたくない人にとっては、「何もしなくてもいい」組織というのは最高の職場だ。

公務員組織は、誕生当時から永遠に近い寿命を保証されている。

人間の作る3つのシステム

組織のこうした経過というのは、ソフトウェアの進化の過程によく似ている。

UNIXの考え方」という本より引用。全ての優れたシステムというのは、以下のような3つの成長段階を経るという。

  • 第一のシステムは、小さなグループが創造力を駆使して短期間で作り上げ、柔軟性に欠け機能は限定されているが、標準的なシステムよりも性能が良く、無駄なくすばやく動く。
  • 第一のシステムの成功に触発され、第二のシステムが作られる。「第二のシステム」は多くの人の心をとらえ、商業的に成功するが、最悪のシステムである。第一のシステムの成功に乗り遅れた「専門家」が、自らのコードや考えを組み込もうとするため開発グループは肥大化し、それとともに機能も肥大化する。それとともに第二のシステムはリソースを消費し、ゆっくりとしか動かなくなる。
  • 第二のシステムの重さに皆が嫌になった頃、第三のシステムが現れる。この頃には、最初の開発グループはもういない。第一のシステムのコンセプトは常識になり、しかも開発者には十分な開発期間があるので、第三のシステムは再びリソースを消費せず、すばやく動くシステムとなり、理想的なシステムとなる。
  • 第三のシステムを作るには、第一、第二のシステムを作る以外の方法は無い。

開拓者組織が崩壊しても、そこにはリーダー達が作った「ニッチ」が残っている。

恐竜時代、恐竜たちは巨大な生態系を作ったが、その進化の過程で絶滅した。

それでも、世界はそのまま残っている。恐竜の作ったニッチには、すばやく賢い哺乳類が生まれ、また新たな競争が始まり、生態系が作られる。

「恐竜」に依存していた生物は、その世界ではもはや生きていくことは出来ないけれど、その世界にはまた、新たなニーズ、新たな顧客が掘り起こされている。世界は恐竜時代とは一変するが、遠目にはそれが地球であることは変わらず、歴史は続く。

夢を見たことのない人たちに夢を語る資格などない

現在の研修医養成制度の悲しいところは、余暇の段階にある組織のえらい人たちが「夢」を掲げて、研修医に安価な労働力になってくれることを期待している部分だ。

個々の病院のリーダーの先生は、夢でもって人を引っ張った人たちが大勢いた。

夢を見たことの無い役人には、そうした人たちが語る「夢」というのが、「人を安価に使える便利な言葉」であるとしか理解できない。

「夢」というのは便利な道具。どれ、自分達も使ってみよう。

研修医制度に何の夢も持っていない人たちが形だけの「夢」を語ったところで、腐った夢には誰も寄り付きはしない。

臨床研修制度、地域医療の枠組み。こうした制度や組織、かつてはいくつもの病院が夢を掲げて研修医を育て、派遣した世界は、もうすぐ腐る。古い組織が滅んで場所が空けば、そのニッチに新しい制度や組織が生まれる。そうなるのはきっと、そう遠くないはずだ。

こんなときだからこそ、医師の自治組織、夢の語り手としての大学病院の意義というものが、もっと見直されてもいいはずなのだが。いまは大学病院に残る研修医は馬鹿者扱いされているみたいだが、それでも自分は、大学という組織の底力みたいなものを信じたい。

意気込んだ割には何の反響も無かった文章。不憫なので再掲。ネタもないし。