産科の崩壊の雪崩

思考実験

  1. ゴムか何か、変形可能な材料で出来たサラダボウルのような容器の中に、玉を1つ置く。
  2. 何もしなければ、玉はボウルの底で静止している。ボウルの中心はちょうど底に当たる場所なので、少々外乱を加えた程度では、玉はすぐにボウルの中心へ戻る。
  3. 何人かがかりで、ボウルの縁をゆっくりと引き伸ばし、その形を半球状のボウルから浅い皿、ついには平面にまで引き伸ばしてしまっても、上手にやれば玉は中心から動かない。
  4. さらに、引き伸ばされたボウルを裏返してみる。
  5. 裏返ったボウルは、あたかもドームのような形になる。ボウルのそこにあったはずの玉は、今ではドームの頂点に位置している。それでも、慎重にやれば玉は中心から動かず、玉は相変わらず静止している。

ボウルの底と、ドームの頂点。場所は変わっても、玉が静止しているという意味では同じ。

違いは、「何か」がおきたときの変化に現れる。

玉がボウルの底にあったときは、少々ゆすったぐらいでは、玉はすぐにもとの位置に戻る。よほどのことが無ければ、玉がボウルの外から飛び出すことはありえない。

一方、ドームの頂点にある玉は、ごくわずかな刺激が加わっただけで動き出す。1度動いた玉は、世界の果てまで転がり落ちつづけ、二度と中心に戻ってくることは無い。

この数年で産科におきたことは、たぶんこんなことだ。

産婦人科が減っている

ほんの3程年前、岩手の大きな市の産科が撤退し、1つの町が「子供の産めない町」になった。

当時自分は某東北地方の小さな病院にいて、このニュースは医局でも話題になった。その時の会話は、「あと10年もすれば、このあたりで産科なんかやる人いなくなっちゃうよね」といったもの。あの頃から、誰もが産婦人科はヤバいと思っていた。それでも、この東北地方の話題は特殊なものだと思っていたし、「あと10年」という感覚は、危機感としてはそんなに強いものではなかった。

当時の病院にも産科はあり、ベテランの産婦人科の先生が1人で頑張っていた。医局の誰もが、産科の大変さは目の当たりにしていたが、それでも当時の認識はこんなものだった。

自体は予想をはるかに越えて早く進んだ。

当時、「あと10年」と思っていた事態は、まだまだ7年以上を残して既に現実になっている。某匿名掲示板では、未来予測はたいてい悲惨なものが主流を占める。当時から、医者はみんなネットに繋がっていたけれど、それでもここまで早い進展を読んではいなかったような気がする。

今、まさに雪崩をうって、産科が撤退している。自分のいる県でも、もう県内の南1/3では子供が産めなくなった。端の方とはいえ関東地方だ。医者の絶対数だって、そこまで悲惨なぐらいに少ないわけでは決して無い。それでも産科は撤退する。子供の生める町は、毎年のように増える。

ボウルが裏返ったのはいつか

ほんの3年程度の間で、何が変わったのだろうか?

勤務条件自体は、当時も今も、それほど大きな変化があったとは思えない。出産の数、合併症妊娠の数なども、たぶんそんなに激変は無い。

訴訟リスク?たしかに大きな要因かもしれない。それでも、産科には昔からこうしたリスクはつきもので、リスク承知で仕事をしなくてはならないのは今も昔も変わらない。この数年で、産科を取り巻く環境を激変させるような、何か大きな訴訟があったわけでもない(と思う)。

いずれにしても、はっきりと「これ」という、誰もが納得できる原因というのは見つからないような気がする。

たぶん、事態は3年どころか、もっと前から始まっていたのだと思う。

前のボウルの例えでいくと、産科がまだまだ進歩段階で、患者も医者もリスク承知で頑張っていた時、大体昭和60年代は、ボウルはまだまだボウルの形をしていた。もちろんお産にはトラブルがつきもの。ボウルはよく揺れたが、「玉」である産婦人科医は、なんだかんだいってもまた中心に戻ってきた。

お産が安全になった頃、多分10年ぐらい前から、ボウルの縁はだんだんと引き伸ばされ、ボウルは平面に近くなった。

  • 産科医を雇うのは高コストだ。人件費はバカにならない。1施設あたりの人数を減らし、当直回数を微妙に増やす。
  • お産は医療からサービスへ。水中出産、自宅分娩、様々なバリエーションを選択可能なように。合併症が出たら、大きな市中病院の産科へ押し付け。
  • 市中病院での分娩はサービスが悪くて味気ない。助産院や個人病院での分娩がトレンドに。市中病院の産婦人科は、いつしか不採算部門になり、事務方の対応が微妙に冷たくなる。

こうしたできごとは、すべて「ボウル」の縁を下げ、ボウルをボウルから平面へ、さらに半球へと変形させる力となった。

「玉」の当事者である産科医は、たぶん縁がだんだん下がっていくのをもっと前から知っていた。それでも仕事はやってくる。病人が来た以上は、ボウルの中心に居て働かなくてはならない。

世界の中心に止まることはだんだんと難しくなっていっても、外から見れば玉は中心から動かない。「ならばもっと縁を引っ張ってやれ」コストを気にする人たち、経営者やサービスの受け手の患者は、こう考えた。

ボウルが平面となり、何かの臨界を越えて半球になったのが、たぶん今から5年ぐらい前。3年前の岩手での撤退がニュースで報じられた頃、たぶん「玉」は動いたのだろう。

ボウルを元の形に戻すのは不可能

一度転がった玉は、勢いを増すことはあってもそれをとどめることはきわめて難しい。

病院というのはネットワークを作っている。

どこかの町の総合病院の産科が吹っ飛ぶと、その病院では救急患者が取れなくなる。 ↓ ↓ 救急患者が取れなくなった町の開業医は、リスクの受け手がいなくなるので分娩を扱うことをやめる。 ↓ ↓ 町全体で子供が生めなくなり、その町の妊婦さん数百人が隣町の総合病院へ。 ↓ ↓ 隣町の産科もギリギリでやっている。そこの仕事もハードになり、やがてその病院も吹っ飛ぶ。 ↓←いまココ ↓ 3番目の町の総合病院には、今までの3倍の患者が押し寄せ…(以下略)

この雪崩を食い止めるには、どこかの市に巨大な産科のセンター病院を作って、そこで崩壊のカスケードを食い止めようという議論がよくやられる。でも、これはまず不可能だ。ベテランの産婦人科医を一人、当直付きで雇おうと思ったら、最低でも1年あたりフェラーリ1台分ぐらいの予算がかかる。産科のセンターなどをつくろうものなら、その予算はゴミ処理場のような高価な設備を作る予算以上に莫大なものになる。

ゴミ処理センターをどこの自治体が作るのか、いろいろな県でもめている。あれは、どこかに作ってもらって、それを利用させてもらったほうが、はるかに「お得」だからだ。

産科のセンターだってことは同じ。

何しろ人の命がかかっていますから。よもや、うちの町の患者さんを断るようなまねはしませんよね…

各自治体の思惑は、こうした施設をどこに押し付けるかが全てだ。

リスクの感じかたは変えられるかもしれない

ところで、仕事に感じるストレスというのは、その仕事に伴うリスクをどう感じるかで大いにされる。

たとえ自分の置かれた地面がドームだからといって、乗っているのは玉ではなく人間だ。

地球上に乗っかっている全ての人は、みな球の上の住人だ。それでも、そこから転げ落ちるストレスなど、誰も感じていない(重力が…とかの突っ込みはしないで下さい)。

産科の場合、「万が一」をどう想定するかでリスクの感覚は大いに異なる。

自分がかつて研修を受けた病院では、お産を年間800人程度受けていた。当時の産科の常勤は2人。一人は病院長兼任。時々当直だけ来て下さる非常勤の医師はいたが、ほとんどのお産は、救急を含めて 実質2人でまわしていた。その下に、素人同然の研修医が数人。

自分が研修を受けた10年前、それでも当時の産婦人科の雰囲気はそんなに絶望的なものではなく、「産婦人科がやばい」という意識も研修医には無かった気がする。

確かに、当時のベテラン医師というのは超人的な人たちだった。それでも、超人といえど人間だ。手足は4本しかないし、ご飯も食べれば夜は寝る。彼らだって普通に家には帰っていた(2日に1回、午前3時ぐらいに…)。それでも産科は普通に回せていた。

当時と今とで、何が変わったのかと言えば、リスクに対する考え方だ。実際問題、訴訟などのリスクは、今も昔も一緒。もちろん今のほうが厳しいが、それだけで現在の産科総崩れ状態を説明しきるには無理がある。変化があったのは、悲惨な経過をたどった症例、悲惨な経過をたどった医師や施設の情報が、以前に比べて格段に容易に入るようになったことだ。

「状況」という漠然としたものを自分がどう感じるのか、それを判断をするための情報は、身近な人からはえられない。判断の材料になるのは、遠くはなれた人の体験談だ。身近な人は、自分の事を全部知っているから、世界の外からの情報を提供してくれない。

病院という社会は狭くて忙しい。横のつながりはほとんど無い。自分のおかれている立場というのは極楽なのか地獄なのか、そんなことすら、ほとんどの医師は自分だけでは判断できない。

一つの施設にいる産科医の数など、多くてせいぜい5人ぐらい、普通は3人だ。ニュースで流れる悲惨な訴訟症例、潰れた産院の噂。そうした情報を耳にしたとき、集団の誰か一人が「悲惨だ、辞めたい」と思ったとき、その意思というのは、医師の属する社会が狭ければ狭いほど、他の医師に伝わりやすい。

銭湯の中では、湯船の中で同じ温度を共有していても、それを熱いと感じるかどうか、「水を入れる」という行動に移すかどうかは、そのとき湯船に浸かっている人数によりかわってくる。

湯船に一人しかいなければ、熱いと思えば水を入れればいい。

一方湯船に20人も入っていれば、黙って入っている他の19人に遠慮して、「熱い」と感じる自分の感覚を疑うようになる。

意思決定の前に多くの相手の行動や意見を考慮すればするほど、その中の一人から受ける影響は減る。誰もが大勢に注意を払っている状況では、単独で行動する人は、誰の意思にも影響を与えることが出来ない。

社会に雪崩的な変化を起こす条件というのは2つある。

  • 個人個人のつながりが、あまり密でないこと
  • 変化を起こすための閾値が十分に低いこと

あまりにも密接につながったネットワークは、人がいっぱい入った湯船のようなものだ。誰かが「何か」を感じても、それが全体につながって雪崩を起こすことは少ない。

マスコミの産婦人科叩き、事務方の冷たい態度、お産という行為自体に100%の成功を求めるプレッシャー、そうしたものは、医師が「行動」に移る閾値を限界まで下げてしまった。この限界を元の位置に戻すには、もはや莫大なコストがかかりすぎて、多分不可能なのではないかと思う。

情報公開は雪崩を止めるか

雪崩を止めるもう一つの方法は、ネットワークのつながりを密にすることだ。

「湯船」に漬かっている医師が3人しかいないからいやな予感がそのまま共有されてしまう。情報を公開して、同じ浴槽の中にいる人間の数を100人とか1000人とか、極端に多い数にすれば、「いやな予感」は本当に「いや」なのかどうか、周りを見て考える余裕ができる。

ほんの数年前まで、今と同じような給料、同じようなリスクで産科医は普通に働いていた。そんな中でも「いい」条件のところと「悪い」条件のところは絶対にある。

情報が見えないと、人は自分を疑う。他人の芝が青く見え、自分の居場所が醜く見える。

以前働いていた病院では、「事務方に対する嫌がらせ」として、医師全員の給与明細をみんなで医局に張り出した。誰が不当に多くもらっているのか、誰が働きの割に報われないのか。全てをオープンにすると、自分の立ち位置がよく分かった(一般内科がダントツで少なかった…)。

同じことを日本中でやる。個々の病院の「忙しさ」の程度、給料、当直回数などをネットで公開する。多くの医師が、自分の置かれている状況、それに対する自分の考えかた、状況の受け止めかたをblog等で公開する。自分が今働いている施設は、全日本レベルで見て「どう」なのか、全ての医師が自分の太刀位置が分かるようにする。

「情報共有」を大組織全体でやることの意義とその裏にある怖さは、個々人の実力や仕事ぶりが、発信される情報を通して、どんどんガラス張りになっていくことである。そしてそれによって、情報が淘汰され、ひいては人が淘汰されていくプロセスにつながっていくことなのである。 My Life Between Silicon Valley and Japan :「情報共有」という組織原理

情報を公開するということは、自分の環境に順位がつくということだ。そこには必ず勝者と敗者とが出現してくる。その順位を見て、自分がいい所だと思っていた場所が、実はゴミ山同然だった事に気が付いてしまう医師も出るかもしれない。一方で、悲惨だと思っていた自分の状況が、案外そうでもない事に気がついた医師は、思い直してそこに留まるかもしれない。

自分の順位をどう受け止めるのか、それは個人の価値観次第だろう。いずれの方向に行くにせよ、お互いの情報が明らかになれば、「わけの分からない雰囲気」に飲まれた産科崩壊の雪崩は止まるのではないか。

どこまで効果があるのか分からないけれど、コストがゼロであるという利点は大きいと思う。