不幸を呼びこむ人

  • 病院ごとの実力を、何かにつけて比較する
  • 改善策の提案よりも、欠点の指摘が好き
  • 同業者をほめることより、けなすことが先
  • 属人的な説明を好む

こんな人が近くにいるならば、研修医の人達は、可能な限り距離をおいたほうがいい。

不幸は伝染する

不幸を呼びこむ人というのがいる。

実力はあるのにまわりの人が離れていったり、立場も名声も得ているはずなのに、 なんだか楽しそうでなかったり。

有名な研修施設がいきなり崩壊してみたり、医師がまとまって離脱してみたり、 いろんなところでありえない事態が進行している昨今。きっといろんな理由が あるのだろうけれど、あえて医療者側だけに原因を求めるとしたら、 事態の中心には、たいていこんな人が隠れている。

不幸を呼びこむタイプの人というのは、現状を楽しむことができなくて、 いつまで経っても「自分は不幸だ」と思い込んでいる人たち。

それはうまい方向に転がると、「向上心」となってその人を駆動する 原動力になったりもするんだけれど、そうでない人もまた、ものすごく多い。 行き場のない不幸な感覚は、不満となってその人の体内にたまっていく。

不幸や不満は伝染する。

不満を抱えている人というのは、人間を「敵か味方か」で判断しようとする。 敵対したくなければ、味方になるか、味方のふりをするしかない。

2枚舌を使いつづけるのは大変だから、一緒に過ごす時間が長い相手の気分や感情、 考えかたというのは、どうしたって自分の中に共有されてしまう。 不満を抱えた人の陰口や、足の引っ張り合いゲームに恒常的に参加していると、 その人とつきあっている人の考えかたも、自然にそれに影響されていく。

ゲームはだんだんと大規模になって、チームはますます固まるけれど、病棟の雰囲気は悪くなる。 そのうち誰もが不満を口にするようになって、それがある臨界を越えたとき、チームは内側から破裂する。

不幸の伝染というのは、疫病のそれと同じ。保菌者自身を治療することがかなわないならば、 その人を隔離するしかない。早期発見が大切。感染が広がってからでは、たいてい遅すぎる。

見分けかた

初対面の人間に自分の不平不満をぶつけてみたり、 挨拶もそこそこに誰かの陰口をはじめる人なんていない。 最初は誰だっていい人。詐欺師とか、大量殺人の犯人だって、 ちょっと見た目は感じのいい人物だからこそ、 あれだけの仕事ができるのだから。

何気ない会話からそんな人を見分ける方法というのは、その人が周囲の環境とか、 あるいは同業者をどんなやりかたで紹介するのかを観察すること。

  • 自分の施設を紹介するときに、「○○病院では年間何例切っている」とか、「○○病院の部長は今度学会の座長をやる」とか、 そんな話を付け加える人というのは、裏を返せば「この病院はそんなことすらできないところだ」と不満をもっている
  • この病院は事務が最悪でね…とか、ろくでもない救急患者ばっかりで…とか、対案の無い問題点の指摘が多くでる人は危ない。 対案が無いというのは、「この施設の奴らは言うだけ無駄だ」というあきらめの裏返し
  • 誰かを話題にするときに、その人のいいところからでなくて、欠点から紹介する人はやっぱり不満を抱えていることが多い
  • 「あの病気は、○○先生が一例目を手がけて、○○大学の先生が症例を発表して、学会の座長が○○先生のときに ガイドラインに載って…」みたいな属人的な歴史の説明を好む人は、 自分がそのラインに乗れなかったことを不満に思っている可能性が高い

その人が「自分自身をどう紹介するのか」を観察しても、役に立たない。

不満を抱えている人というのは、少し話した印象だけでは、自分に厳しい、まじめな人物として 写ることが多い。特にそれが年次が上の医師のときは、不満の裏返しと、無害な熱心さとの区別はつかない。

先輩がたの話もまた、しばしば役に立たない。誰だって自分の上司を悪く言いたくないし、 その人達もまた、もしかしたら感染者になっているかもしれないし。

相性の問題とか、施設の実力なんかはもちろん大切だけれど、 自分が入った施設がいつ吹き飛ぶのか分からない昨今、 誰がその組織を束ねていて、その人がどんな人なのかを見ておくのも、相当大事。

間違った団結をした組織

たぶん、世の中には不満や不幸を使って、間違って固まった組織と、 本来のやりかたで正しく固まった組織とがあって、 外から少しそれを見ただけでは、案外区別がつかない気がする。

自分は幸い、正しい成り立ちをした組織に恵まれてここまで来て、 今から振り返るとたぶん保菌者として陰口ばっかり叩いてきたけれど、 幸いなんだか不幸なんだか、社会的にはあんまり成功しなかったから、 影響を受けた人は最小限のはず。

「崩壊した」とされる多くの施設は激務のところが多くて、たぶん眠る時間すら無いような ありさま。現場の士気落ちまくり。

現場の問題は大きいけれど、たぶん全てではない。吹っ飛んでいる施設がある一方で、 忙しい中持ちこたえている病院だってまだまだ多いし、 このご時世になってもなお、人を増やして組織が大きくなる救急病院だってあるわけで。 トップの実力は、たぶんすごく大切。

医療を取り巻く状況はどんどん厳しくなっているけれど、現場の崩壊という現象は、 組織崩壊の閾値が下がっていく中で、本来上に立ってはいけない人が上に立っていて、 足の引っ張り合いゲームで無理やりまとめていたところから潰れているんじゃないかとも思う。

本当に厳しい状況が続くけれど、単純に救急をとらないとか、給料がいいとか、 そんな理由だけでは人は集まらないはず。 今のこの状況が、本来上に立つべき人を正しい場所に押し上げる原動力になるのなら、 悪いことばっかりではないのかもしれない。

正しさは発信しないと伝わらない

若い人達がいろんな情報を共有して、正しくまとまった施設に人が多く集まるようになるのなら、 それはきっとすばらしいことだと思うんだけれど、今の下級生に話を聞いても、 情報の共有をやっている人達は驚くほど少ない。

ネット時代。大きな病院を束ねる部長級の先生がたとか、あるいは医局を率いる各大学の教授 なんかがWeblog みたいな個人メディアを運営すると、きっといろんなことが見えてくる。

公的な立場の人が、炎上を引き起こさないで双方向メディアを維持するためには、 自分の考えかたをしっかり持っていて、立ち位置を変えない、言ったことと行動との間の 矛盾が無い態度を貫かないといけない。そこを外すと、絶対に誰かに突っ込まれてしまう。 「正しくない」トップの人は、だからこんなメディアは絶対に運営できない。

正しい人にだって、グダグダになって炎上して、日本中から笑いものになってしまうリスクだって もちろんあるけれど、その人が自分の仕事を本当に面白いものだと感覚していて、 それを行動との矛盾なく発信できるなら、その施設にはきっと、 意気に感じた人たちが集まってくるはず。

忙しくて人が集まらないところ、産科や小児科、内科や外科みたいな科だからこそ、 正しくがんばっている人達は、その「正しさ」を発信する意味はきっとあると思う。