締め切りを超えるには目線が必要

プロのライターや作家の人たちが、どうしてプロでいられるのか。プロの定義というのは、たぶん「締めきりに応じられること」であって、体験を切り売りしてしまうと、必ずどこかで限界がくる。

限界を超えるためには、品質の高い文章力よりも、自分自身の目線を持つことが大切になってくる。

締め切りは大変

有料のメールマガジンが少しだけ流行しているみたいで、人気のあるblog を書いている人たちが、時々手を出している。

時々読んでいたblog の中の人が、やっぱり最近メールマガジンを始めていた。契約していないから、中身は読めないのだけれど、自分自身の体験談が並んでいた初期の見出しが、最近のメールマガジンは、商業出版されている書籍の題名がそのまま並んでいるような見出しに変わっていた。

恐らくはこれから、メールマガジンと称して、売られている本の引用というか、ほぼ丸写しをして埋め草記事にする人が増えてきて、問題になってくる。

何かを思いついたときに記事を書けばいいblog と、定期的な発行が契約で義務づけられるようなメールマガジンとでは、書き手のスタンスがずいぶん異なってくる。毎日書くのが苦痛でない人でさえ、たとえば週1回の締め切りを設定されると、締め切り直前になっても全く書けなくなるときが来る。

メールマガジンのような、締めきりベースの記事配信を開始したところで、最初のうちは、たぶん何とかなる。会社を始めるときに悩んだことだとか、書類を提出する際に問題になったこと、それを解決するのに役立ったこと、「切り売りされた体験」はその人ならではのものであって、たしかにお金を支払って学ぶに足るような話題なのだろうけれど、どこかでたぶん、在庫は切れる。

有料のメールマガジンは、お金を取る以上、「お金を取るに値する」何かを発信しないといけない。お客さんが求めていたものは、管理人の体験談や他愛のない日常風景だったのに、在庫に限りが見えてきて、発信する側はたぶん、販売されている書籍を引用して、それを記事としてメール配信してしまう。

体験でなく目線を発信する

「定期的に、有用と思われる情報を配信する」ためにかかるコストというものは、想像以上に大きいのだろうと思う。

テレビや新聞のコンテンツには、ものすごいお金がかかる。各分野の専門家から見れば、文章のプロである新聞記者が書いた記事にだって瑕疵を指摘することはできるだろうし、ネットを探せば、記者の人たちが有償で書いた記事よりも、もっと優れた文章が見つかることだって珍しくないけれど、「このタイミングで、こういう内容の」文章がほしいという需要に、専門家はしばしば応じられない。

メールマガジンはWeb ビジネスの優等生と言われているけれど、複数のライターを揃えた人たちが行うのならともかく、個人がああいうサービスを始めると、どこかのタイミングで記事の在庫が尽きて、いろんなトラブルが増えてくる。

個人が売るべきは、経験でなく、目線であるべきなんだと思う。

目線とは、誰もが知っている事実に対する、その人ならではの考えかた、あるいは偏見のようなもので、その偏見がその人独特で、それがある程度の面白さを持っているならば、その人が見たものをそのまま配信するだけで、コンテンツが成立する。

個人的には「テレビの解説」というものを、誰か専門家の人にやってほしいなと思う。ニュース番組なんかではなく、本当にどうでもいいバラエティ番組で笑っているひな壇芸人の人たちが、バックグラウンドでどんなことを考え、どうしてあのタイミングで笑うのか、座ってるだけに見えるあの人たちは、実際にはどんな葛藤を抱えているのか、そういう「テレビの見かた」を知ることができれば、ものの見えかたはずいぶん豊かになるような気がする。

「名医50人に聞く家庭の医学」みたいな番組にしても、ひな壇に並んだ医師を評して「あの人は京大系ですが、前の教授選でグループのボスが敗北したんですよね。○○先生の発言は一門を殺しに来てたから、あの人はむきになって反論したのです。ほら、表情が違うでしょう?」なんて解説されると、単なる健康番組が、全く違ったコンテンツに変貌する。

そういうものが目線の面白さであって、面白い人の目線というものは、再現するのが難しいわりに、あらゆる事実がコンテンツの種になるから、尽きることがない。

医学の目線というもの

専門家が継続して提供できるものというのは、知識それ自体ではなく、起きたことに対する目線の提供であって、知識を言語化するだけでは、すぐに枯渇してしまう。

目線を提供できる業界は越境できるし、単なる知識以上の価値を提供できるから、飽きられないし、廃れない。「医師ならではの目線」というものが今ひとつはっきりしない、医療という業界がそれでも持っているのは、自分たちが免許仕事だからであって、目線の欠如というものは、業界としてもっと悩んでもいいのではないかと思う。

今回交渉ごとの本を書くに当たって、とにかく困ったことはといえば、「医師ならではの目線」で交渉を解説した本が見つからなかったことで、「丁寧に診察しましょう」はホテルマンの目線だし、「酔った人には複数で対応を」は警察の目線で、医療という業界ならではの考えかたとはどこか違う。

異業種の考えかたをいくら丁寧にまとめたところで、たとえばどこかにこじれた交渉があったとして、「医師ならこの時どうする?」という目線を提供できるかと言えば無理で、そのあたりが業界として相当に寂しい。自分たちは、切り売りする知識や体験こそ持っているけれど、目線がない。

何かのニュースを投資家の人が見れば、その人は投資家ならではの目線でニュースを語れる。芸に通じた人がひな壇芸人のバラエティ番組を観ても同じことが言える。じゃあ自分たちは、医療を超えた他の分野で、果たしてどんな目線を提供できるのか。それを持たないかぎり、「在庫切れ」を回避するのは難しいのだろうと思う。