Android は壊れない

壊れたんだけれど。

今使っているAndroid 携帯が故障して、結局新品交換してもらったら、ほとんどのデータを、Google を通じて復活できた、そんなお話。

機械が立ち上がらなくなった

今使っている HT-03Ayoutube を見ていたら、いきなり固まって、ボタンに反応がなくなった。しかたがないので電池を抜いて、再起動を試みたんだけれど、起動画面から前に進まなくて、結局その日、携帯電話が使えなかった。

DoCoMo ショップに動かなくなった携帯を持ち込んだら、その場で新品交換していただけることになったのだけれど、元の携帯が全く動かないものだから、データの移行は一切できなかった。

ところがAndroid 携帯は、電話帳だとかカレンダーに記録したスケジュール、今までのメールなんかがすべてWeb 連携になっていて、データはGoogle 側に補完されていた。新しい携帯電話に交換していただいて、自分のメールアドレスとパスワードとを登録したら、新しい携帯電話は、その場で「自分の携帯」になって、今までどおりに使えるようになった。

信頼性の考えかた

Google の携帯電話は、本体が壊れて困ることというものが、だから案外少なくて、Google 経由で復活できないデータは、たいていはSDカードに待避できるし、本体内部に記録されていて、復活できなかったのは、自分だとせいぜい、CallFilter というアプリケーションの、電話番号NGリストぐらいだった。

この携帯電話は、買ったときから「雨のの中で使うと簡単に壊れます」とか、DoCoMo の人からも信頼性の低さを警告されてはいたんだけれど、この電話は逆に言うと、壊れたところでたいていのデータはGoogle 経由で継続できるから、故障に対して極めて強い、という見かたもできるんだと思う。

Google のサーバーは丈夫みたいで、世界のそれぞれの大陸にバックアップがあるのだそうで、最悪大陸が一つ吹き飛んでも、データは残るんだという。携帯電話をどれだけ高精度に作り込んだところで、これより丈夫にするのは難しい。

電話機単体としての信頼性を高めるやりかたは、正しい代わりにお金がかかって、どれだけすごい作り込みを行ったところで、そのすごさというのは、ユーザーからは案外、分からない。あらゆる情報をネットワーク上にバックアップとして持つやりかたは、電話機本体の信頼性が低くても、データ自体の信頼性はけっこう高い。携帯電話が壊れたところで、データがすぐに復活するから、これは案外、「これは信頼性が高い」なんて、ユーザーに訴える効果もあるんじゃないかと思う。

昔の「ねじ」はハイテクだった

ホームセンターで普通に売られている木ねじは、あれが発明された当初は、ハイテクのかたまりだったんだという。ねじを作る村というのがあって、ねじ山を作る人、座金を作る人、ドライバーと噛む溝を切る人、いろんな人たちの工程を経て、はじめてねじは製品になったから、木ねじは高級品で、最初の頃、ねじは1本単位で売買されるものだったのだ。

日本の釘というものは、昔は鍛冶屋さんが叩いて作るもので、あれは火入れをして再利用すると、何百年でも持つんだという。鍛造で作った釘は、丈夫で長持ちするんだけれど、釘なんかはそれこそ、ホームセンターなら1本1円ぐらいで買えてしまうから、今ではもう、和釘を打つ専門の職人さんなんて、いないんだろうと思う。

職人さんの技術を駆使して作ったすごいものというのは間違いなくすごいのだろうし、安価な量産品は、やっぱり信頼性が低いんだけれど、低い信頼性を、別の何かで補うやりかたが作られると、「いいもの」の価格というものが、一気に下がってしまうんだろうと思う。

品質がそこそこで、安価に作られた量産品は、高品質、高信頼性の製品に比べれば、価格競争ではもちろん、圧倒的に優位に立てるのだろうから、Android 携帯みたいなものが、実用的に使えるようになってしまうと、伝統的な「いいもの」の居場所というのは、やっぱり減っていくんだろうと思う。こういう状況になると、今度はもう、単体としての完成度を高めることそれ自体に意味がなくなってしまうから。

今はまだ、「安価な量産品」と言っても、定価で買ったら何万円もするものだけれど、もっとちゃちで、それでも安価で、そこそこ実用に足りる商品がこれから出るなら、そういうものを「使い捨て」前提で、交換を前提にした信頼性の確保という方向に、これからなっていくのかな、なんて考えてた。