粒度について

今さらながら、手術後患者さんの塞栓予防について、「どの薬使おうか」なんて相談してる。

とくに整形外科の患者さんは、術後の安静時間が長かったりで、下肢の静脈血栓を合併しやすい。 足が腫れたり、場合によっては血栓が肺に飛んだりして怖いから、今ではどこの病院でも、 下肢にフットポンプみたいなものをつけてもらったり、抗凝固薬を投与したりして、合併症を予防する。

薬物による塞栓予防にも何種類かやりかたがあるけれど、伝統的には「ヘパリン」を使う。 もっと効果があったり、あるいはもっと簡単に使える新製品が、いくつか出てる。

ヘパリンのこと

ヘパリンは、大昔から流通している抗凝固薬。

半減期が短くて、何回も注射する必要があったり、効きかたが人によって異なるから、 まじめに使おうと思ったら、定期的に採血を行って、効き具合を測定しないといけない。

ヘパリンのこうした欠点は利点でもある。半減期が短いから、効き過ぎたり、 あるいは出血のコントロールが必要なときにはいつでも中止できるし、ヘパリンの効き具合は、 昔から行われている血液検査で測定できるから、「これぐらい効かせたい」みたいな調節ができる。

新しい抗凝固薬は、ヘパリンの欠点と言われてきた部分を改善してきている。半減期は長くて、 注射で使うにしても、1 回使えば24時間効く。患者さんの状態で、その効き具合が左右されにくいから、 頻回の採血検査で効き目をチェックする必要もない。

その代わり、新しい薬の効き具合は測定できない。特殊な採血検査を外注しないと、 その薬が本当に効いているのかどうか、数値で分からない。うちみたいな施設からは、 そんな検査出せないから、メーカーの「効きます」という言葉を、そのまんま信じるしかない。

旧世代のヘパリンは、不便だけれどコントロール性に優れていて、効き目が「見える」という 大きな強みを持っているから、新しい、もっと便利な薬剤が登場している現在でも、 やっぱり「ここ」と言うときには必ず使われる。

「見える」というのは、この業界では本当に大切なことだから。

「見える」が欠点になる

抗凝固薬は、新しい世代のほうが「良く効いて、出血も少ない」ことになっているけれど、 実際にはやはり、良く効く薬は出血も多いし、出血の少ない薬は効かない。 メーカーの人達がどう言いつくろったところで、「血液が固まりにくくなる」というのは、 要するに血が止らなくなることだから。

術後の塞栓予防は、だからガイドラインでもやっぱり昔ながらのヘパリンが推奨薬に入っている。 新製品はもちろん「効く」とされているし、ガイドラインにもそう書いてあるんだけれど、 リスクが高い人、「絶対に血液を固めたくない」なんて状況になると、やっぱり「見える」薬が活躍する。

最近になって、「見える」ことが、問題になってきている。

薬を使う。測定する。データをみて、薬の量を調整する。ヘパリンみたいな古い薬は、 どうしても数字をみながらの調整が必要だけれど、その過程では「効き過ぎ」だとか「効かなすぎ」だとか、 正常から外れた数字が残ってしまう。

患者さんに何らかのトラブルが起きたとき、こんな数字が、時に相手から突っ込まれてしまうのだという。

ヘパリンの効き具合は、なまじっか見えるから、見えるのに見ようとしなかったら、不作為を問われる。 見て調整して、そのデータが想定された効き具合から外れていたら、今度は「外れていた」という過失を問われる。

新世代の、「見えない」薬は怖いけれど、見えない以上、現場にはどうすることもできないから、 メーカーの言い分を信じるしかない。本来ならデメリットでしかない、「見えない」ことが、 今はどういうわけだか利点になって、今うちの病院でも、 新しい薬を入れようかどうしようか、上の先生達が迷ってる。

議論の粒度のこと

戦争の技術が発達した。現場の状況、兵士が何人亡くなっただとか、相手の街並みはこんな情景で、 重要な施設はここにあるだとか、詳しい状況が現場で把握できるようになって、中枢に上るようになった。

情報の伝達がスムーズになれば、たとえば補給がもっと効率よくなるだとか、 休戦だとか、外交だとか、政府同士の「手打ち」がもっとやりやすくなるだとか、 現場はそんなことを期待していたのに、政府の人達は「今度はあの建物を狙ってくれ」だとか、 現場の人間に、すごく細かい部分にまで口を出すようになったのだという。

「政府高官がライフルを持っている気分になる」なんて表現されてたこんな現象は、 たぶんいろんな業界で起きている。現場の人間が細かいデータをとればとるほど、 「上」の人達はその情報を欲しがって、大局的な判断を下すべき人達が、 ごく細かなことにまで口を出すようになる。

行き来する情報の粒度が詳細になるほどに、上からの指示も詳細になり、現場は混乱する。 上の人達は、もっと細かい情報を要求して、「大局」の判断は、いつしか放棄されてしまう。

  • 手術を施行すべきか否か
  • どんな術式で行くべきか
  • 輸液管理はウェットサイド、>ドライサイド、どちらの方針で行くべきか
  • 術後の塞栓予防には、どんな薬剤を、どの程度の本気度で用いるべきか

医療という「作戦」一つをとっても、現場が下す判断には様々な粒度がある。大局的な判断が下されて、 さらにそれが正しいものであって、そこではじめて、より細かい粒度の問題が論じられる。

情報の粒度を一覧できるようにして、訴える側と訴えられる側、そんなカタログを、お互いで共有できればいいなと思う。

報道されてる「過失」の粒度はまちまちで、もちろん結果として、 患者さんには何らかの不利益が生じているのは間違いないのだけれど、大局的な判断と、粒度の極めて 小さな問題と、「過失」を問う側の人達は、そのあたりをフラットに論じている。

効き具合が見えない薬は、見えないぶんだけ、情報の粒度が粗くなる。粗いからこそ、 粒度の細かい部分での過失は、仮にあったとしても論じられることはなくて、 「見えないこと」それ自体が、欠点でなく大きな利点として効いてくる。

現場はもちろん、見えるものなら見たいと思う。見えないことは怖いから。古くから使われている、「枯れた」薬は、 そのあたりはっきりと見せてくれるのに、相手が「粒度」をどう評価してくれるのか、 お互い信頼関係が構築できていないから、現場もまた、「効き目が見えない」薬を 選択せざるを得なくなる。

どうすればいいのかよく分からないけれど、やっぱり何かおかしいと思う。