爺医の人達は引退前に治療教義を語り残すべき
医者ならこう考える
ネット世界でのおしゃべりが盛り上がると、 いろんな業界の人たちがひとつの話題に集まってくる。 それぞれの立場や考えかたから意見を発信して、議論は延々と続く。
企業家ならこう考える。プログラマならこれが正解。経済畑ではこんな意見が主流。
同じ問題を扱っていても、あるいは個人の価値観は同じ人たちであっても、 立場が違うと意見も変わる。価値観の相違というのは時に泥仕合になるけれど、 立場の違う人達がお互いに意見を戦わせるのは意外なところで勉強になったりして、目が離せない。
意見には、個人要素と属性要素の2つのパラメーターがあって、どちらが弱くても議論は負ける。
個人の考えがあやふやな人はそこを突かれるし、自分が属する立場に忠実に振舞えない人は、 今までの言動の矛盾を突かれてやり込められてしまう。
君の個人的な意見は分かった。じゃあ、その意見というのは医者としてどうよ?
ネットでいろんな意見を発信して、それなりにいろんな反応をいただいて。 議論になるのは避けてきて、盛り上がっている話題からはコソコソ逃げてきたけれど、 「個人の意見」単独で勝負するにはこれが限界。
今まで「医者として」意見を発信したことがほとんどない。 たぶん、ネット上の同業者の人達も同じはず。
「この場合、医者なら必ずこう考える」
そんな業界全体に共通する「職業教義」に相当するものが、医療の業界には存在しない。
ネット上で医師として意見を発信しても、医師には属性という概念が存在しないから、 しょせんは個人の集まり。その意見は極めて弱い。
医師の属性は議論の相手が勝手に作っちゃうし、 それに対して「本当はこうなんだよ」と示せるものもこちらにないから、やられっぱなし。
時々勇敢@無謀な同業者の人達が「医師の立場としてはこう考えます」なんてやってるけれど、 この業界に共通する「立場」なんて無いんだから、もう矛盾だらけ。
誰かが作らなくちゃいけない。
軍隊の戦闘教義
軍事理論には「戦闘教義」、戦いかたの基本概念がある。
これは格闘技の基本技みたいなもので、平和なときに考えておいて、 これに即して軍隊を整備しておく。 中途半端な軍隊は実践で負ける。 兵士の訓練や、武器の改良や調達はこの「教義」にそって行われ、 軍の編成も、戦闘教義に則して組織される。
戦争は、お互いの戦闘教義のぶつかり合い。 軍隊の作戦は、その国の戦闘教義に従って立てられるし、 これがなければ、軍隊はただの烏合の衆。戦場で何を準備していいのか 分からなくなってしまう。
戦闘教義というのは、非合理的に行動する人間が作る先の見えない戦場で、 最小のリスクで最大の戦果をあげるための基本戦略。
教義 => 軍の編成 => 実戦 => それを見てまた教義を変更
軍隊という組織は、こんなことを紀元前からずっとやってきた集団だから、侮れない。 「軍人だったらこう考える」という発言も、教義がしっかりしている軍人ならでは。説得力が段違い。
軍人だった人が経営コンサルタントになってみたり、危機管理の専門家になったりするのは、 軍隊という「属性」が、それだけしっかりした教義に支えられているから。
歴史に学ぶ
戦闘教義は人間の経験に基礎をおいているし、なんといっても軍隊の命運がかかっているから、 机上の空論なんか通用しない。何か疑問が出てきても実験できないから、戦史の研究がとても大切。
戦史というのは単なる歴史じゃなくて、「こういう考えかたの元に軍隊を戦わせたら、 こんな結果になった」という膨大なデータの積み重ね。
タイムスケールが全然違うけれど、行われているのは研究室での実験と同じ。 仮説があって、実証実験があって、 それをもとにまた仮説が生まれる。戦争の歴史というのは、この繰り返し。
医学にだって「医学史」という分野があるけれど、あれは博物館の学問。 歴史には技術、運用、教義の3つの側面があるけれど、医学史は技術の歴史。
- 新薬の開発や、新しい治療デバイスの普及というのは技術の歴史
- 医師を取り巻く社会情勢の変化や、マスコミ報道が医療を歪めた経緯は、運用の歴史
この2つの影に隠れて見えにくいのが、教義の歴史。
たとえば心筋梗塞という病気は、血管が詰まって心筋が壊死するのか、筋肉が壊死することで 血管が閉塞するのか、疾患概念がはっきりしなかった。 血栓溶解薬に治療効果があるという発表は、技術の技術であると同時に、 治療の戦略を「心筋梗塞の治療は血管を再開通させることである」という考えかたに一変させた。
治療教義の変遷は、建物の構造も変える。
たとえば古い循環器系の病院は、 救急外来の隣に集中治療室があって、 カテ室は別棟にあったりする。これは「筋肉が先」戦略に従った考えかたで、 急性期には安静を優先して、 血管は後回しだったから。「血管が先」戦略ができた後の新しい病院は、 どこも救急外来の近くにカテ室があって、治療後に集中治療室に入るように作られている。
今までの考えかたでは「禁忌」だったはずの薬が、ある年を境に「治療薬」として 教科書に載るようになったりするのは、技術の進歩というよりは、治療戦略の変化。
こんな話題は、部長級の先生方の昔話に時々出てくるだけで、なぜか体系化されて語られない。
一番弱いところから攻められる
議論の3要素、「技術と運用と教義」というのは、そのどれが欠けても、そこを突かれて議論に負ける。
医師というのは一応技術を持っていて、社会的な力とか、組織力みたいなものだって それなりに持っているけれど、教義の体系化が全くなされていない職業。
- マスコミは医療の教義に勝手な妄想を代入して、「矛盾してるじゃないか」と医師の技術を批判する
- 医療経済屋さんはもっと悪質。「医師は教義を持たない烏合の衆である」と勝手に決め付けて、 医療の運用面を経済の立場からブッ叩く。同業者のくせに
「僕は病気を治せるんだぞ」なんて強がりは、業界の壁を越えたネット議論の世界では、 何の役にも立ちはしない。
他の業界同士の交流をやるときには、議論の粒度を合わせて、現場の知識を抽象化して提供 するのは常識。医者にはこれができないから、 「あなたの立場は、この問題をどう考えますか?」と尋ねられても、「個人的には…」みたいな 応答しか返せない。本当にかっこ悪い。
教義作りませんか? >>えらい人
医療という業界に、たとえば「不完全な道具と、病気に関する不十分な知識しかない中で、 どうやって信頼性の高い治療戦略を提供するかを考えるための学問である」とか、 適当な基本教義を作って、それに従って治療戦略の変遷を編集し直す。 現場を知りぬいたベテランの先生方なら、簡単にできるはず。
戦上手として知られたナポレオンは、自分自身では新しい戦略を作らなかったのだそうだ。 ナポレオンがやったのは、戦闘教義の基本に潜む戦史の教訓を学びなおしたこと。
- 砲兵の効果とは何か
- 機動の意味は
- 相手を騙す効果とは
- そもそも戦場での勝利とは何なのか
こんな考えかたを一から編集し直して、自分の軍隊に役立てた。
皇帝は何の本も残さなかったけれど、そのナポレオンに破れて、その経験を本にしたのが クラウゼヴィッツの「戦争論」。
「戦争論」。「UNIX の考えかた」。「実際の設計」。どの業界にもこんな「考えかた」のまとめがあって、 どの本もほんの一部しか理解できなかったりするのだけれど、それでも非常に面白い。 うちの業界にもこんな本があったらいいな、といろいろ探しているのだけれど、やっぱりみつからない。
ネットワーク時代。教義の無い業界は、結局異業種との交流の中で淘汰され、 存在意義を発揮できない。医師なんて最古の職業のひとつなのに、これはいかにももったいない。
ベテランの先生方は、引退前に今すぐ「治療教義」の編纂をはじめるべきだと思う。
自分達の時代は「治る」というものをこう考えていたから、こんな治療をした。 新しい発見があって、戦略がこう変わって、それに従って病棟運営がこんなふうに変わった。
どんな決断にもきっとこんな経緯があって、臨床の前線に立ちつづけたベテランの先生方は、 きっといろんな知恵を持っているはず。
異業種に通用する教義ができれば、それは他の業界と議論する時にだって役に立つし、 医師が他の業界に移った時、「実戦経験を伴った教義」の伝達者として、 存在感を保つことができるようになる。
「なんでこの薬を?」なんて新人の問いに、「薬屋さんが勧めたから」という答えしか返せない ベテランには「考えかた」なんてどうでもいいのかもしれないけれど、そんな人はたぶん、 この業界どこを探したって一人もいない。
そう信じてる。