「大丈夫」の排出権取引をやらせてほしい

今の時代、「大丈夫」という言葉は、腕を磨いて到達するものではなくて、「ここ」という領域を 切り取ってくるものになっている。

テレビに出てくる病院

TBS の医療番組をときどき見る。今時珍しい、医師を褒めちぎるスタンスの番組。

特集されるのは、たいていは個人の病院。あんまり聞いたことがない、主流と外れた治療を売りにしている。 誰でも聞いたことがあるような大きな病院で仕事をしていて、「普通の仕事を無難にこなしています」なんて 医師は、出てこない。

前半部分は医師の紹介。患者さんのためを思って、 要約の思いでこの治療に到達しただとか、休日は趣味に打ち込んで、患者さんのために自らリフレッシュする姿だとか。 休日に受け持ち患者さんトラブって、夜中呼ばれてそのまま泊まったり、「わざわざ東京から出てきました」なんて 遠縁の親戚がやってきて、「説明を求めます」なんて、日曜の夕方に、居丈高な身内の人を前に怖い思いしたりといった 日常は、あんまり出てこない。

医師の紹介終わると、患者さんが出てくる。みんな困ってる。診察受けて、「大丈夫ですよ」なんて言われて 安心して、数ヶ月経って、「すっかりよくなりました」なんて笑顔になってる。みんな笑顔。

番組後半、水戸黄門だと印籠かざすあたりにさしかかると、難しい患者さんがやってくる。 治すのが難しかったり、困難な手術になったりして、後半ちょっとだけ盛り上がって、でも必ず治る。

大円団になって、取材された医師が「この治療をもっと多くの人に知ってほしい」だとか夢語って、 番組終わる。

ドキュメンタリーと言うよりは、恐らくはPR 会社が間に入った30分広告みたいな番組なんだろうけれど、 いつ見ても、やっぱりどこか「ずるいな」と思う。

「大丈夫」のコスト

自分たちだって「大丈夫ですよ」って言いたい。

患者さんにしても、ご家族にしても、病院に来る人達は「大丈夫」を買いに来るわけだし、 お話ししていて、みんな何とかして「大丈夫」を引っ張り出そうとして、あの手この手で言質取りに来る。

言っちゃえば楽だし、言わないと、いつまで経っても信頼関係作れないんだけれど、 「大丈夫」と請け合って、大丈夫じゃなくなったら、あとがない。今住んでるのは 曲がりなりにも総合病院だから、逃げられない。

取材されてた腫瘍内科の先生は、「末期」と診断されている癌患者さんしか相手にしない。 その先生がやっていることは、だから完治を目指した治療じゃなくて、あくまでも 症状をとったり、大きくなった腫瘍を一時的に小さくしているだけなんだけで、予後を変えない。

整形外科の先生は、若い患者さんを相手に、人工関節置換の手術を行っていた。 人工関節は20年もすると「ゆるみ」が出るから、若い人に入れると再手術が必要になる。 普通はだから、治るまでに時間がかかるけれど、「骨切り術」という、骨を形成する手術を考える。 若い人の骨は丈夫だから、人工関節置換術の合併症も少なくできるんだろうけれど、将来のこと考えると、 いきなり人工関節入れるお話しするのは、けっこう怖いなと思う。

自分と同期だった内分泌内科の男は、自分の専門分野を放り出して、 ハーブを使った女性専用のクリニックを始めた。何があったのかは分からないけれど、 やっぱり「大丈夫と言えない西洋医学」に、どこか疲れたんだと思う。

たどり着くものと切り取るもの

昔の「大丈夫」は、医師が腕磨いてたどり着くものだったのだと思う。

結果の確実性が厳密に求められるようになるにつれて、「大丈夫」のコストは上がった。 もはや腕だけで「大丈夫」を保証することなんてできないし、どれだけ腕磨いても、 どれだけ設備を整えても、「大丈夫」なんて言えなくなった。

いろんなものがよく見えてる先生がたは、だから「大丈夫」を、たどり着く目標から、 切り取ってくるものへと見かたを変えてきた。

無数の患者さんから、「大丈夫ですよ」と笑顔で断言できる人達を切り取ってきて、 あるいは逆に、自分が持つ技能の中で、絶対に「大丈夫」を宣言できるものだけを切り取ってきて、 その中でだけ「大丈夫」を販売するやりかた。

  • 治癒を目的にしない末期癌の患者さんなら、予後は変わらないから、「大丈夫」を断言できる
  • 「20年先」は総合病院に紹介してしまえば、若い関節症の患者さんにも、「大丈夫」と言える
  • 「ハーブ」に限定した治療に限定をかけるなら、医師はその領域で、かなり安心して「大丈夫」を宣言できる

その「大丈夫」はもはや昔ながらのものではありえなくて、昔の立ち位置から見れば、 それは解決になっていないんだけれど、あの人達が限定をかけた範囲から 患者さんが外れたら、たぶん近くの総合病院に患者さんぶん投げるんだろう。

いろんなやりかたが考えられる。

薬を絶対に出さない、「自然治癒力」信じる内科医。治癒を目的にしない、 末期癌の患者さんだけを対象に「癒し」を販売する医師。そもそも病気でないような人を つかまえて、生活指導とか、「より健康な人生」を販売する医師。酸素バー。点滴バー。

ニッチを探せば、「大丈夫」を切り取れる場所はたくさんあって、これからたぶん、 業界がだんだんと冷えてく中で、こういう場所に進出する人は増えていく。

最近ようやく抜管できた喘息の患者さんは、ずっとたばこを止められなかった。 近くの開業医にかかってて、やっぱり何年もたばこを続けて、「何かあっても対処するから大丈夫」なんて言われてた。

「苦しくなったら電話しなさい」なんて言われた番号は、その人が苦しくなったときに誰も出なくて、うちに運ばれて挿管した。 要するにその先生の「大丈夫」は、「何かあったらあの病院に丸投げするから大丈夫」なんて意味だった。

「大丈夫」の排出権取引をやらせてほしい

地域の基幹病院から呼吸器内科の先生がいなくなって、今本当に困ってる。

肺気腫の人とか、喘息の人とか、うちにかかったこともないような人が、 「専門的なご加療をよろしくお願いします」なんて紹介状持って、うちみたいな施設に運ばれてくる。 相手は呼吸器専門の開業医で、自分たちはただの一般内科なのに。

やっぱりずるいと思う。やろうと思えば仕事できるのに。無能のふりして「大丈夫」大安売りして、 明らかに格下の医者相手に「専門的なご加療を」とか、思ってもいないこと口にして、 自ら設定した範囲を超えた「大丈夫」のツケを回して、自分はまた別の元気な人つかまえて、 また「大丈夫」を売り歩いてる。

二酸化炭素と同じように、「大丈夫」にも排出権取引市場ができればいいなと思う。

いくら限定をかけたところで、一度排出された「大丈夫」は一人歩きする。大丈夫と言われて、 悪くなって丸投げされて、入院してからもっと具合悪くなって、 「大丈夫と言われたのにどうしてですか ?」とか、受けた側が怒られる。

今はまだ我慢してるけれど、もう余力無い。入院受け持った医師が「どうして?」なんて怒られて、 「偽物つかまされたんですよ」なんて答えるようになると、お互いの信頼関係終わる。

施設同士の信頼関係なんて、もしかしたら自分たちが一方的に夢見てただけなのかもしれないけれど、 「大丈夫」をこのまんま拡大再生産し続けたら、そのうち病院という生態系ごと温暖化して滅ぶと思う。