型のこと
型というのはたぶん、何かを学習するための道具なのであって、それ自体を学ぶべき目標と 定めてしまってはいけないのだと思う。
弓道に関するうろ覚え
もう道場に行かなくなってずいぶん経つから、うろ覚えでしかないけれど、 今の弓道で教えられている「型」というものは、実用的と言うよりは、ある種政治的な経過で決定されたものだった。
弓は本来が実用的な道具であって、よくあたり、破壊力の高い弓のひきかただとか、狙いかただとか、 昔は日本中で様々な流派があったり、秘伝があった。第二次世界大戦前、国の武道を統一しましょうなんて 運動が起きて、当時の弓道の偉い人達が集まって、「これからの弓道」みたいなものを話しあって、 「型」を決めたのだという。
当時のそれは、日本中で行われていた弓の型をそのまま平均したようなもので、全国的にも評判が悪かったから、 戦後になって弓道が復活した頃、偉い人達がもう一度相談して、今のような型になったのだという。
恐らくは他の武道でもそうなのだと思うけれど、武道というのは「強い人がいる」ことで発生するものであって、 「強い型」が発見されて生じるものではないんだと思う。
強い人があちこちにいる。戦う。生き残る。生き残った人達が、お互いの動きを観察したり、 教えを請うたりしていくなかで、「型」が生まれる。
体型だとか、筋肉の付きかたなんかはみんな違うから、動作を完璧にコピーすることはできなくて、 その人独特の、例外的な動き方なんかは省かれるし、動作の序列みたいなものもまた、 結果につながる「強さ」みたいなものとは違う、学びやすさとか、見た目の派手な動きであるとか、 「型」というものはしばしば、それをはじめた人が本来意図していた目的とは違うやりかたで体系化されてしまう。
できる人はみんな型破り
型というものは、だからしばしば現実に即していなかったり、型を学んだ人達が、 それを実地に、たとえば強くなりたいだとか、患者さんを診察するときに見逃しを減らしたいだとか、 何か本来の目的のために、その方を応用しようとしたときに、型が教えるやりかたと、 自分が「こうしたい」と思うやりかたとにずれを生じる。
「こうなりたい」なんて目的がはっきりしている人は、だからその時、型を破る。
右も左も分からない初心者は、たぶん「型」を学ぶことで動作ができるし、 型を通じて、自分が置かれた世界だとか、直面した問題を把握できるようになる。 型はそれでも、そうなるための道具にしか過ぎなくて、型それ自体を無批判に守り続けてはいけないのだと思う。
強い人、あるいはその人と目的を同じにした人達が協力して、「型」を作る。 型というのは「作られた」ものだからこそ、本質的なものだけが残されて、 枝葉に相当するものは省かれる。残念ながらたぶん、「本質」というものはしばしば、 省かれた枝葉の中にこそ存在する。「型」だけを繰り返したところで、 省かれた枝葉を見つけることはできないし、型の学びを通じて、型を作った人の 問題意識を共有することが、型を学ぶ上で、一番大切なことなのだと思う。
防衛医療のこと
臨牀の現場でたくさん発行されている「ガイドライン」というものも、政治的に作られるものなんだという。
欧米でガイドラインを作っている人達なんかは、たしかに朝から晩まで論文を読み続けているような 人ばっかりなんだけれど、知識を集積した先に、誰もが納得する共通見解が現れるわけもなくて、 ガイドラインを決める会議は、毎回紛糾するし、学会がガイドラインを発表した直後、 その編纂に携わった当の本人が、別の学会で「あのガイドラインは嘘っぱちだ」とか、不満ぶち上げたりするらしい。
今あるガイドラインも、だから古来の「型」の延長であることには変わりなくて、 それ自体を守ったところで治癒は見えないし、ガイドラインが想定している事態と、 目の前の患者さんに起きている事態とにずれが生じたときにどうすればいいのか、 ガイドラインには書いてない。どこかでそれを「破る」ことを考えないといけないし、 多かれ少なかれ、とくにガイドラインの編纂に関わるような「できる」医師なんかでも、 案外たぶん、こっそり約束破ってる気がする。
武道が発達した戦国時代みたいに、とにかく目的だけを追求すればよかった頃なら、 それでも今のやりかたでよかったのだと思う。治療のやりかたは、 たぶん上手な人ほど多様になって、ガイドラインなんて、あたかも最初から存在しなかったように見えるだろうけれど。
「治癒」とは別に、「第三者からみたわかりやすさ」みたいな、追求すべき目標が複数になってしまうと、 たぶん従来のやりかた、型を作って、型を学んで、型を破っていく修行のやりかたというのは、通用しなくなってしまう。
武道みたいな考えかた、競争を勝ち抜いたやりかたをまとめて「型」を見いだす方法は、 そもそも複数目標をバランスさせるようには作られてないし、 戦いの現場で、「バランス」なんてものを考えたその時点で、その人はたぶん、 単独の目標に力を特化した相手に打ち負かされてしまう。
「治癒」と「訴訟」、追求すべき目標を複数が複数に設定されたなら、 従来のやりかたは通用しない。今度はたぶん、そもそもの「戦い」みたいな状況を 回避すること、あらゆるワーストケースを想定した、鈍重で高コストなやりかたを「型」として提案して、 全ての人がそれを忠実に守って、競争を徹底的に排除しないといけない。
現場の判断を追放していくやりかた、技術者同士の競争だとか、切磋琢磨だとか、 昔は美徳だったそんなものを現場から排除していくような「型」というものを、 これから先の偉い人達は、ぜひとも提案してほしいなと思う。
今のままだと、型を学ぶことも、型を破ることも、どちらに転んだところで、現場にはリスクしか残らないと思う。