投機としての進路選択

ローテート研修終了後の進路選択について。

医者の業界には、そもそも「就職活動」などというものが存在しなかった。

ローテート研修が導入されて2年。就職する側も、あるいはそれを受け入れる側も、 まだどうすればいいのか皆目分からない状態。他の業界からすれば信じられないこと かもしれないけれど、その混乱ぶりは崩壊直後のソビエト連邦よりもまだひどい。 みんな素人で、2ちゃんねる掲示板情報が業界全体を左右する。

乱気流の時代にあって、マネジメントの最大の課題は、自らの生存を確実にすることだ。

みんな流れ者になる。進路の選択というのはバクチと同じ。 知らない奴は全くの運まかせ。必勝法はないけれど、慣れている奴 は大負けしにくい方法を編み出している。

大事なことは、以下の3つだと思う。

  • 自分のスタイルの基準になる投機の運用期間
  • 選択科の投機性と流動性
  • 持っている全てのものをバンクロールに置き換えること

自分のスタイルに合った運用期間

生存戦略を立てるとき、まず考えなくてはいけないのが自分に合った運用期間の設定だと思う。

デイトレードなのか。スイングなのか。それとも中期や長期の投資スタイルなのか。

運用期間を短く設定するのは、少ない投資で見返りが大きい。

今の時代、大きな組織に属さずに、あるバイトだけで生活している先生方もたくさんおられる。 少ない労働、少ないリスクで大きな見返り。うらやましく見える人には、 とてつもなくうらやましく見える生活。

その代わり、できる人は限られるし、リスクは大きい。

運用期間を「短期」に設定するためには、常に「次」を考えて行動しなくてはならない。

「おいしい」商売にはすぐに競合者が現れる。同じ働きでも、見返りはだんだんと少なくなる。 そんなとき、すぐに「次」がみつからないなら、ずるずると見返りの少ない仕事にしがみつくしか なくなってしまう。これは最悪だ。

短期運用を上手くこなしている人は、いくつもの「次」を手元に持っている。 自分の中に損切りラインを設定しておいて、常に次へ、次へと仕事を移る。

医者の業界で転職をするというのはなかなか難しくて、それをスムーズにこなして、なおかつ 「次」を確保していくのにはある種の才覚がいる。そのスタイルが自分に合っていると 心から思える人でない限り、実際に行うのは難しい。

自分自身の運用期間を長期に設定するのは、ある意味安全な方法だ。

大規模病院に骨をうずめる覚悟で就職する。大学病院の医局に入局して、その関連施設を 回りながらキャリアを伸ばしていく。 先の見えない時代。だからこそ、伝統的なスタイルというのには強みがある。

どんな業界でも、必ず波がある。デイトレーダーは小船に乗って、波に乗る。 長期投資家は、大きな船で波を突っ切る。

  • 波が大きくなると、小船は簡単にひっくり返る。 だから、デイトレーダーは何艘もの舟に声をかけておいて、 八艘飛びよろしく小船の間を飛び回る。
  • 大きな船は安定している。 ところが、波がもっと大きくなると、大きな船は波のパワーに負けて、 船ごと折れてしまう。

今の医療の業界に訪れている「波」の大きさは、相当に大きい。

これがこのままもっと大きくなるのか、それとも再び「凪」になるのか、それが見えない。

先が穏やかになるのなら、大きな船に乗るのはいい選択かもしれない。 嵐が過ぎるまでは大船に乗って、その先を待てばいい。

ところがこの先、嵐がもっと大きくなるならば、「乗る舟」の選択は相当に考えなくてはならない。

舞鶴市民病院。医者がみんないなくなってしまい、もはや存亡の岐路に立たされてしまっている 施設だけれど、ほんの数年前までは研修医が門前列をなす、非常に有名な研修病院だった。

舞鶴に行くというのは、研修医ならば虎ノ門病院とか、聖路加や沖縄中部といった「ブランド」研修病院に 入るのと全く同じ。非常に名誉なことで、またその先のことはまさに「大船に乗った」気分でいられた。

それだけの病院が、市長の鶴の一声で簡単に吹っ飛んだ。1年もしないうちに医者は激減し、 今では病院の売却先探しに市が奔走している。もはや「舞鶴で研修します」などと言い出す研修医など、 誰もいない。

基本的には、「乗る舟」の大きさに逆比例して、研修の見返りは小さくなる。

大きな病院、特に国立の病院などは手続きが煩雑だし、雑用は多いし給料は安い。小さな民間の病院は、その逆。

自分の選択した施設の「舟の大きさ」がどの程度なのか。

タイタニックだって沈むときは沈む。原子力空母に乗ればまず安全だけれど、軍の舟に快適装備を 求めてはいけない。

嵐の読みと、「乗る舟」の査定。

このあたりが、運用期間を長期間に設定したときに大切になる。

科の投機性と流動性

皮膚科と耳鼻科は、どちらが「強い」のか?

将棋の羽生名人と、プライド王者のヒョードル。どちらが強いのかを比べるぐらい、 比較の意味のない問題だ。この2人については、いつかチェスボクシングあたりで 対決してほしいけれど。

「進路の選択に損得勘定など無縁で、あくまでも自分の興味で決めるべき。」

これは正論だけれど、自分の「本当に」やりたい仕事を見つけるなんて、 実際に就職して見ないと無理だ。

比較の仕様のないものを比較するには、何とかしてパラメーターを見つけるしかない。

就職については、「投機性」と「流動性」という2つのパラメーターが存在する。 投機性が少なく、流動性の高い科ほど「強い」。あとは、本人の希望に合っているかどうかだけ。

例えば産科。

見返りの少ない、非常にきつい仕事だというレッテルが貼られてしまっているけれど、 この科の投機性は低く、流動性は高い。今はなり手が少ないから、みんな後継者を育てようと 必死だ。仕事は忙しいかもしれないけれど、成長する上でのリスクは少ない。

その一方で、流動性は高い。

産科の足りない病院なんて探せばいくらでもあるし、緊急のお産専門などという地獄を歩む選択から、 カウンセリング専門のレディースクリニックの運営まで、「産科」という肩書きが役立つ分野は大きい。

これらのパラメーターは絶対的なものでなく、状況が変われば上下する。

もしも産科医が今の10倍いれば、当然競争は激しくなり、投機性は増す。就職できる施設も 限られて来るだろうから、流動性も減少する。

現在「おいしい」と言われている科も、実際そうなのかは、こうしたことを考えて見ないと分からない。

放射線科や、設備投資の必要なマイナー系の科というのは、案外投機性が高くて 流動性が低いのかもしれない。

自分は循環器内科からまた一般内科に戻るけれど、これもまた流動性を変化させたかったからだ。

循環器内科は、その投機性は低い。

もちろん向き不向きはあるけれど、自分のように「途中入社」組みであっても、 何とか心カテができるぐらいには育ててもらえた。たしかに仕事は楽勝では ないかもしれないけれど、一生懸命やれば育ててもらえる。

当たり前と思うかもしれないけれど、これは本当は大変なことだ。世の中、一生懸命やっても 報われない事例なんていくらでもある。

自分がカテ屋を続けられなくなったのは、その流動性の低さによる。

心臓カテーテル検査室を作るのには莫大な設備投資が必要になる。患者さんの数は多いけれど、 県内で、心臓の治療ができる施設は限られる。大きな病院、いい病院に就職しようと思ったら、 どうしても競争が生じる。

一般内科医というのは、最悪机一つ、聴診器一本あればどこだってできるから、 もうスライムなみの流動性。どこにだってもぐりこめる。みんなから、スライム並の ザコだと思われるけど。

相場の読みと大胆な選択

「人の行く裏に道あり花(華?)の山」という言葉を知っていますか? 人と同じ事をしていると利益は出ない(小さい)という事です。 「分かってるよ!」と言う声が聞こえてきそうですが、 分かっていても実践できない(つまり分かってない)のが相場です。(中略) 株の世界では、ビギナー人が利益を得たりする事が多いのです。 それは誰も見向きもしない「裏の道」だからです。 味をしめた素人さんは株式についての勉強を始めます。 すると次第に利益がでなくなってきます。理由は簡単。勉強する事によってみんなと同じ事をするからです。(中略) (作者の人が就職して何年か経って、株の名人に取引を勧めたときの話) 「生意気な事言うようになったな」「だいぶ勉強したみたいだからおしえてやる」と言われ次の一言に驚きました。 「すぐ億万長者になれるよ。お前が買いと思ったら売り、売りと思ったら買ってみな」 もちろん出来るわけも無くいまだに私は貧乏です。つまり言いたい事はある程度勉強しなければ裏読みも出来ず、また相場には相当な決断力がいるという事です。 元証券マンが語る「初心者が株をやる前に・・」より改変引用

先のことなんて誰も読めないし、不勉強なままに適当な未来予測をすると、やっぱり罠にはまる。

自分のスタイルにあった期間で予測を立てて、適切な投機性と流動性を持った銘柄を選んで。

その上でさらに、みんなとは違う道、相場の裏読みをして大胆な選択ができないと、投機というのは 成功しない。

その「大胆さ」のエネルギー源になるのが、バンクロールの大きさだ。

持っている全てのものをバンクロールに置き換えること

バンクロールとは「手持ち資金」と訳される、賭け事のときに1回に投資できる金額のこと。

たとえば、カジノで同じ1万円を賭けるにしても、それがその日の金額の全てなのか、 1億円持ってきた中での1万円なのかでは、自ずから賭けの戦略は変わってくる。

ポーカーのプロ同士の対決などでも、試合が始まる前から勝負は始まっている。

試合当日にバンクロールをいくら持ち込めるのか。相手と同じだけの資金を確保できないと、 その時点で精神的には大きなハンデを抱え込むことになる。

進路選択のカジノの中でも、やはりバンクロールは重要になる。

目の前のリスクを取れるかどうか。ストレスに対する耐性。こういう部分に、 「バンクロールをいくら持っているのか」が効いてくる。

知識や技量が何もない研修医の時は、「バンクロール」として勘定できるのは以下のようなものだ。

  • 持ってる現金そのもの(だから給料はけっこう大事)
  • 実家との関係が良好とか、地理的に近いといった状況
  • 以前に関係のあった施設との人間関係
  • 10年以上年次が上の上級生に知り合いがいること

残念ながら、成績が良かったとか、友達が多いこととか、年の近い先輩後輩は役に立たない。

バンクロールとは、要は「人間的に最悪に惨めな状況に追い込まれたとき、 自分を具体的に助けてくれる何か」のことだ。

そんなときには、お金ですら無いよりあったほうが強い。逃げ帰れる実家があって、 それが「地理的にも」近い状況もまた、大きな強みになる。

自分の実力や、同級生の存在は、実効性のある力としては何の役にも立たない。

研修医時代は、みんなが自分の問題でもがいている。 溺れている者は、自分の力ではどうしようもないし、別の溺れている者を救うこともできない。

背水の陣で臨む

先を読んで、行き先を決めたら、後はもう決断して突っ込むだけだ。背水の陣をしいて

この「背水の陣」の意味を履き違えている人が多い。

「水を背負う陣形」は、攻めの陣形ではなく守りの陣形だ。

背水の陣と言うのは、川や海といった「水という絶対的な守り」を後ろに置く (舟を使うのは想定外)ことで、 少ない兵を前面の守りに集中させるための方法だ。史実では、本体がこの陣形で ひたすら守りつづける間に、別働隊が奇襲をかけて敵を打ち破る。

研修医が持てる力は乏しい。いつでも避難できる場所、戻れる場所を確保しておくのは大事だ。 後方の守りを忘れて前進に全力投球できるからこそ、 新しい挑戦もできるし、状況の変化にも余裕を持って対処が可能になる。

退路を断った、1点全賭けは自殺行為だ。

自分の場合、こんど外の病院に出るけれど、やはり「戻れる場所はある」と勘定している。

以前の研修施設。「来る者拒まず、去る者追わず」の病院だったから、多分まだ引き取ってくれる。 まだ黒字だし。

大学医局。不義理を重ねてしまったけれど、最悪の時に土下座して泣きつけば、 たぶん何とかしてくれるんじゃないか、 と思う…。甘いっすかね。

最後はやっぱり「面白がる精神」

進路を選択して、キャリアを積んで。結局のところ、こうした行為は「自分」と言う売り物の価値を 上昇させるためのプロセスにしかすぎない。

問題なのはこの「価値」というものがたぶん誤解されているところで、たとえ世界一の腕前を誇る 医師がいたとしても、こいつが友達のいない引きこもりだったら、そもそもその「世界一」を 誰かが発見することもできないわけで。

自分の価値というのは自分の腕前と言う狭い意味以外に、自分の技量がどれだけの流動性、汎用性を 持っていて、またその腕前を生かすための人間関係、初対面の人に自分を売り込むのが上手いとか、 膨大な友達リストを抱えていて、日本中どこの病院にいっても部長級の医者に知り合いがいるとか、 その腕を実世界で運用する手段まで含めたものだ。

それでも、やはり売り物となる「腕」を身につけないことには、始まらないのもまた確か。

「腕」というのは、習うものではなく「かすめとる」ものだ。

学習の権利は、一応公平に与えられる。それでも、それは最低限の保証であって、 「最大値」は人によって異なってくる。

最初は誰でも単純な作業から。

それでも、それを「単なる作業」とばかりにいやいややるのか、 どんなにつまらない仕事でも面白がってチームに加わっていくのか。

仕事の成果を上げるのに、すなわち、お金を生み出すパワーの源泉は、「知識」であるので、 仕事時間のほとんどが、じつは仕事をしているようで、実質的にはスキル獲得に費やされているのだけど、 知識というのは、個人に所属するものだということ。 この、会社にとってはとても理不尽な構造を意識的に利用すれば、 会社に搾取されるどころか、会社を搾取することができる。 無実力のニートが年収500万円の正社員になる方法より引用

何かの手技をするときは、必ずその準備がいる。

「手技」は直接「腕」につながるものだけれど、「準備」は単なる雑用かというと、決してそんなことは無い。

準備が出来ない奴は、そもそも手技なんか出来るわけがない。どの道具を使うのかすら分からないんだから。

将来、その分野で食べていこう、その分野を本当に面白がれるやつというのは、 やはり面白そうに仕事をするし、面白がるやつをみると、やはり教えるほうもまた面白い。

必要な知識と技量だけいただいたら、あとは「おいしい生活」を。などという考えかたが クレバーだという論調を時々耳にするけれど、やはり面白がれない人というのは、 その科の知識を吸収するのは難しい。

こちらが選別して出し惜しみしてるんじゃなくて、たぶん目の前を通過する知識の重要さを 理解できないから、知識が「腕」として身についてこない。

多くのバイトちゃんは、いつまでもバイトちゃんのままか、あるいは、 使えないバイトちゃんとみなされて、切り捨てられておわりである。 で、何人かに一人混じっている、正社員に登用されるバイトちゃんというのは、 どこが違うかというと、一言でいうと、ボランティア精神旺盛な、 お人好しな感じのバイトちゃんであることが多い。 つまり、死にそうに忙しくて、へろへろになっているディレクター やアシスタントディレクターに同情して、「みんな徹夜してまで 必死にがんばっているのに、ぼくだけ、さっさと先に帰っちゃうの、悪いな。 なんかもっと手伝ってあげられることないかな。」と、真剣に考えちゃうお人好し君だ。 無実力のニートが年収500万円の正社員になる方法より引用

残念ながらこれは計算して「熱心なふり」をするだけでは無理で、やっぱりその業界のことを 本当に面白がれないと、なかなか「仲間」になって「腕」を身につけるのは難しい。

功利的な選択のしかたをあれこれ考察してきたけれど、やっぱり最後は「それが面白いかどうか」。

面白がる精神を原資にして、自らの生存確率を最大に維持しながらいろいろ試行錯誤して、 「心から面白い」と思える仕事を一刻も早く探す。

進路の選択というのは、つまるところそういうことなんじゃないかと思う。