環境と対峙するためのシンプルな道具

無人島みたいな環境に1 人残された主人公が生き延びるために知恵を絞る、「ロビンソンクルーソー」 みたいな物語には、その環境に対峙していくための道具が欠かせない。

恵まれた環境は、小説を生まない。何も持たない人間でも生活できるような場所なら、 その人は生き延びる努力をする必要がないだろうし、取り残された主人公が、 軍隊が持ってるような装備一式を持ち運んでいたら、それは生存の物語でなくて、教科書になってしまう。

ロビンソンクルーソーみたいな、生き延びる努力を物語として表現するためには、 主人公が環境と対峙するための道具、シンプルで、一見すると役不足で、 主人公の能力とか、工夫に応えてその能力を発揮して、主人公が生き延びる 決め手になるような、そんな道具が欠かせない。

シンプルな、一見ごくありきたりの道具一つが、主人公の手にかかると思いもかけない汎用性を 発揮して、絶望的な状況を切り開いていく、サバイバル物語のおもしろさというのはそんなところにあって、 活躍する道具というのは、道具であると同時に、主人公が追い込まれた状況を説明するための手段にもなっている。

定義としてのサバイバル

一般化するなら、「環境から導かれたルールから、プレイヤが最適解を求めようとする」という関係が成立するとき、 それはサバイバルであると言える。

サバイバルといえる状況はどこにでも存在しうる。ロビンソンクルーソーの精神は、 だからしばしば、実世界でも役に立つ。

主人公が対峙する環境が変化すれば、持つべき道具も当然変わる。

ロビンソンクルーソーが対峙した自然環境は、今はもう探すことも難しくて、 そんな「穴場」にたまたま主人公が流れ着いたところで、きちんと探せばたぶん、 歩いていける範囲内には、今なら必ず観光客がいる。

今の時代に、海に放り出された人が流れ着く場所は、まず間違いなくゴミの山。 そういう場所はたぶん、針金屑だの棒きれだの、半分腐ったビニールシートだのがたくさん転がっていて、 斧が要りそうな大木だとか、獣が潜んでそうな洞窟なんかは存在しない。

「現代のロビンソン」が、そんな環境で生存していくためには、ナイフはもはやふさわしくなくて、 むしろラチェットレンチだとか、針金を締めるためのペンチだとか、その環境を乗り切るのにふさわしい 「これ」という道具は、工事現場で使うようなものになる。

生きる知恵をつけるために、子供にナイフの使いかたを教えましょうなんて意見は昔からあるけれど、 サバイバルするために必要な道具というのは、たぶん環境から事後的に決定される。 今の子供にナイフを持たせたところで、それを生かせるような環境を探すのは大変だと思う。

ダクトテープとシノ棒

宇宙を漂流する羽目になったアポロ13号で役に立ったのは、ダクトテープだったのだという。

宇宙船に事故が起きて、その宇宙船本来の設備だけでは地球に帰れなくなって、 彼らは一緒に持ってきた月着陸船に、足りない設備の材料を求めた。

機材は交換不可能で、口金の形なんかはみんなバラバラだったから、 彼らは船内に積んであったボール紙とかメモ用紙を利用して、 ダクトテープでそれらをつないでアタッチメントを作り上げて、 地球までの命をつないだ。

ダクトテープはメモを貼るとか、新しい部品を作るとか、地球からの指令を直接メモするとか、 いろんな目的に応用できたから、NASA は今でも、宇宙に行くロケットには、必ずダクトテープを積む 決まりになっているんだという。

南極越冬隊の人達は、みんなが「シノ棒」という、 先の尖った金属棒を持つ。

ごくシンプルな道具だけれど、これを使ってずれたボルト穴を直したり、ワイヤーを締めるときの「てこ」にしたり、 缶を開けるときのへら代わりに使ったり、応用範囲がすごく広いのだという。

素手で出来そうなものだけれど、南極で手袋脱いだら大変なことになるんだろうから、 たぶんこういう「爪」の代わりになるような道具というのは、南極の野外で生き延びていくためには、 大切なんだろうなと思う。

環境と対峙するためのシンプルな道具

シンプルだけれど汎用性の高い道具、生存を志向する人が、 ある環境に対峙したときに、「これだけは」みたいに一つだけ持って行ける道具、 自分が対峙している環境は、いったいどんな道具を要請しているのか、ときどき考える。

生きていくのに役立つ道具というのは、対峙する環境に応じて本当に様々。 たいていそれは、「ノートパソコン」みたいな複雑さとは縁のない、 南極越冬隊なら「シノ棒」、無人島なら鉈とかナイフ、アポロ宇宙船ならば「ダクトテープ」だったり、 ごく単純な、そこに行ったことがない人が見たら、「どうしてそんなもの持って行くの? 」なんて疑問持つような、 特別さとは縁のない、ありきたりの道具。

軍隊が使う、スイスのアーミーナイフは、新兵であればあるほど多機能な製品を選んで、ベテランの将校は、 むしろシンプルな、ナイフ2種類に、せいぜいコルク抜きがついたようなのを持ち運んで、 ただのナイフをいろんなやりかたで応用して、機能を省いていくんだという。

道具はだから、それを使う人が熟達するほどに、環境と対峙する経験が増すほどにシンプルに、 応用が利きやすいものへと変貌して、「これ」という道具が指定できない職種というのは、 まだそこまで生存に必死になれていないか、あるいは業界自体にノウハウを蓄積する態度が乏しくて、 道具を洗練する機会に恵まれていないのかな、と思う。

自分が生息している「病院」という環境では、それが何なのか、未だによく分からない。 白衣や聴診器、ボールペンといった道具はたしかに便利なんだけれど、応用効かないし、 病院中に転がっているものだから、それらはむしろ「環境」に所属するもので、道具ですらないかもしれない。

「うちの職場はこれが頼りで、欠かせないんですよ」なんてやりかた。自分たちが対峙している状況を代表する 道具というのは、業界越えた相互理解を志向するときは、すごく役に立ちそうなんだけれど。