水は低いところに流れる

「顧客の声に耳傾けるのは大切」なんて言われるけれど、耳を傾けたその瞬間から、何か大切なものが劣化する。

小児医療無料化のこと

「医療費はタダがいいよね」なんて「顧客」の声が、小児医療の無料化を実現した。

これから大変になる、らしい。

自分たち、それでもまだ部外者でいられる内科や外科は、この問題を「数」の問題と考えていた。 無料化して、外来に人が殺到して、ただでさえ少ない小児科医が疲弊して、系全体を巻き込んで潰れる情景。

小児科の先生に言わせると、無料化で問題になるのは、むしろ「質」、患者さん側からみたときの、 医師の価値がゼロになることなんだという。

無料になっても、大多数の患者さんは、やっぱり病気にならないと病院には来ないし、みんな忙しい。 無料化すると、夕方の外来はたしかに混雑するらしいのだけれど、それはまだ、覚悟ができていれば何とかなるのだと。

問題なのはむしろ、小児科医療が、患者さん側から見て「タダ」だと思われてしまうこと、 小児科医という存在に、何の価値も見いださない人が増えることらしい。

「モンスター」とか言われる親御さん達は、ただでさえ、自分たち「かわいそうな」人達こそが、 世間でもっとも敬われるべきと心の底から信じてて、「恵まれてる」存在、医師とか教師を見下す。 これが無料になると、そういう人達から発射される目線の傾斜がますますきつくなって、 それが外来やってて辛いんだという。

子供のためと言うよりも、むしろ自分のために病院に来る親御さん達は、 どういうわけだか時間だけは無限に持ってる。どこにかかっても、何回かかっても、小児科医療は これから無料になるから、気に入らない答えを返す小児科医とか、自分にへつらわない小児科医とか、 どんどん「クビ」にして、他の施設に移動する。

今までなら、せいぜい施設を2つか3つ。お金払うのは馬鹿らしいから、3人ぐらいの医師を罵倒して、 「やっぱり医者は馬鹿ばかり」なんて満足げにつぶやいて、子供は「自然治癒」したことになって、 それなりに世の中回ってたらしいんだけれど、無料ルールだと、こうした親御さんの財布が傷まない。

罵倒される小児科医が6人にも7人にも増えて、子供はもちろん自分の時間を親御さんに奪われて、 お互い大変なことになるんだという。

衆愚が世の中悪くする。

「みんなの意見」に対抗する論理は、上から目線で「専門家である我々に任せておけ」なんだけれど、 専門家の意見もまた、集まると、どういうわけだか状況悪くする。

人工呼吸器のこと

人工呼吸器は、とにかく「呼吸しない人に、安全な呼吸をさせる」ことが機能の本質であって、 呼吸器がどれだけ高機能化しようが、「安全な呼吸」を見失った改変は、やっぱり改悪にしかなり得ない。

出現したばかりの人工呼吸器は、そもそも電源ボタンすらついてなくて、圧搾空気ラインを接続すると、 いきなり勝手に動き出す。呼吸器は患者さんにつながっていないから、もちろんアラームが鳴り響いて、 部屋の中がすごくうるさくなる。

いきなり動くし、アラームうるさいし、たしかにそれはろくでもないんだけれど、 「絶対動く」こと、「安全を第一にする」こと、人工呼吸器は、登場した時点で、 すでにこのあたりを達成できていた。

1970年代の登場から30年。

  • 人工呼吸器には電源ボタンがついて、「オフ」にすれば止るようになった
  • アラームは高機能化して、機会が「正常」を判断すれば、勝手に止るようになった
  • 今回の改良品に至って、呼吸器にはサスペンドモードがついて、電源を入れただけでは動かなくなって、 人間がモードを設定してからでないと、呼吸が始まらなくなった

電源ボタンは「操作してるかんじ」をもたらしたけれど、間違って電源が切られる可能性を作り出した。 機械の判断で勝手に止るアラームは、病室を静かにしたけれど、もしかしたら大切なサインを見落とす可能性を生み出した。

今度実装されたサスペンドモードは、一番動いて欲しいその瞬間、呼吸器が沈黙して、アラーム一つ鳴らさない。 患者さんが落ち着いてるときはそれでもいいけれど、真夜中の鉄火場で、「今すぐ」使いたいとき、 沈黙する呼吸器というのは本当に怖い。

勝手に動く呼吸器は、今では電源入れて、医師が指示しないと動かないように「従順」になった。 人工呼吸器は、専門家である医師が意見して、30年かけて様々な改良が加わったのに、 それで「お得な思い」したのは生き死にに関係ない人ばっかりで、 「安全な呼吸」という、本来人工呼吸器が目指してた何かは、最初の呼吸器が登場してからこの30年、 何だか遠くなった気がする。

下流」目指した時点で劣化が始まる

誰かの「声」を、政策だとか製品に反映させるやりかたは、だから顧客の専門性いかんに関わらず、 本質をダメにする方向、ダメにする方向に動かしてしまう。

登場したとき、欠点は目についても十分に魅力的で、役に立っていたプロダクトは、 それを開発する人達が顧客を志向したその時点で劣化が始まって、一度味をしめた「顧客の声」は、 次から次へと「改良」を要請して、結果としてろくでもないものを生み出す。

アニメーターの宮崎駿監督は、「下流を志向すると文化が衰退する」なんて言っておられた。 文化を創り出す人を「上流」においたときの、文化が流れていく先、クリエーターが顧客の方向を 向いたその時点で、その人が創り出した文化は、劣化してしまうのだと。

裁判が終わった。本当によかったなと思う。

マスメディアも、司法の人達も、そもそもの原因作った事故調査委員会の人達も本当にひどかったけれど、 その「ひどさ」というものもまた、あの人達が「顧客」の目線を意識した結果の劣化なのかなと思う。

「真実を明らかにする」ための事故調査委員会は、ご家族という 顧客に「配慮」して、玉虫色の判定出して、裁判が始まった。

警察組織はもうずっと前から不作為を叩かれて、叩かれて、たぶん今では、 公式に「過失」を認めた文章が出された時点で、もう叩かれたくないだろうから動かざるを得ない。 「正しさ」と、「柔軟さ」とは、目線の中では両立できない。

「俺たちの方を向いて仕事しろ」なんて声は、もちろん患者さんからも、あるいは医師からもでるけれど、 「上流」にいる人達が、こういう声に耳を傾けたその瞬間から、何かが劣化して、 それはしばしばひどい結果に結びつく。

こういうの、どうやって回避できるのか、未だによく分からない。