新しい技術をものにする

Google へのハッキングが中国軍幹部の指示で行われた」というニュースが、個人的には最近けっこう驚いた。

軍隊の上層部なんて、どの国を眺めたところで、頭の固い老人ばかり、ましてや中国なんて、と高をくくっていたら、中国軍の幹部は、「ハッキング」という新しい技術を、一応使いこなしていたわけだから。

やってみないと分からない

日本ならばじゃあどうなのか、たとえば今の政治家の人たちに、「我が国の○○というスーパーハッカーなら、 ペンタゴンに仕掛けたバックドアからいつでも侵入できます」なんて報告を受けて、じゃあそのすごい技術を前にして、 一体どんな指示が飛ばせるものなのか、恐らくは何もできないんじゃないかと思う。

実際に自分で使ってみない限りは、その技術のすごさというものは、理解できないし、ましてや使いこなすことなんて難しい。

それはIT の技術に限らず、大昔の刀と槍の時代、戦争がこれから起きて、武器にかけられるお金が限られている中で、 じゃあ刀と槍と、どちらをどれだけ準備すればいいのか、素人には判断できない。刀や槍の機能なんて、見れば明らかにも思えるのに、 じゃあある状況において、どちらの武器がより優れているのか、実際にそれを使って戦った経験がなければ、そんなシンプルな道具すら、 想像するのは難しいだろうから。

「机上の空論」が成り立つ前提

「机上の空論」だけで勝負する、理論戦略家という仕事が成り立つためには、「技術の進歩がない」、少なくとも「新しい技術が古い技術のアナロジーで説明できる」という大前提が必要なのだと思う。

クラウゼヴィッツの戦略理論にしても、あの人の本には「空軍」は出てこないし、「ゲリラ戦」も論じられない。そうした技術がで戦争を語り始めると、クラウゼヴィッツだって限界がある。

IT技術を使った戦争」なんて、それこそ「戦術」の概念が出現して、ハッカーの人たちが「武器の使いかた」に熟達して、ようやくこの20年ぐらい、それが武器として考慮されるようになったぐらいなのだから、 今大きな組織で幹部をやっているであろうお爺ちゃんたちは、「掲示板荒らし」程度の「戦闘」も、経験したことはないんだろうと思う。

異なる文化をつなぐ人

圧倒的に経験が足りない人たちが指示を出して、それでもその攻撃が成功した背景にあるのは、だからハッカー側の誰かが持っていた、すごい「説明能力」であって、 自分たちが使いこなしている技術にはどういうものがあって、それにどんな威力があって、どのような効果が期待できるのか、それを従来の技術と地続きの、 お爺ちゃんたちにも理解できるような説明がきちんとできるぐらいに、中国のハッカーには成熟した技術文化がある、ということなのだと思う。

「説明する能力」というか、決断する世代と、実行する世代と、どうしたって発生する世代をつなぐ能力というものは、 一見すると「技術」からは遠いようでいて、その技術が実体としての力を得るためには、最も大切なものの一つなのだと思う。

SEの人たちが必ずと言っていいほどに、いつまでも固まらない「仕様」に振り回されるのは、顧客がそもそも、技術を使って何がしたいのかを、 全く理解していないからなのだろうし、そういう人たちは、「そうじゃない」とは言えても、技術者の側から適切な誘導を行わない限り、 本来あるべき「こうしたい」は、いつまでたっても見えてこない。

「こうじゃない」しか語れないはずの中国軍幹部をして、「こうしたい」という実効性のある攻撃を成功させたのは、 文化の異なる世代をつないだ誰かの功績であって、すでにそういう能力を持った誰かがあの国にいるというのは、 IT 技術者の文化というものが、世代の壁を越えられるぐらいに成熟している、何よりの証拠なのだと思う。