面白いものと売れるもの

誰かに「これは面白い」という評価をいただいて、それを「売るもの」へと手直ししているときには、 誰もがたぶん、どこかで「面白さを削る」ような気分を味わうんじゃないかと思う。

「お金が取れるぐらいに面白いもの」と、実際に「売られているもの」との間には深い断絶があって、それを超えるのはなかなか難しい。

スマートホンの話

このところずっと Android 携帯で遊んでいて、今さらながらこれが面白い。

HT-03A は、ほとんど毎日のように何らかのROMが更新されていて、自分なんかは正直、 XDA developper で交わされている内容の1割も理解できていないんだけれど、いろんな国の人たちが、 新しいROMを発表してみたり、「俺の作ったbootimage を見てくれ」なんてフォーラムを立ち上げて、 名乗りを挙げた人柱が見事に玉砕してみたり、ログを追いかけているだけで、 なんだか自分が詳しい人間になれたような気分で楽しめる。

携帯電話は仕事の道具でもあるから、自分が実際に入れているのは、 発表されているカスタムROM の中でもずいぶんと安定したものばかりだけれど、 掲示板で「甘え」と罵られながら、それでも使い勝手はずいぶん変わって、快適になった。

面白さと実用性は両立できる

「製品」としてのHT-03A は、不便だった。

電話アイコンをクリックしてから住所録が出てくるまで2秒、そこから電話がかかるまでさらに数秒、 ボタンを押すと待たされて、画面をスクロールしようとすると、また待たされて、「こんなものだ」と 我慢しようにも、さすがに使っていて嫌になってきた。

Hyper-J というカスタムROMを焼いてから、電話をかけたり、何かのアプリを閉じてからホーム画面に戻るのが、 「数秒」から「一息」に進化して、これだけで画期的に快適になった。

今はOS のバージョンを2.2 に上げて、何故か最近になって発掘された「埋蔵メモリ」を使えるようにするようなカーネルを上書きして、 「電話ボタンを押すと電話がかかる」という工程が一瞬で行けるようになって、OSのバージョンが上がって、PDFファイルも読めるようになった。

「自分で作った臨床メモを参照しながら臨床を行う」という、メモ帳の時代だったらごく当たり前にできていたことは、 電子に夢を見た10年前にはできそうでできなかったのだけれど、スマートホンの時代になって、 ようやくストレスなく実現できるようになった。

Palm の頃は、PC上のメモをPDA にコンバートすることができなかったし、LaTeX で書いたメモをHTML に変換したところで、 HT-03A はSDカード上のHTML 原稿を直接読みに行けなかったから、メモはネット経由で参照することしかできなかった。 SDカードと本体のROM と、ほんの数ミリの、そのわずかな距離を詰めるのに、さらに1年かかった。

カスタムROM を焼いて、実用的なPDFリーダーが動くようになって、デスクトップ画面からアイコンをクリックするだけで、 ようやくメモが立ち上がるようになった。小さなことだけれど、何年もかかって、PDAはようやくメモ帳に並べたんだと思う。

面白いものと売れるもの

あれこれとROM を入れ替えた結果として、自分のHT-03A は速くて便利になったけれど、今度はyoutube が上手に読めなくなった。

もともと動画は見ないから、そのことには全く困っていないのだけれど、youtube をスマートホンから見ようとすると、 閲覧できる動画もあるし、音しか流れない動画もある。どの動画がどういう動作をするのか、クリックしてみないと分からない。

カスタムROM のフォーラムでも、いろんなROM でいくつもの「不具合」が報告されては、それがバージョンアップで潰されたり、 また新しい不具合が発見されたり、忙しくて、面白い。

ところが今のこの状態を「製品」として、お金をもらって販売するものとして見たときには、 これは明らかに欠陥であって、瑕疵がある以上、販売できない。

お金をもらってものを売るときには、その商品の欠点は、長所で補償することができなくなってしまう。

DoCoMo が販売していた状態の、素のままのHT-03A は、商品としては正直どうしようもない、 お金を払ったことを後悔するぐらいにつまらないものだったけれど、たしかに不具合は発生しなかった。 ソフトを立ち上げるのは遅かったし、使った感覚も快適には遠かったけれど、積まれているソフトはすべて動いて、 明らかな「手落ち」と指摘できるものはなかった。

今使っている、中身を入れ替えたHT-03Aは、もう手放せないぐらいに便利に快適になっていて、 快適にはなったけれど、欠点も増えた。動画の閲覧は不安定だし、増加バッテリーを積んでも電池はみるみる減っていくし、 電話やメールこそ、不具合なく確実につながるけれど、じゃあこれから何かのアプリケーションを試すとして、 果たしてどんな不具合が出現するのか、使ってみないと分からないし、メーカーはもちろん、何の保証もしてくれない。 これはたしかに「素晴らしく面白いもの」であっても、このままでは、商品として販売することはできないんだろうと思う。

「お金を支払うこと」の価値というか、商品と一緒に購入できる、「欠点を指摘して保証を要求する権利」いうものが大きくなって、 「面白いもの」と「売れるもの」とを断絶させる谷は深くなった。

溝を超える方法は、「欠点のない商品を作る」というのが王道だけれど、尖った要素は削らざるを得ないだろうし、 価格だって高くなる。

Apple はこのあたり、「私たちのやりかたを肯定できる人だけ買って下さい」という、全ての人という市場にあえて背を向けて見せることで、 「面白さ」と「販売できる」との両立を目指して、Apple の製品を購入する人の裾野が広がると、あれも難しくなるような気がする。

Google 先生はこうした問題に、「最初からお金を取らない」という回答を出して、これが成功しているのかどうかは分からないけれど、 OS としてのAndroid は、「無償」だからこそ面白い試みができるのだろうし、Google という会社のサービスは、不具合満載、 倫理の壁を思わず崩すような失敗も珍しくないのに、ユーザーは減らずに、相変わらず面白い。

お金をもらってものを売る代償というものは、「一番声の大きなユーザーと会話するコスト」なんだと思う。

それがものを売った利益に見合うものなら、販売という手段を取るのだろうし、 会話リスクを限界まで削った結果として、「売るもの」はしばしば、面白さを失ってしまう。 「無償」と「支払い」の間には、「ユーザーを囲い込む」とか「別の手段でお金をもらう」とか、 実は様々なやりかたがあって、この場所に、「面白いもの」と「売れるもの」とを両立させる何かがあるのだと思う。