弔辞の比較

赤塚不二夫 氏の葬儀で、タモリが読んだ弔辞の比較。たぶんそこに集まった記者の人が聞き書きしたものだけれど、 新聞社ごとの立ち位置とか、葬儀に集まった人に対する考えかただとか、いろいろ邪推できて面白い。

比較したのは朝日新聞と、産経新聞産経新聞のほうが文字数が多いから、 たぶん産経新聞のほうがオリジナルに近くて、朝日新聞は、それに編集を加えた印象。

朝日新聞タモリは、亡くなった赤塚に語りかけるというか、どこか客観的な、 何だか卒業式で生徒を送り出すときの「教師」のような口調。

産経のタモリは、 訥々とした話しかたで、葬儀に集まった人達に、師匠としての赤塚を紹介する「弟子」のような、 そんなイメージを持った。

以下比較。

  • 産経「我々の世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代」
  • 朝日はこの言葉を省略している

冒頭の文章。

  • 産経「あなたは突然私の目の前に…」
  • 朝日「あなたは突然目の前に」

以後、産経のタモリは、ほとんど段落ごとに「私の」と入れるけれど、朝日は全て削っていた。 産経のタモリは、個人的な体験を語っているように響いて、朝日のタモリは、どこか教科書を書いているかのような印象。

  • 産経「私のマンションにいろ、とこう言いました」
  • 朝日「私のマンションにいろ」

上京したタモリを、赤塚が自分のマンションを提供して、そのまま引き留めたエピソード。 朝日のほうが臨場感があるというか、どこか脚本っぽい、時制を省いた書きかた。

  • 産経「大きな決断を、この人はこの場でしたのです」
  • 朝日の記事では「この人は」が省略されている

昔の回想。

  • 産経「深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました」
  • 朝日「いろんなネタを作りながら教えを受けました」

赤塚への言葉。

  • 産経「あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として残っています」
  • 朝日「あなたが言ってくれたことは金言として心の中に残っています」

どんちゃん騒ぎ」と「あなた」は、朝日的には何か汚らしいイメージがあったのかな、とか邪推する。 文章の通りはたしかに朝日のほうがいいんだけれど、やっぱり朝日は、個人的に聞こえるところを省こうとしている気がする。

絶対にツモでしか上がらなかった、赤塚の麻雀作法について。

  • 産経「相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて…」
  • 朝日「相手の機嫌を悪くするのを恐れて」

麻雀のルールを知らない人にも、赤塚のよさを伝えたい、というタモリの気持ち。産経はそのあたり 全部記述しているけれど、朝日は削除。朝日のほうがきれいだけれど、何だか生前の赤塚不二夫が、 どこか計算高い人物のようにも聞こえる。

  • 産経「あなたは私の父のようであり(中略)時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は」
  • 朝日「あなたは父のようであり(中略)時折見せる無邪気な笑顔は」

朝日は形容詞を端折る。

このあとに、産経の弔辞には、タコ八郎の葬儀のエピソードが入る。赤塚不二夫の泣き笑い顔を、 タモリが細かく描写した場面。朝日は全てカットした。

  • 産経「あなたの考えは、全ての出来事、存在を、あるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです」
  • 朝日「あなたの考えは、全ての出来事を前向きに肯定し受け入れました」

産経のタモリは、師匠としての赤塚を描写して、赤塚に「正解」を問うているように聞こえる。朝日のタモリは、 「あなたはこうだった」と、むしろ赤塚に対して「正解」を授けているように聞こえる。記者の聞き書きだろうけれど、 赤塚とタモリとの関係を、聞いた記者がそれぞれどう思って聞いているのか、邪推できそうで興味深い。

最後に一緒に旅行したときの回想。

  • 産経は「お互いの労をねぎらっているようで」
  • 朝日は「お互いに労をねぎらっているようで」

「の」と「に」のひらがな1 文字の違いにしか過ぎないけれど、。産経の赤塚は師匠。 朝日の赤塚は、どこかタモリの「生徒」っぽい。

産経版のタモリは、段落の多くに「私は」「私に」という言葉をつける。 朝日新聞タモリは、その言葉がすべて省かれていて、そのほうが、いかにもプロが書いたような、 それこそ「天声人語」みたいな文章になるけれど、どこか他人事みたいな響きがつく。

「こう思っている」主体がたとえ自分であっても、「私は」を繰り返していくと、文章が素人っぽくなる。 それを省いて、個人の判断なのか、それとも一般常識として認知されていることなのか、そのあたりをあいまいにしていくと、 文章の流れはよくなるんだけれど、「私は」みたいな言葉を省けば省くほど、事実と判断との切り分けがあいまいになって、 文章にはどこか、上から目線っぽい、当事者らしくないような臭いがつく。

個人で文章を書いていて、「私」の扱いはいつも悩むんだけれど、朝日の記者は吹っ切れていて、 「きれいさ」優先で、タモリの気持ちとか、赤塚とタモリとの関係だとか、後回しになっている気がする。

タモリが読んだ弔辞は、白紙だったらしい。

弔辞の言葉は、ただか書かれたものを読んだのではなくて、タモリがその場で考えたのか、 あるいは書かれたものを記憶したものなのか、いずれにしても、文章化されたオリジナルは存在しないみたい。

本当に文章が存在しないのか、どうして白紙を読んだのか、その時どんな思いだったのか、 語られることはきっとないんだろうけれど、聞いてみたいなと思った。