チームワークについて

ミスというのはなるべく素早く発見されるべきで、ミスを見つけたら原因 を探して、再発が起きないように、病棟のルールを改善していかないといけ ない。

ミスを素早く発見するために欠かせないものが「チームワーク」で、恐ら くはチームというもののありかたは、スポーツのそれと、職場のそれとで は、目指す方向が異なってくる。

スポーツのチームは弱点を隠す

たとえば野球やサッカーのチームなら、「チームを構成する誰かのミスが、 別の誰かによって暗黙のうちにフォローされるような状態」が、「いいチー ム」と表現される。チームには長所と短所とがあるもので、短所を相手に知 られたら、いいことはあまりないだろうから。

医療の現場で、こういう「いいチーム」を目指してしまうと、恐らくはい つか、とんでもない災厄を引き起こす。

病棟に、ミスの温床になるような構造とか、習慣があったとして、こうした「いいチーム」はたぶん、誰かがそれをフォローしてしまうから、根本的 な原因が浮かんでこない。

チームの「監督」に相当する立場の人は、状況が上手く回っているうちは、 安穏としていられるだろうけれど、問題がいよいよ隠蔽しきれなくなったと きに、危機的な状況をいきなり伝えられて、対応しようにも、手遅れになっ てしまう。

結果優先で、それまでは「チームワークのたまもの」として、落ち着きが 維持されていた状況は、いざ事故が起きて、一つ一つの手続きについて検証 していくと、恐らくはそうした「チームワーク」は、「組織ぐるみでの隠蔽」 という言葉に置き換えられる。

実社会でのチームワーク

医療もそうだし、恐らくは実社会のたいていの組織がそうなのだろうけれ ど、ルールというものは、変更できる。

それがサッカーみたいなスポーツならば、監督は、ルールだとか、グラン ドの状態について口を出す権利を持たないけれど、実社会での「監督」は、 たとえば選手の防御が弱い場所があったら、そこに落とし穴を掘るように 指示を出せるし、攻撃をもっと有効に行おうと思ったら、どこかに土を盛っ て、グランドに山を作ることだってできる。

実社会での「監督」の仕事、あるいは目指すべき「いいチーム」というもの は、自分たちの強みや弱み、あるいは「グランドをこうしてほしい」といっ た要望を、一刻も早く「監督」に伝達できるような組織なのだと思う。伝達 を受けて、監督が素早く判断して行動することで、状況は有利に進む。

「グランドを自由にいじっていい」ならば、監督の「柔軟な戦略」というも のは、意味を失う。グランドを、自分の得意な戦略に合わせて、穴を掘った り山を作ったりすればいいだけのことだから。

こういう状況で、「柔軟な」人が上に立ってしまうと、今度はその柔軟さが 仇になる。方針が決まらないから練習ができなくなるし、問題点を監督に報 告したとして、それが監督の方針にとって本当に問題なのか、柔軟すぎて、 選手には決定ができなくなってしまう。

頭脳派の監督が、柔軟な戦略のもとに、結束したチームを手足のように操 る、そんなやりかたが求められる、スポーツという世界は、あえてそうなる ように、ルールを厳しく制約された例外的な状態であって、実社会の仕事 に、スポーツのチームで使われる考えかたを持ってくるのは、間違っている のだと思う。