人型ロボには意義がある

人型ロボットというものは、リアルを追求したSF世界では、しばしば無意味の象徴として描かれるけれど、 ロボットが安価になった未来においては、むしろ人型であることの利点というものが、人型の欠点を上回ることになるのだと思う。

ロボットコンテストのこと

今年のロボットコンテストでは、「ブロックをピラミッドに積む」という課題が競われて、中国のチームが圧勝したのだという

ブロックを積み上げるという課題に対して、他の参加チームはみんな、自由に動かせる車台に、 操作できるアームを積んだようなロボットを提案したけれど、中国チームが作ったロボットは、 移動可能なロボットと言うよりも、むしろ精密な投石機のようなものだったのだと。

ルールブックに書かれていることを良く読んで、様々なやりかたを競わせて、試行錯誤を重ねた結果として、 優れた成績を上げた中国チームのすばらしさは疑いようがないけれど、ロボットにそこまで興味を持っていない人が 中国チームのロボットを見たら、あるいは「こんなのアシモにやらせればすぐだよ」という感想を持つかもしれない。

現時点では、アシモにはそこまでの性能はないだろうし、コスト的にも全く引き合わないだろうけれど、 ああいう人型ロボットが安価になった未来には、「アシモにやらせれば」と誰もが思いつけるということが、 人型ロボットの得難い長所として生きてくる。

専門特化と汎用性

たとえば「掃除を楽にやりたい」という問題に対して、ホウキを持ったメイドロボットを想像するのは間違いで、 技術者だったら、「掃除のいらない床」を想像して、それを目指して設計図面を引かないといけない。

問題の全体像を想像して、先入観にとらわれないで、それに見合った最適なやりかたを考えることで、 優秀な技術者は、シンプルな部品を組み合わせて、びっくりするような解決策を発明する。

技術者の考えかたとして、こういうスタンスは間違っていないと思うんだけれど、これから先、 ロボットの低コスト化が進んだ未来には、逆に「部分を複雑化することで、全体の設計をシンプルにする」流れ というものが生まれてくるのだと思う。

アシモに比べれば、産業用ロボットの動作というものはシンプルだけれど、いくつものロボットをラインとして組み合わせることで、 工場は、複雑なプロダクトを大量に生み出すことが出来る。

ところが精緻な生産ラインを組むためには、熟練した技術者が必要で、精密に設計された生産ラインに、 他のものを作らせるのは難しい。大量生産というものが好まれなくなって、そのくせコストカットの圧力が高まると、 「熟練した技術者」のコストというものが、価格競争の足を引っ張る。

たとえば車1台を作るのに1000人日の工数がかかるとして、これをロボット化するときに、 「アシモを1000人雇いましょう」なんて提案したら、現代ならば「馬鹿」と怒られる。

ところがアシモを1000人雇ってしまえば、ある日は車、翌日は家具、来週からは飛行機の部品なんて製造が、 手順書を変えるだけで出来るようになる。部品の移動や、ラインの組み替えは、アシモに歩かせればいい。

昔見たテレビ番組では、「足はついていないのですか?」と質問したユーザーに、ロボット技術者の人が 「あんなの飾りです」なんて答えていたけれど、足にもやっぱり、役割がある。

「手仕事」である製造業には、たしかに足はいらないかもしれない。人型ロボットの足というのは、 だからしばしば単なる飾りになってしまうけれど、足を見た人は、「移動」という発想をわざわざ行わなくても、 足を見れば、ロボットに歩かせることを思いつく。人型の利点というのは、この部分にあるのだと思う。

想像に必要な労力

「ホウキを持ったメイドロボ」と、「掃除のいらない床」と、暫定的な正解を思いつくために必要な労力を考えたときには、 メイドロボを想像するほうが、恐らくはより少ない労力でいける。

ロボットが極めて安価になった未来において、もしかしたら最もコストがかかるのは、正解を思いつくために必要な労力なのだと思う。

日本はしばしば「アイデアはタダ」なんて扱いをするけれど、アイデアを出して、検証するためには、本当は莫大なお金がかかる。 まともにやるにはお金がかかって、今回のロボコンで優勝した中国チームの研究室には、試行錯誤の結果廃案になった、 たくさんのロボットが山になっているんだという。

大量生産されれば、ロボットの価格は下がる。もしかしたら遠い将来、「安価なメイドロボ」のほうが、試行錯誤で最適な解答を探索するよりも、総コストは安くなる。

人型ロボットが人型である意味というのは、恐らくは想像に必要な労力を最小に出来るのが、人型だからなのだと思う。 「こんなことをしたい」と誰かが想像したときに、ロボットが人型でありさえすれば、「こんなこと」が即座に実現できる可能性が高くなる。

ガンダムみたいな人型ロボットよりも、むしろ両腕にもっと複雑なマニピュレーターを備えたガンタンクみたいなロボットのほうが、 もっと複雑な仕事をこなせるのかもしれないけれど、ガンタンクではやっぱり、主役にはなれないのだと思う。

知識を持たない素人が、「こういう作業をやらせよう」なんて考えたときに、ガンダムだったら、何が出来て何が無理なのか、 人型を見るだけで、かなり正確な想像が出来る。ガンタンクの足はキャタピラで、人より複雑なロボットアームは、 こんどはできることが多すぎて、ユーザーが想像するのに必要な労力を、かえって増やしてしまうことになる。

デザインというものは、想像力のインターフェースになる。

人間は、生まれたときから「人型」のデザインを使いこなしてきた。人型の使い途というものは、恐らくは最も想像が容易なものであって、 誰にでも使える汎用のロボットを考えるときには、だから人型であることに、大きな意味がある。センサーは「頭」にあって、頭は「首」に乗っていないといけないし、 手は2本、足は2本、関節の自由度も、人間に合わせることで、ユーザーの使い勝手は最大になる。

人型ロボットが濶歩する遠未来という光景は、必ずしも荒唐無稽なものではないのだろうと思う。