日用品がプラットフォームになる

古くから身の回りにあったり、日用品として親しまれている何かに、別のコンテンツを重積する仕組みを乗せて、 課金システムを整備すると、恐らくはそこに、なにがしかの人が仕事をしていけるだけのプラットフォームが生まれるのだと思う。

運動靴をメディアにする

子供が外で遊ぶときには、必ず靴を履く。子供用の運動靴に、RFIDタグの読み取り装置みたいな機能を付けると、 鬼ごっこだとか、ケンケンみたいな、足を使った昔ながらの遊びが、少しだけ書き換わる。

実物大の双六みたいな、あるいは陣取り合戦みたいな、子供の頃は、グランドにいくつもの円を手で描いて、 じゃんけんでルール決めて遊んでいた。「ここは1回休み」とか、「ここに止まればもう1回」とか、ああいうのを、 お互いの約束でなく、RFIDタグを仕込んだカードを使って明示的に示せると、遊びの質が変わるような気がする。

鬼ごっこの境界だとか、安全地帯みたいなルールも、そのまま「結界」のタグを仕込んだカードを使えば、 単なる鬼ごっこが、もう少し本格的な「ごっこ遊び」に変わる。オカルト風味の何かの物語を創作して、 それに見合った「カード」を販売することで、物語とリアルとが、少しだけ地続きになる。

「瞬足」みたいに、ある程度安価で、いろんな種類が販売されている運動靴は、 靴のパターンに何かバックグラウンドの物語を乗せて、たとえば光と闇との属性とか、 木火土金水の相性効果だとか、様々な効果を後付けすると、外遊びが盛り上がるような気がする。 その日にどの靴を履いていくべきかとか、選択が、そのまま戦略になる可能性があって、 単なる「性能」でなく、そういう盛り上げかたも、あってもいいと思う。

販売の対象を小学生前半ぐらいに絞るなら、小さな子供は携帯電話のユーザーには遠くて、 携帯ゲームは使えるかもしれないけれど、学校に持ち込むのは、もしかしたらまだ難しい。 運動靴だとか、ランドセルはみんな持っていて、課金システムは、近所の文具屋さんとか、 本屋さん、靴屋さんがそのまま使える。

運動靴とかランドセル、鉛筆、消しゴム、筆箱という、対象となる人たちが日常的に持っているものを「メディア」に 見立てて、そこに何か別の機能を加えたり、そのものの意味を書き換えるような物語を付加することで、 今度は恐らく、それを買うこと、購買の意味が変化する。課金の機会はそれだけ増えて、 もしかしたらその場所に、新しい雇用が生まれるかもしれない。

課金プラットフォームとしての乗用車

乗用車には、無限に使える電源と、ほぼ完全なGPSと、携帯電話に比べたら、圧倒的にリッチな体験を提供できるだけのディスプレイを 持っていて、今の乗用車は、単なる乗り物でなくて、ほぼ完璧なメディアになっているのに、事実上、何一つコンテンツがない。 本当にもったいないことだと思う。

個人情報を保護するためには強い鍵が必要で、強い鍵を作ろうと思ったときには、複雑にするという方向以外に、 「大きく不便にする」という道もある。重さ1トン越え、エンジン付きの「鍵」が、乗用車の形で世の中にはあって、 これを「コピー」したり、「隠し持った」りするのは難しいから、乗用車というものは、そのまま個人情報に紐付けて、 課金プラットフォームとして利用できる。

それはナンバープレートを読み取るようなやりかたでもいいし、キーレスエントリーの「ピッ」というあれは、 車体ごとに紐付いてるはずだから、レジで「ピッ」とやれば会計終了、というのをやってくれると、 田舎の買い物がずいぶん便利になる。

都会ならばお財布携帯電話だろうけれど、田舎の車というのは、移動手段であって、買い物袋でもあって、 これが財布になると、なおありがたい。車がいくら売れなくなったとはいえ、国内には数千万台オーダーがすでに走っていて、 それだけのユーザーがいるメディアに、課金プラットフォームを乗っけられたら、数千万人分の購買形態が変化する。 きっと大きな市場が生まれるんじゃないかと思う。

いい車とか、速い車じゃなくて、車という存在自体に、そろそろ別の意味を見出してほしいなと思う。 田舎の生活なんて、本屋さんとコンビニと、ホームセンターとサティでだいたい完結するから、 来るまでそこに乗り入れると、会計が全部スルー、ディーラー経由で銀行引き落とし、という生活スタイルが 作れると、個人的にはとてもうれしい。

田舎のパチンコ屋さんとか、自動車のナンバープレートに個人情報を紐付けて、球数無制限、会計はあとから銀行引き落としというルールにしたら、 きっと今以上に購買が増えるんだと思う。

スーパーカー消しゴムのこと

スーパーカー消しゴムと、ノック式の、ボタン一つでキャップが飛び出すノック式ボールペンとが同時期に登場したのは、 今から思うと奇跡的なタイミングだった。

小学生の頃、ちょうどスーパーカー消しゴムがブームになって、「何となく似ている」だけの初代から、 リアル路線になった後期まで、だいたい全てを経験できた。

最初の頃は「相撲」ルールで、机から落ちたら負け、というシンプルなものだったんだけれど、消しゴムがリアルになったら軽くなって、 そのうち巨大なスーパーカー消しゴムが売られると無敵になったから、ルールは「レース」に移行した。タイヤ部分にラッカーを塗ったり、 ボールペンのバネを伸ばしたり、早くするためにみんな工夫するようになって、そのうちシンナーに漬け込んで固くする技、というのが 学校に持ち込まれて、小さく固くなったその消しゴムには誰も勝てなくなった頃、ブームが終わってしまった。

あの時代、たしかに消しゴムの種類は増えたけれど、「どの機種が強い」とか、そういう物語は語られなかったように思うし、 ボールペンはボールペンで、たとえば強化スプリングとか、消しゴムを飛ばすパワーの強い金属削り出しのボタンだとか、 そういう展開は行われなかった。

子供の頃の、他愛のない遊びではあったけれど、スーパーカー消しゴムは盛り上がったし、あの盛り上がりは、 それでももっと膨らませることができて、「マシン」ごとの強さ比べだとか、ボールペンの強化パーツだとか、 ブームになったミニ4駆みたいになっていれば、単なるおまけの消しゴム、単なるノック式のボールペンが、 様々なコンテンツを載せられる、立派なメディアになったのだと思う。

流行っているものは、工夫次第でやっぱりメディアに変貌する。

同じ頃、給食はまだ牛乳瓶だったから、みんな「牛乳メンコ」に夢中になって、教室では、いろんな牛乳キャップが覇を競っていた。 あれなんかもまた、いろんな会社に声をかけて、牛乳キャップに広告を入れて、「東芝の蓋は実は重くて強い」とか、 そんな都市伝説を流したら、たぶん教室で奪いあいになったと思う。

メディアに課金装置を乗せる

今ではもう無理だろうけれど、新聞なんかもまた、アナログの双方向メディアになる道があったんじゃないかと思う。

投函された新聞を読んで、郵便受けとは別に、「返信箱」を作って、商品をチェックした新聞や、広告の折り込みチラシをそこに放り込んでおくと、 翌日の朝刊と一緒に、その商品が届くような。

それがどれだけの利益になったのかは分からないけれど、新聞というのは毎日そこにあるメディアであって、 販売店という、地元に密着した課金システムがすでに備わっていて、広告はローカルなものが多いから、 そういう場所には、ネット広告やテレビみたいな、全世界を対象にした人たちは、そもそも入ってくるのが難しい。 競合のいないニッチをせっかく持っていたのに、新聞を売るという、単機能に特化してしまったのは、 個人的にはやっぱりもったいないと思う。

新聞が、どこかで「御用聞きメディア」としての機能を備えていれば、恐らくはそこを購買の窓口として利用する人を開拓できたし、 広告の価値みたいなものも、恐らくは高まったんじゃないかと思う。朝刊を読んで、その日の商店街のちらしを見て、 欲しい商品をチェックする、高齢者の人なんかには、けっこう喜ばれるサービスが提供できたんじゃないかと思う。

まとめ

恐らくはいろんなものがメディアになれるし、課金システムを実装できれば、それは産業のプラットフォームになる。

携帯電話とか、インターネットというのは大発明で、あれは「昔の日常」には存在しなかった何かが、いつの間にか新しい日常に なっていたものだけれど、昔から身の回りにあるものも、機能を追加したり、バックグラウンドに物語を付加したりすることで、 まだまだメディアとして、様々なコンテンツを乗せて、そこから対価を引っ張れるような可能性を持っているのだと思う。