「何もしないこと」を決断するとき

「やれるだけのことはやった」状態とは、あらゆる可能性を探索し、試み たという意味であって、一つの方法を機械的に繰り返し、拡大し、結果とし て全ての資源を損耗しつくした、という状態とはちがう[18]。

これは明らか に判断の誤りなのに、しばしば満足げに総括される。

経験を積んだ術者は、「何もしないこと」もまた決断であることを知って いる[15]。その一方で、意志の不在が決断を放棄させた場合また決断であっ て、同じ「待ち」の決断であっても、意味あいは全く異なってくる[10]。

意志の不在は状況を確実に悪化させる。たとえそれがどのような決断で あっても、決断されることは、行動の根拠としてより望ましいと言える[10]。 何もしないで経過をみるときには、だから「何もしないことを決断する」 必要があって、状況を動かさないことを決断したのなら、その時にやってお くべきことがある。

視点を変える

「あのときはこんなに調子が良かったのに」というふり返 りを止めて、現在だけを見る。「このときはこういう状況だったから、今も その状況が継続している」という視点を外して、現在の状況から、現在体内 でおきていることの推定を試みる。

視野を広げる

問題の焦点となっている、あるいは自身がそう思い込んで いる問題から、あえて全く別の場所を検索することを試みる。胸の疾患なら ば腹部や頭を探す。感染症を疑っていたのなら、別の機序で発熱を生じる疾 患を想像する。

目の数を増やす

いろんな人に聞く。相談する。あるいは紹介する。保身 のための最大の努力は、同時にもしかしたら、不明の状況を打開する手がか りになるかもしれない。鉄火場にあって、「そこで立ち止まって考える」た めには、10 年では足りない経験がいる。

文脈でなく部分から考える

「肺炎の割に白血球が低い」でなく、「白血球 が下がる状態」から、咳が出て発熱する病気をリストアップしてみる。「感 染症で腎臓も悪くなった」患者さんなら、「腎機能が悪くなる病気」を詳し く調べて、発熱を合併するような状況を考える。

「その状況から一番嫌なこと」を想像する

その状況から最も考えやすい 疾患でなく、見逃すと最も痛い状況を考える。それが「出血の見逃し」なら ば血圧が下がってくるだろうし、「癌の見逃し」ならば、恐らくどこかに症 状が出現する。

見逃しやすくて、分かりやすい症状が出現することもなく、状況の劇的な 悪化をもたらす疾患というものを想像すると、結核と感染性心内膜炎が必ず リストに入ってくる。こうした疾患の検索は、あらゆる「不明」に対峙した 際の共通経路になる。

次にやることを決めておく

確信を持って「待ち」を決断したとして、そ の間祈るのでなく、次にやることを決めておく。待って状況が変わらなかっ たら、次にこの検査を提出するとか、この人に相談するとか。「待ち」は高価 な選択であって、時間に比べれば、「とりあえず頭からつま先まで造影CT」 のほうが、コスト的にはよっぽど安い。