刑事尋問の今が知りたい

最近ずっと、コミュニケーションに関する昔の文章をまとめて「blog 本」みたいなのを作っているんだけれど、 その流れで、米国の、医療過誤訴訟の対策本をずいぶん読んだ。

どの本にもたいてい、「弁護士はこんな罠を仕掛けてくる気をつけろ」という対策を指南していて、 書いているのも弁護士の人だから実話なのだろうけれど、想定問答集みたいなものがついてくる。 本が変わっても、方法論というか、聞かれること、罠のパターンみたいなもののバリエーションは 有限で、逆にいうと「尋問術」というものは、むこうだとある程度、技術として確立しているような印象を受ける。

「デポジション」に相当するもの

米国の裁判には、「デポジション」といって、裁判の前に、原告側弁護士と、被告になった人とが面談する制度がある。

裁判所からの書記官が同席して、そこで交わされたやりとりは記録されて、質問に答えたこと、 あるいは答えなかったことが、証拠になる。デポジションは「裁判の最初の華」みたいな描かれかたを していて、本番に相当するものが公判なんだけれど、観客が、言わば「プロ」しかいない分、 デポジションでの質問のやりとりというものが厳しくて、ここでの想定質問と、その対策というものが、 マニュアル本には詳しく語られる。

日本の民事裁判には、どうもこの「デポジション」に相当する制度がないみたいで、 お互いのやりとりは、基本的に文書が中心となって行われるみたい。文章だと考える時間が取れるから、 口頭で、録音して、原告と被告とが罠の仕掛けあい、化かし合いみたいなことにはならないらしい。

こういう状況が、日本ではじゃあどこにあるかといえば、一つは国会の場であって、 弁護士でもある谷垣代表が「もっと尋問術を学んでおくのだった」なんてぼやいていたように、 あの場所で行われているのは、こういうやりかたにけっこう近いのだと思う。

で、外からは見えないから想像だけれど、恐らくは刑事尋問の場というものも、デポジションのルールに、相当に近いように思える。

刑事尋問というもの

警察の中で、机一つに向かいあって、カツ丼注文したりするあの情景が、デポジションにのイメージに近いといえばまあ近いんだとして、 だったら日本の警察の人たちに、じゃあああいう、相手に罠を仕掛けるような弁論術がどの程度あるのかといえば、それがよく分からない。

患者さんを外来で診療したときに、たまたま現場で捜査をしていた人たちが病院に来ることがあって、 「捜査の手引き」だったか、そんなマニュアル本を持っていたのだけれど、表紙には昭和50年代の年号が印字されていた。 恐らくはそれが、その本が作られた年なのだと思う。改訂はされているのだろうけれど。

刑事裁判も、米国の裁判も、ああいうのは基本的に、追求する側も、される側も、自分が想定した「物語」をつくって、 それに合致した単語を拾い上げて、法廷の席で、お互いの物語をぶつけ合って、信憑性を競うものなんだという。

これは日本の刑事訴訟の本にも同じことが書いてあったから、そんなにずれてないはず。 「面白い物語」を作ることが、裁判官の心証を傾けるコツであって、犯人の内面の描写が、「面白さ」を作る上では大切なのだと。

「むらむらと来た」という言葉

じゃあならば、「警察の人が描いた内面の描写」というものがどこで読めるかといえば、それはテレビのニュース番組なんだと思う。

ニュースや新聞では、たとえば痴漢で捕まった人の自供を報道していて、「ついむらむら来た」から手を出したとか、報道する。 「むらむら」は恐らく、新聞記者の作った言葉ではなくて、警察の発表を記事に起こしたものなんだろうけれど、 じゃあ今の日本人で、「むらむら来た」という言葉を、口語として常用する人がいるかといえば、いないと思う。

あれはたぶん、警察の人が、犯人の「内面描写」を物語に起こした段階で、中の人が使っている参考書籍に、 そういう「文例」が出てくるのだと思う。 いかにも古くさい、それこそ昭和50年代のサザエさんにでも出てきそうな語彙が、 ああいう警察を通じた言葉には時々出てきて、それを邪推していくと、警察の人たちが使っている手引き書というものは、 実は昭和50年頃から、ほとんど進歩していないのではないかな、という気がしている。

たしかにそれで、有罪がガンガン確定しているんだから、方法論を変える必要はないのかもだけれど、 それはどこかこう、「それで上手くいっているんだから」と、電気メスの現代に、磨製石器で無麻酔手術に挑むようなところがあって、 「腕力」が十二分に強ければ「それでいい」のかもだけれど、やられるほうは怖い。

真っ黒な事例を、鼻歌交じりで漂白できる米国弁護士のやりかたは、あれはあれで「うへぇ」、って思うけれど、 少なくとも海のむこうでは、それが技術になって、公開されて、改良されている。

このへん国内がどうなのか、あんまり聞こえてこない。

こういう「道具」みたいなものは、裁判員制度が大々的に導入されたり、あるいは取り調べが録画されるような時代になると、 否が応でも公開されて、対策されるだろうから、あるいはこれから進歩するのかもだけれど。