そのインターフェースから出来ること

自分が妄想する人型ロボット話の続き。

フィードバックの同軸性

機械に対して,人間側が働きかけて、機械は動いて、結果を操縦者にフィードバックする、このときのフィードバックには、恐らくは「同軸性」みたいな要素があって、同軸でないフィードバックは、よしんばそれが遅延無く返されたところで、人間は気持ち悪さを感覚するのだと思う。

世の中の機械は、基本的にフィードバックなしでもなんとか操縦できるように作られていて、動作に対して同軸なフィードバックを返す機械というのは、たぶんあんまり多くない。

機械というものを、それが外の環境にもたらす影響からでなく、内側の、操縦者と機械とをつなぐインターフェースから妄想すると、フィードバックの同軸性を突き詰めた解答として、人型ロボットというものが浮上する。これが実現すると、やっぱりいろんな意味で面白いんだと思う。

オートクルーズは気持ち悪い

たとえば乗用車のオートクルーズは、車があるていど地形を読んで、アクセルを調整する。坂道に入るとアクセルが踏まれるし、平地に入ると今度は、エンジンの回転数が下がる。中の人はその時、坂を見れば減速を予感するし、平地に入っても、ある程度の加速を想定するから、「どんな場所でも一定速度」という、オートクルーズの制御というのは、どこか落ち着かない。

スピードは一定で、そういう意味では、乗用車の制御は正しいんだけれど、オートクルーズを入れっぱなしにして市街地を走ると、坂にさしかかると車が加速して、平地になると、「こうでないと」という想定を下回るような加速が来るから、なんだか勝手にブレーキが踏まれているような気分になる。

動作は文脈で記述することができて、繰り返される動作は、恐らくは推測ができる。オートクルーズがもっと過激になって、持ち主の動作を読んで記録して、「いつもの交差点」にさしかかったら勝手に減速して、勝手にハンドルを切る車ができたとしたら、ドライバーはたぶん、その車に恐怖すると思う。操縦しているのは自分なのに、あたかもその車は、幽霊が勝手に操縦しているようなものだから。

機械の側は、あらかじめそう命じられた動作を行っているだけなのに、中の人はそれを不快に感じる、こういうのはたぶん、フィードバックのかけかたや、インターフェースのデザイン自体を変えないと、解決できない。

フィードバックが前提のデザイン

それがアクセルペダルなら、「勝手に曲がる乗用車」のそれは、今みたいなペダルじゃなくて、せめて紐付きのサンダルみたいな、坂にさしかかったらアクセルが微妙に押し込まれて、それがドライバーの足に伝わるような構造にしないといけない。ハンドルなんかも恐らくは同じで、ドライバーが常にハンドルに触れていて、車が曲がろうとしたら、それがドライバーの手に伝わるようなデザインを行わないと、幽霊が勝手に操縦しているような感覚が生まれてしまう。

ところが今度は、乗用車がそうなったとして、フィードバックが前提のインターフェースは、ドライバーはハンドルから手を離せない。デザインは、ハンドルから手を離せないことが、不快な感覚を生まないように行われる必要があって、「持つこと」をドライバーに求める現状のハンドルでは、このあたりの煩わしさがどうしても残ってしまう。

命じることが前提のインターフェースと、フィードバックが前提のインターフェースとは、デザインが根本的に異なっていて、フィードバックが前提の機械というものは、最終的にはやはり、「着る」ようなデザインに落ち着くのだろうと思う。機械側からのフィードバックが前提の、「着る」デザインのインターフェースができたとして、今度はそのインターフェースで快適に操縦できる乗り物を想像すると、必然的に、人型ロボットになってしまう。

中の人を書き換える機械

人型ロボットが実世界で役に立つ状況というのは、やっぱりあまり想像がつかない。機械が人型である意味というのは、たぶん外界に影響を与える機能よりもむしろ、外側でなく内側に、操縦する人に、機械の動作を同軸的にフィードバックする、そういうインターフェースを作れることそれ自体にあるのだと思う。

人型ロボットの存在意義というのは、だから軍事や警察、土木みたいな、機械の機能的な側面が求められる場所には無くて、やっぱりたぶん、福祉や介護方面になるような気がする。治療目的の、筋骨格系の病気よりも、もしかしたらもっと中枢に近い場所に、動作を介して治療者が介入するための道具として。

健全さの定義がそもそも無理だけれど、「健全な精神が健全な肉体に宿る」現象というのはたしかにあって、ある動作を訓練して、その動作に身体が適合する頃には、その人の精神もまた、その動作に見合った変化を、多少なりともするんだと思う。

ある精神のありかた、あるいは身体のありかたが問題になっていて、それに対して何かの理由で介入をかける必要が発生したときに、おそらくは人型ロボット、「着る」ようにデザインされた、外界と操縦者とをつなぐインターフェースというものが恐らくは役に立つ。

何か人型ロボットを主役にした物語を転がすならば、人型ロボットが活躍する世界を想像するのでなく、人型ロボットを動かすのに適したインターフェースが要請される状況を想像して、そのために適したメカが人型としてデザインされて、「たまたま」出来上がったそれが、病院だとか、何らかの治療施設から外の世界に飛び出して、実世界との接触が行われると、きっとびっくりするようなことが起きるのだと思う。